見出し画像

「武道をしていると精神的に成長する」

という言葉はよく聞きます。

武道をしているのに暴力的な人は精神的に未熟だとも。

ではそもそも

『精神的に未熟とはどういうことなのか』
『精神的に成長するとはどういうことなのか』
『精神的に成長するとどうなるのか』

考えてみたい。

『精神的に"未"熟』

という言葉から対義語を選ぶと"成長"ではなく

“成熟"でしょうね。

『精神とは未熟な状態から成熟していくもの』

成熟して"いく"のならば、その先に得られるものがあるはず。

私はそれを『美徳』としました。

美徳とは

公平さ、謙虚さ、誠実さ、他者への敬意

など

他者と関わる時に、良好な関係性を築く目的のもと行動選択ができる資質

かなと。

ホモ・サピエンスである私たちがが生き残ったのは武力でも知力でもなく、

仲間と良好なコミュニケーションを取ることで生き残った、と言われています(参考 ヒューマンカインド)

つまり遺伝子の中に他の人と良好な関係を築こうとするシステムが含まれているということ。

自然な状態で生きているのならば、自然と良好な関係性を築くというのが私たち。

それが崩れたのは狩猟採集から農耕に生活様式が変化したからだと言われています。

ここはとっても好きな内容ですが、長くなるので割愛。聞きたい方がいたらまたどこかの機会で。

『私たちの精神は生まれた時は未熟な状態であり、他者との関係性の中で成熟していき、良好な関係性を築けるように成長していく』

これが現段階の私の定義になるでしょうね。

で、ここからが重要な点。

精神の成熟を妨げるものはなにか、ということ。

ここでお話ししていくのはあくまでも沢山ある仮説の一つ。

それは

「満たされなかった欲求を埋めることを優先するとき」

例えば喧嘩が弱く、よくいじめられて、誰にも助けてもらえなった人がいるとします。

この時に満たされなかったものが何なのかは個人によって変化します。

強くなっていじめっ子たちに反撃したかったのかもしれない。

自分のことを自分で守りたかったのかもしれない。

誰かに助けてほしかったのかもしれない。

この欲求、願い、と言ってもいいかもしれません。

これが自覚していないとなかなか解消されず、歪んだ形で表に出てきます。

攻撃されたと思ったら徹底的に反撃してしまったり。

自分を守るために人と関わることを避けるようになったり。

誰も信用できない、と心を閉ざすようになったり。

自分が他者と関わる時に現れる精神的な摩擦がヒントになる。

なんでここでモヤっとしたんだろう。
なんでここで感情的になってしまったんだろう。
なんでここで泣きそうになったんだろう。

それを生み出した過去の経験が記憶の底に埋まっているもの。

それを解消できれば摩擦はなくなり、人との関係性をラクに良好な状態にできて、

結果的に精神的に成熟した大人になっていくのではないでしょうか。

Twitter

Facebook


Instagram








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?