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【所感】4

駅前地下街のクリスマスコーナーが撤去された。
いまだかつてないほど、速い時の流れを体感している。
正確には体感していない。
時の流れを正確に体感出来ていないから、速く感じるのだ。
もう年の瀬だなんて、信じられない。
この間夏が終わったばかりだったはずだ。
私は冬用の服を買うでもなく、有り余った服で師走をしのいだし、このまま厚手の布団を買うでもなく、服を着たまま1枚の毛布をかぶって冬を越すのだろう。
季節に取り残される、とはこのことである。

なんだか色々なことがあった一年だったが、何もなかったような気もする。
私は常に家と仕事の往復を行い、疲れ果てては眠る生活をしていた。
色彩が入り込む余地など、ほぼなかったのだ。
私の知る人々が今もそこはかとなく音楽をやっていることを眺め、羨み、同時に安堵し、少し彩られた気になるばかりであった。
彼らがまだ生きていて、昔と同じことをしているだけで安心した。
この大都市のどこかであの大きな音が鳴る時間があるだなんて夢のようで、寂しさを少し忘れることができた。
思えば、なんて遠いところに来てしまったのだろう。

幸せには覚悟が要る。
このことは私はさんざん書いてきたつもりだが、今年ほどそれを痛感した時間はなかった。
今年の収穫といえば、寂しさを知ったということだろう。
孤独、などと格好をつけることも今の私には必要ない。
ただ、寂しいと思った。
かつての私は強靭だった。
本当は一人で生きていくことは不可能と知りながら、見て見ぬ振りをして、一人で生き抜く強さの虚像を誇示していたのである。
しかし歳をとるごとに、強くなるばかりか、どんどん弱っている気がするのだ。
このように弱きを覚えることは、幸せを掴みにゆくための第一段階である。
幸せへの恐怖から、私はこれまで第一段階に立つことすら避けていたのだ。
私は今年、やっとスタートへ立った。
馬鹿馬鹿しいが、私の人間史として、これはとても大きなことなのだ。

シンプルであるということは、とても重要である。
愛だの恋だの、分からない。
ただ、惹かれるなら共に時間を過ごせばよい。
大切な人が嫌がることは、やめといた方がよい。
でも自分がもう我慢できないなら、全部やめればよい。
こんなにシンプルなことが、どうしていつも上手く行かないのだろうか。
人生をシンプルにするために、私は強くなる必要がある。
強くなるために、一度弱くなる必要がある。
このようにして成熟するのだろう、という道筋が見えてきたのだ。
この繰り返しによって、果てには大容量のアガペーが待っているとしたら、歳をとることもそんなに悪くはないと思える。

ラブデリックのmoonという古いゲームがこの上なく好きだ。
あのゲームの最初のレベル「愛の寝起き」はまさに今の私に相応しい。
これからラブをかき集めるのだ。
たとえば密かにフレディ・マーキュリーに憧れるお城の守衛。
たとえば隠れてディープパープルばかり練習する「バーン」という名のギタリスト兼CD屋など。
彼らを助けるでもなく、そっと見届けてやり、ラブを得る。
私はいつかレベルマックス「愛のビッグバン」へ成長する。
そして十五夜に生まれた私が、再び月へ旅立つ。
勇者が月のドラゴンを倒すのを阻止するのだ。
なぜなら実は月のドラゴンは、RPGに映る恐ろしいラスボスではなく、ラブに満ちた世界の主であるからだ。
なんて私らしい人生なのだろう。

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