旦那の目が死んでいる

SMAPのライオンハートの歌詞、「もし子供が生まれたら世界で2番目に好きだと話そう。」の世界線はどこにあるのだろうか?

この曲が発売された時は小学生くらいだったかな。

初めて聞いた時、なるほどな。将来子供が産まれたら愛し合う夫婦がツートップを走り、その下に愛する子供が居る。

それが普通の家庭像だったし、理想の家庭像とも考えていた。

ところがである、現実、街中で家族を見かけた時、旦那の目が死んでいることが多い。

妻の目は勇ましく、子供の目はキラキラしてるのに。

子供が赤ちゃんくらい小さいとまだ旦那の目は全然生きてるが、

カフェなどで、思春期頃の娘を連れた家族3人の旦那の目は特に死んでる。

あんだけ夫婦で「世界で2番目に好きだと話そう。」と言ったのにも関わらず、妻と子供だけがツートップを走り、夫がゴールキーパーの位置まで下がってるのだ。

試合終盤のコーナーキックの時にゴールキーパーが前線にいくことかあるが、本当にそれくらいしか旦那が求められてなくて(支払いとか)、基本的には妻と娘から存在すらカウントされてない時がある。

なぜこうなってしまうのか。自分にはまだ子供がいないので、見てて恐怖でしかない。

日々の積み重ねなのか、どこかのタイミングなのか。旦那の目が死んでいく。

それだけは避けたい。

                                  END


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