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反面教師とパンチラハーレムと選挙違反(自分語り.5)

小学校高学年編

進級に伴いまた担任が変わる。背の高い自称イケメン先生。児童向け童謡企画レコードの作詞やらを手がけ、教室で授業中に聞かせて宣伝営業するようなナルシスト地方公務員である。さらに授業そっちのけで創作童話を話して聞かせて、自称人気者先生ポジションに酔っている。授業はどうした?おいおい…小学校高学年にもなると2割ぐらいの生徒は薄々こいつのキモさを感じていたと思う。(自分も人のこと言えないジジイになったけどなー)

そして、なぜか自分とは相性最悪。ハズレである。前の担任(相性も良くまさに恩師だった)が他校に転勤になり、補充で赴任したばかりの外れ担任には自分の情報が「問題児」とだけ伝わっていたのだろう。先入観だけで悪者扱いにされたり、ちょくちょく冤罪を着せられてみんなの前で説教されたり散々な目にあった。どのように説明しても聞く耳を持っていない人だった。「疑われるような態度だから、お前が悪い」と言うやつだ。真犯人もそのセリフを真似て対立したが、決闘ルールが廃止されたのでもはやスッキリする手段がない。根に持ってるのがバレるとカッコ悪いので忘れるしかないのだ。自称イケメン教師は実力者の親を持つ子か、模範生か、美少女以外に優しくしてるところを見たことがない。実際どうか知らないが、自分にとっては、ただの「逆らってはいけない特権階級の敵」でしかなかった。

前の担任の時のように積極的に何かに取り組む気力を継続できなくなるほど、この教師の自分に対する扱いや発言に日々ドス黒い感情が溢れ、反抗期へと緩やかに誘われたと思う。「先生の言うことをちゃんと聞きなさい」と言う母親には、母親が子供のために良かれと思って付き合いのある上品な家庭の子供からの情報として「作家仕事もしている優しい物分かりの良いイケメンセンセー」と聞いていただろうから、いつも不機嫌になってしまった息子の態度に困惑してしまったと思う。すまんが、不条理には対応しない親と思い込んでいたので泣きながら訴えるとかそう言うことはしなかったせいもある。まったく学校に行くのが苦痛の日々であった。

様々な冤罪や言いがかりで説教を受けた話は、心底無視しまくったので詳細が思い出せないが、やたらにイヤな思いをさせられた事件がある。以前にラブレター(LIKEだけどね)を送ったことのある女の子がたまたま先を歩き去って行った後に、これまた、たまたまふくらはぎを痛めて足を引きずり気味に歩いていた自分を呼び止めた自称イケメン先生は「お前は何てひどい嫌味な悪い人間なんだ」といきなり説教をし出したのだ。何でも、彼女が先天的に足の関節が弱くビッコぎみに歩いているのをマネして意地悪をしていると決めつけてネチネチ指導しているらしかった。「はあ?」である。好きな女の子に嫌がらせをするタイプでは全くなく、むしろ気持ちは伝えた上で仲良くしてる女子だったのに、そうした悪意ある偏見をされる意味が全くわからなかった。事実、ヤツは体育で足を痛めている自分に対する心配など皆無。泣きたいほど頭に血が上ったのを覚えているのだが、どう対処したかは思い出せない。悔しいどころか、この決め付けキチガイ教師を滅ぼしたいとさえ思ったんじゃないかな。多分。

てことで、その後自分はヤツに対抗するには権力が必要だと(なんの話だ)児童会会長選挙に出馬を表明して選挙活動に没頭した。休み時間も放課後も各学年の廊下をタスキがけして手製の怪獣メガホンを持って「清き一票を」と叫ぶ1週間である。ある日、下級生の女の子が寄ってきて「その怪獣メガホンが欲しい」とおねだりしてきたので、「いいよ。その代わり投票よろしくね」。。。。。言ってしまったのである。「あ」「わいろだわいろだー」そりゃそうである。しくじった。言い訳虚しくガキどもに(自分もガキだ)囃し立てられ焦る自分。翌日担任の耳にも入り、説明を求められたが、うっかり口を滑らせたが途中で気がついて、ものをあげるのをやめてその場をとりなした件を説明したが、ま、気分の良い話の終わらせ方をしてくれる人じゃない。「覚悟しとけ」と言われたが、案の定児童会選挙は落選。ショックより惨めな気分でいっぱいになった。恥の多い少年である。

自己逃避には酒。プール開放日などよく悪友の家に行って親がまとめ買いしていたビールの木箱の釘を抜き(カートンは木箱だった)くすねたビールを隠れて飲んだりしていたが、さらに深夜テレビをこっそり観ながら自分の親のウイスキーをちびちび盗み飲み、タバコもするようになっていった。

とは言え、捨てる神あれば拾う神ありのエピソードがある。

例の足引きずりイヤミ冤罪事件の後から体育の授業を真面目に受ける気分じゃなくなったので、真冬の雪上サッカーなどは毎度風邪引きでズル休み。あったかい教室で一人遊ぼうと思ったら二人の美少女も休みのようだった。例のラブレターを送って友達になった子とその次ぐらいに可愛いかった女の子。「暇だから絵でも描いて遊んでようか」と言う話になり、3人でお絵かきを楽しんでいたら女の子たちは「ウフフ…ねぇねぇ、女の子の裸を見たことある?」って、最近の何かのゲームのシチュエーションみたいな状態。「女風呂入ってた時にたくさん見たよー」と平静を装って答えたら、好きだった方の女の子がいきなり裸の女体の絵を書き出して(絵が上手くてやばい)やたらとエッチな絵を描いては見せつけてきたので照れまくってしまった。そしてついに「私のパンツ見たい?」と聞かれ「そりゃスカートめくり禁止されたから、見せてくれるなら見たいよ」と答えたらもう一人の子も一緒になって二人してキャッキャとはしゃいで、くるくる回りながら「オーモーレツー」と(当時の石油屋のコマーシャルがパンチラものだった)歌いながらパンチラどころか前も後ろもたくし上げでしっかり可愛いパンツをなんども見せてくれた。思わず前に出てかぶりつきで眺めてたら無邪気に頭にスカート被せてきたり、もはや本当の話なのかと心配されるかもしれないが事実である。その後「3人でおしくらまんじゅうしよー」と誘われ、これは何の3P愛撫???状態の超絶楽しい時間をもらった。チューもした。3人とも低学年の頃からずーっと一緒のクラスだったので、問題児レッテル1枚目になった例の「チンチン露出握らせ事件」を目撃してた子たちなので、今更自分のエロを隠すことなく気兼ねなく無邪気にワイワイ特別仲良しの関係になった。

昼休みはもっぱら3人でゴム跳び(輪ゴムつなぎ合わせて縄跳びのように二人が持って一人がそのゴムを足さばきで超える遊び)をよくやった。二人ともおしゃれさんなのでワンピースやスカートの時が多かったので確信犯的なパンチラでもある。自分は他の奴らに「パンチラ見せたくない」といって、新型の「女の子飛び」(後ろ向きになって膝をお尻まで曲げてつま先でゴムを引っ掛けて半回転して超える飛び方の変形)を発明したので、さらに好感度アップ。そんな様子を見ていた他の女子たちも次第に仲間に加わり、7〜8人の女子とのハーレム昼休みが楽しみな毎日になった。暗い心に暖かい陽が差した時期である。女の子たちみんなありがとう。みんなのパンちらは今も大切な思い出だよ。後にその「ゴム飛び」の飛び方は全校の女子の間で流行し昼休みの伝統となる。

そんな今考えても羨ましいハーレム状態は男子達から大ヒンシュクを買うまでに時間はかからない。もともと「男らしさ(ガキの言うところの)」に興味のなかった自分だから(野球もプロレスも興味がない)女の子的な感性で一緒に遊べていたのだ。他の乱暴男子が「混ぜろ」と割って入ってきたところで、おかしなジャンプやキック?や謎のルール変更や乱暴な振る舞いや大声に辟易する女子同士の見合わせる顔の表情を感じ取り「やっぱり女子と遊ぶのつまんねぇ」と捨て台詞を吐いて早々にいなくなるのだ。しかし、ヤキモチを焼くのは男子だけじゃない。遊びに参加してこない別の女子グループからの嫌がらせが始まるのだった。

少々話がずれるが、自分の父親は義理人情に厚い面倒見の良い男。。。と言うか、人を信用しやすく騙されやすい、とも言い換えられる人だった。実際周囲にそう見られていたのだろう。「後生だから助けてください」と頭を下げにくる人たちの借金の保証人になることがよくあった。そして、逃げられる。会社も専務の横領発覚で分裂倒産の危機。(なんだかんだ当時の金で背負わされた他人の借金2億ってどうなの?)そんな渦中だった。保証人に金を肩代わりさせてのうのうと贅沢暮らしをしている〇〇商店の娘であるツリ目のクソ憎らしい女がHRで「女子とばっかり遊んでるエッチな男子がいまーす」とおかしな議題を振ってきたのだ。「このクソガキが」内心思ったが「それって俺のこと?」「白状しましたー」「何言ってんの?何が悪いの?」「エッチなのは悪いと思いまーす」たちの悪いただの嫌がらせである。これ以上話しても無駄。被害が他の女子に広がるのも面倒臭くなって溜息ついて着席したら、日直が「これから気をつけてくださーい」と、訳のわからない閉め方をしてくれたおかげで気まずい雰囲気にさせられてしまった。実際漫画で出てくるような可愛げのないイヂワル女子。話をするのもイヤなのでただ無視することに決めた。こっちの仲良し女子たちが放課後駆け寄ってきて「ひどいねー」とか「カンケーないのにねー」とか言いながら集まってきたので「お前らイジメにあったら可哀想だから今後は派手に遊べなくなるけど気にしてる訳じゃないから大丈夫だよ」みたいなこと言ってカッコつけたと思う(意味不明なカッコつけか)。昼休みは様子見ながら女子たちと教室の机でお絵かきしたり、おしゃべりする程度になった。それはそれで距離が近いので楽しかった。

ところで、家庭の事情で自転車が買えなかったのだが、時代は「夕日のサイクルマン」で持ちきり。5段変速の流れるテールウインカーがゴテゴテついた自転車が大ブーム。欲しいとは言えずに時が過ぎていたのだが、どうやら見兼ねた母親が父親に詰め寄ったのだろう。とある休日にいきなり「ついてこい」と父。「なにさ」「自転車屋行くぞ」やったラッキーと思い、いそいそついて行ったが、当時の値段で4万以上もするアレをねだる勇気はない。「好きなの選べ」と言われても日々の夫婦喧嘩のネタが金のことなのは子供にもわかっている。夕日のサイクルマンの電装装備だけ外した5段変速の廉価版の自転車がたまたま店にあった。前輪ディスクブレーキ後輪ドラムブレーキの黒くて電子フォンの装備されたイカしたやつ。父親は「それでいいのか?」と言ったので「これがいい」と返事した。元気の余った男子の目を考えたら、若干地味目の方がめんどくさくないや、と頭をよぎったのもある。男子のやきもちはめんどくさいから。

そこで問題がある。自転車に乗れないのだ。乗ったことがないのだ。3輪車ですら1日しか乗らずに近所の〇〇系のガキどもに盗まれ破壊され泣き寝入りして、そのまま3輪車乗れない男子だったのだ。母の命令で早速体育会系の姉の出番。広い場所がいいということで姉の中学のグラウンドに行き、押してもらいながら練習。説明するまでもない。無意識に知っていた。「離さないでね、まだ離さないでね」「いいからこぎな」「離さないでね、、、」振り返ると遠くに姉の姿。「やられた」と思った瞬間、すっ転びである。ズボンが破け、膝から血を出していたら学ラン男子3人組が駆け寄ってきて「大丈夫か弟君」聞けば姉のファンクラブの後輩だと自称していて「姉もやるもんだ」と見直した。一人は傷の手当てしてくれ、他の二人でウインカーの抜けた隙間だらけの歪んだ荷台フレームを力ずくで直してくれた。そんな様子を眺めながらゆっくりこっちにくる姉が「つばめ君たちご苦労」って、なにそれ意味わかんない。後から聞いたら若い男の子の取り巻きをそう呼ぶらしいが、さすがに昭和くさいな。今思い出したら。

その後、彼らが上手に手取り足取り自転車の乗り回しを教えてくれたおかげで、その日のうちにドリフトブレーキで、ズザザザーっとカッコよく停まれるようになった。感謝感謝。策士の姉らしい手抜き教育だと思ったが、水泳同様即できるようになったのだ。感謝。何より中学のお兄ちゃんたちのカッコよくて親切で優しい振る舞いが新鮮でちょっと憧れた。と同時に、3人まとめて子分にするとは「姉ちゃん只者じゃねぇー」少し尊敬した。

そんなこんなで自転車デビュー。意気揚々とプール開放日の学校に向かう。当時大流行したビックリマンチョコのシールを自転車のチェンカバーに貼ってドレスアップ。1枚は目玉焼きのリアルイラスト。もう一枚はメタルカラー台紙に「差押さえ」と書かれた赤札。これを貼るセンスもどうかと思うが、それがいけなかった。目ざとくソコに気づいたあのクソ意地悪女〇〇商店の狐目メスガキ!「やーい借金自転車ー」と金魚のフンと一緒に囃し立ててくる。超絶頭にきた俺は、プールバッグ(市会議員だった人から配られた贈り物で、自分の名前のロゴ入れて選挙の時に住民に配ったため逮捕、再選取り消しされた曰くの品)を地面に叩きつけ「ウルセェな、親父と現金で買ってきたんだよ」と言い返したが「差押さえされてんじゃん」としつこいから「ビックリマンのシールだよ、みりゃワカンだろ」といっても、そういやこいつ何言っても聞き分けない頭おかしい〇〇系の女だった。あまりにしつこいから「テメェの親父の方が、泥棒じゃねぇかこのやろう、うちの親父に借金なすクリつけて、金返さねーじゃねぇか、フザケンナこの!」言い過ぎたかなと思いつつ、言ってやらないと気が収まらなかった。「嘘つき」奴が言い放ったので「自分の親父に聞いてみろよ。ほんとだから。嘘だったら土下座してやるよ」そんな感じで啖呵切ってやったら、目に涙ためて逃げていった。「ザマーミ。。ロ?」なんか後味悪い気分で家に帰った。

翌日からキツネ目は、こっちを見なくなった。父親同士も接触があったようだ。知らんけど。後味はめちゃくちゃ悪かったが、正直せいせいした。

とある遠足の日、クソ担任はワザと仲良し女子たちと引き離し、クソキツネ目グループと自分を同じ班にしやがった。弁当を班ごとに集まって食えと言われても話なんか弾まない。黙々と弁当を食べてたら、何を思ったかキツネ目は「あつーい熱くなっちゃった」とか言いながら目の前でタイツ脱ぎ出した。「何だこいつ」と思って顔を見たら目があった。「どっか隠れて脱げよ」と言ってやったら「別に恥ずかしーことしてないもん」って、続ける。わざわざこっち向いてそんなことすんなよ気持ち悪い、と思ったので後ろを向いて弁当を食い終え、その場を離れて自由時間を過ごした。

気分の悪い遠足だったが、後日のホームルームで「男子の前でタイツ脱ぐ子がいまーす」と誰かが議題に出した。おいおい、大丈夫か?と思いキツネ目を見たら泣き出しそうになってたので「パンツ脱いだんじゃなければいいんじゃないの」と、フザケタ口調で助け舟を出してしまった。数秒遅れて大爆笑。クッソ、昔の事件話思い出して笑われてんなぁオレ。。。。とも思ったがキツネ目の金魚の糞からこっそり耳元で「ありがとね」と後から言われたので、今までのことを許すことにした。ま、クソ担任の采配が何だったのか知りたくもないが、今にして思えばクラス全体を仲良くさせるビジネス意識なんだろうなと思ってやることにした。決着のついていないカビ生えて腐ったような嫌悪と恨みの感情のミイラを見つけて手放し供養のチャンスになった。NOTEはじめてよかった。普通に暮らしてたらこんな話思い出そうともしないもんな。

その後、小学生の残りの間は、酒の盗み飲みをしなくなった。

墓場を移動してまで建てられた古い木造校舎だったが、道徳の時間に浅間山荘事件の鉄球シーンを見せ付けて、国家権力の暴力とかなんとか教え込まれたり、不気味な反戦映画を無理やり見せたり、共産党と社会党で真っ二つに分かれて仲違いする職員室の気持ち悪さも、便所の変態(ぽっとんトイレの下に傘と懐中電灯持ち込んで前の日から隠れて便所を下から覗きにくる変態)が現れて学校のトイレに見張り番がいないと落ち着いて用を足せない時期もあったり、〇〇系の困った連中も多い小学校だったが、ようやく卒業である。折しも父親の会社の役員再編成とともに会社を移転再稼働ということで町ともクラスメイトとも同時にお別れである。いいこともイヤなことも含めて思い出深い小学校だった。卒業式は清々しく感慨深かった。蛍の光歌いながら泣いた。ドラマチックだったわ。それなりに。

ということで小学校編終了です。書ききれない程のイザコザやえっちなエピソードはお腹いっぱいなので書かずじまいです。

あ、自称イケメン担任もナルシスト貫いてくれたおかげで、のちの自分のクリエイティブ活動デビュー時代に、どのように自分を見せたらキモいのかを反面教師から学んだものがとてもお役に立ちました。結果として大変ありがとうございました。そして、先生の子供が不良になったと聞いてザマーミロと思ったことがありました。今思うと大変失礼なことです。自分のアホさ加減棚に上げてました。ごめんなさい許すから許して。そしてありがとうございます。反面教師。

当時はガキすぎて言えなかった、言い忘れた、たくさんの謝罪と感謝の言葉に変えて「何一つ、なかったらよかったことはないよ。全部何かのきっかけで何かの気づきで全部大切な今に繋がってるよ。お世話になりました」。空に向かって言ってやった。あースッキリ。(周りの人もアホなガキだった自分のことを許してください)今でいう多動症で統合失調気味のガキだった自分を放置してくれた人や愛を向けてくれた人たちみんな、そして、つまんないちょっかいふっかけてきたみんな、生きてるか死んでるか、全く知らないけど、ありがとう。ごめんなさい。生きてたら、どうかしあわせに。自分の気持ちでいっぱいいっぱいな薄情な奴でごめんなさいでした。エロの嫌いな女の子たちにはご迷惑かけました。忘れて。エロが好きな子達には本当にお世話になりました。いい思い出です。今思い出してムラムラしたら犯罪者なのでこれにて手放します。

そんなこんなのドロドロ感情のミイラを保存してたからなのか、40歳過ぎた頃からやたらとアニメキャラのフギュアとかサンダーバードとかのメカモデル、ミニミニチュアカーの収集癖が勃発したのは必然だったのだろうと思う。子供時代に視聴時間を制限されたアニメも、40歳すぎてから残業時間の深夜アニメ鑑賞もライフワークに組み込まれていた。それも執着心を手放す為の儀式だったのだろうな。大人になってからのそうした消費豚生活もそこそこ楽しかったし、今の大宇宙戦争時代(笑)を理解しようとできる姿勢を養えたのものアニメやコミックのおかげだ。さらには人と会話できないレベルの鬱病時代の慰めになってくれたのは本当にありがたかった。オタク万歳だ。子供っぽい文化にしっかりケジメつけてたら挫けていなくなってたかもしれない。マジで。ってことで、何度何が壊れても死ななかったしぶとさ、そこに至る全てに感謝。

さて小学校卒業記念品として卒業生全員に配られた校名入りホッチキスは、昭和五十年からいまだに現役。全く壊れないね。文字は消えたけど。ちなみに、小学校の卒業文集に書いた「大人になったら何になる?」の欄には「おもちゃ工場の工場長」であった。何で工場長? ま、おもちゃ泥棒やら、やっかみ僻み、欲し買ったオモチャ我慢したり、そんなあれこれが心に引っかかっていたんだろうな。すまん。勝手な話だ。許して。

てことで小学生時代の自分のキモいドロドロ感情のミイラさん、さようなら。じゃーねー。

中学校編は知らない町でスタートです。


愛こそすべての始まり。

では次回、乞うご期待。

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