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感情と信頼のブランコを揺さぶる。~なぜ勉強よりも、”まず一緒に遊ぶ大人”でいたいのか?

おはようございます(*^^*)

小学校の時の中休み(15分のちょっと長い休憩)に
「あれ?校庭に自分しかいないな?」と思ったら、
既に授業時間が始まっていること
気づいていなかったしゅんです。
#言ってよぉ


さて、今日のテーマを
めちゃくちゃ簡潔に言うと、

⭐私は、人と遊ぶことが大好きでたまりません。

どれくらいスキかと言うと
別に頼まれていないのに、大抵は
リュックにトランプやサイコロなどのなにかしらを
常に持ち歩いているほど。
何もなくても遊びます。

なので私を見かけたら、どうぞ気軽に
「一緒に遊ぼう」と声をかけてください。



いつでも、遊びます。
どんな人とも、遊びます。
どこでも、遊びます。


何なら、人と接するときは、
まず遊ぶことから始める方がいい!と
何故か確信しています。

勉強よりも、
遊びから入ったほうがいいと!

これってなんでだろうな?と思うと、
メモが浮かんで来たので、
noteいっぱいにメモします_φ(・_・
それではいってみましょう!



■しゅんめも_φ(・_・ 

今日は先にメモを洗い出してみます。
要点だけ掴む場合は、次の見出しに進んでくださいね。

⚫ファクト
・遊ぶことがすき(相手はだれでもOK)
・幼少期→遊びを創るほうがスキだった。
→母が認めてくれたり、周りが賛同してくれて。
e.g.やたらかごに玉入れ。SASUKEを見て台所を登る。ピタゴラスイッチ的な遊び。懐中電灯で遊ぶ。PCで思ったとおり弄ってみる。
(最初は一人遊びもたくさんあった)

・基本的に2人~大人数で遊ぶカードゲーム、幅広い年齢対象のおもちゃをよく買う。
→自分は負けてもいい。何なら下手な方。だれかと時間がスキ。

・でも小学生で自己表現をしなかった→誘うことが減った。
→やらないほどに、どんどん1人でいるほうがいいのでは?と思うようになり、一人教室で空を見上げていることもあった。


・小学1年生とかと、よく全力で走ったりする。
・いつからか優先順位が、勉強 く 遊びになっている。
・たくさん遊んだり、一緒にキャンプをしてよりその子のことをよく知ってから、「しゅんちゃんに、勉強を教えてほしい」と言われることが多い。
・大人なら、「一緒に飲みに行きましょう」「相談があります」と話を持ちかけてもらえる。
・ただ勉強を教えるより「遊び→勉強」の順番でお願いされたほうが、特別嬉しい。
・遊んだりするときは、失敗してももう一度やり直せる。一緒に笑い飛ばせる。


⚫抽象化

⦿面白いことを考えている時間が楽しい.
⦿"だれかと" ”一緒に” の姿勢 = 感情の共有
⦿「待ちの姿勢」=いい感じのお誘いをしてほしかった。
⦿遊びは、感情と信頼のブランコを揺さぶる。


⭐転用

⭐企画や楽しいことを考えている時に、「逆に楽しめていない人がいるとしたら・・・」と考えながら構成する。
⭐遊びの幅を広げる。→本・新作の遊びを調べ続ける。静・動の遊びのレパートリーをつくる。
⭐過去の自分のように相手が「待ちの姿勢」なら、自分から声をかける。
⭐まず、一緒に遊ぶ大人でいる。
⭐最大限に面白いことを一緒にして、他の成長を加速させる。
⭐遊べる体力をつける→ランニングと筋トレを週3日はする!アプリで記録する。



"だれかと" ”一緒に” の姿勢

基本的に、だれかと一緒にやることが好きです。

成功だけではなく、失敗もです。
勝ち負けよりも、面白さです。

1人での経験も、もちろん大切なのですが、
感情を共有することがスキなのだと思います。

なので1人用のゲームをするより、大人数用のボードゲームのゲームを良く選ぶし、誰でも参加できるように全年齢対象のゲームを選びます。

一緒にいれば、痛みも・喜びもどちらもわかります。
「全部わかるわけない!」と言われればその通りです。

でも、そこら辺の
何も知らない人からテキトーに慰められるより、
よっぽど良いと思います。

内容はまた別として、
「楽しいこと・面白いことが嫌いな人は、存在しない」
と私は信じています。


「待ちの姿勢」=いい感じのお誘いをしてほしかった。


自分から声をかけなきゃ始まらないよ!

確かに間違いではないです。
ただ、誰しも誰かから「誘われて」きっかけできたこと、
ありませんか?

小学生の頃。
私のクラスの男子は少なく、活発か無関心かの両極端で、
しかも10人しか男子がいませんでした。

「野球しようよ!」と

誘ってくれるのは、嬉しかった。


けど、
心のなかではこう思っていました。

たまには、違う遊びもしようよ。

でも、過半数に対して、
全く言い出せない自分が居た。

完全に言いわけですが、単学級(1組のみ)なので、
他のクラスに友だちを求めても、
年上か年下かになってしまいます。

当時の私は気の合う人はいましたし、
今でも彼らのこと、好きです。

ただ、学級崩壊も有り、他の子の気持ちも不安定。
遊びも変化がなく、
繰り返しの毎日に飽きていました。


バッチリ価値観や雰囲気が合う親友に出会ったのは、
中学生になってからかもしれません。

もしくは、中学生でこれまでの「10人以外の男子」
出会えてから、
改めて小学生のときからの同級生を
好きになれた部分が増えました。
(安心感や、心の余裕ができたからかな。)

繰り返しの毎日だと、「変わんないからいいや。」
の気持ちが発動して、
言わないことのほうが楽になってしまいます。

誘われること、変えてもらうこと待ち

の状態になります。

その気持が、わかるから、誘います。

断られてもいいです。本当に気にしません。
また他の人を誘ったり、別件で誘います。
誘い方を変えることもします。

誘われることで、幸せを増やせるなら、
私は、誰かを誘い、
だれかと遊んで、感情を共有したいのです。


私が誘って、その誘われた誰かが、
また、何かの機会に誰かを誘える人になったら、
ひとりぼっちなんて起きなくなるんじゃないか。

なんて勝手に思っています。

もちろん、一人の楽しさもわかるし、
私にとっても孤独は記事にするほど、絶対に必要な時間なので
強要は絶対、しません。


「いい感じに」に誘い上手な人。
そんなヒトでありたい。


遊びは、感情と信頼のブランコを揺さぶる

めちゃくちゃ抽象度の高い感じになりましたが、

まさか「抽象化事故」
起こしていないでしょうか。。。OK?笑

ブランコの絵があって、思いつきました。
もっとカンタンに、
「振り子」の図を持ってきました。

遊ぶと、
感情のブランコを揺さぶることができるんです!

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例えば、

「遊び」のフリ幅が左側とします。
「勉強や相談や信頼」のフリ幅が右側とします。


おもいっきり、遊んで、遊んで、走って、
話して、ご飯を食べて、、、

そうすると、めちゃくちゃ左側に心が動いていきます。
それは、さっきも言ったように、

楽しいことが嫌いな人は存在しないと
思っているからです。(「楽しみ方」は個人差があります)

まずは、楽しさをたくさんたくさん引き上げる。
一緒に失敗して笑ったり、泣いたりする感情も
どんどん引き上げて、共有する。

そして、手を離してみるとどうなるか。

振り子が引き上げた同じ分だけ、右側に振り切れます。
これを人間関係に置き換えるなら、
さっきの、

おもいっきり、遊んで、遊んで、走って、
話して、ご飯を食べて、、、

この分だけ、信頼してくれたり、
この人と一緒に居たいと思ったり、
相談してみようかな?という気持ちが起きる
と思っています。

なぜなら、図にもあるように、
「同じ力」が働くからです。

だから、まずは振り子が振り切れるくらい、遊んだり、
素をさらけ出せば、相手の感情も振り切らせるくらい、
自己成長や信頼の方向に動かすことが
できると言いたいんです。

具体例を挙げます。


とある小学5年生の男の子。

医者の診断も有り、支援学級通っている。
集中できなかったり、
感情が先走って、友達とトラブルになっちゃったり、
勉強についていけなかったりすることもある。

その子の親御さんや家族からお話があり、
個人的に休みの日に遊びに行くことに。

ラウンドワンのような遊ぶ場所で、散々遊んで、
一緒に御飯を食べたりしました。
次の日。彼が提案してきました。

「ねぇ、一緒に宿題しよう?」

いや、遊びに来たやん?笑

私のほうが驚いてしてしまい、

いいんだよ、無理しなくて。
せっかくの遊んでいい日として家族も送り出してくれているんだし、
今日は思いっきり遊ぼうよ。


なんて返しましたが、「お願い!お願い!ねぇやろ??」
ずっと繰り返します。

(´-`).。oOなんだこれ?いい子にしなさい!
なんて言われてきたのかな?
なんて思いながら、聴いていましたが、違いました。

この瞬間、彼の左側の「遊び」の振り子は、
もう振り切れていたのです。


苦手なはずの算数を「一緒に勉強したい」という右側の
勉強や、相談、自己成長などの信頼の方向へ振り始めました。

さらに、時間はかかりますが、
90分も連続で勉強し続けるので、
あっという間に終わってしまいました。

「あれ?集中力がないって話は…(・_・;)」

と終始「?」なまま、親御さんのもとに。

どうやら、来る前から「一緒に宿題する」
と荷物に入れ込んでいたそうです。
(私の前では、たまたま入ってたからって言ったくせに!)

もちろん、90分できた話をすると、お互い驚く
というカオスな状況に。

ただ、お互いに、幸せでした。
笑顔でした。


■最後に・・・

はぁ。はぁ。長々と・・・語ってしまいましたが・・・

(息切れ)(休憩)



・・・それでも、遊び続けます。

そんな人間なのです。

美化したようなエピソードではなく、
本当に起きたことから
深めてみました。

私は、序文にもあるように結構「鈍いです」
なので、宿題をしたいニーズが有るのにも気づかず、
素で「いや、遊ぼうよ!」なんて言ってしまう大人ですが。。。

それでも、「遊び心」を持ち続けて
生きていきたいと思います。
それはいつか、信頼や成長につながるから。
大きく振り子が振り切れるから。

長々と書いてしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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