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2年目の猟期と冬支度

待ちに待った2年目の猟期が来ました。
今のところずっとボウズ。でも山歩きはとても楽しくて、山の羽蟲、毛蟲たちと裸蟲の私ですが肩を並べるとは言い過ぎでも一緒に生きていけるような気持ちになれるから好きです。
山を歩くと、彼らの生活の様子が見えました。出会うことはできなかったので、私が歩いていることが彼らに見つかったんだろうなと思います。

今日は昼から雨になる予報で、山の上は白く霞んで、空気の中に小さな水の粒が見えるような日でした。
落ち葉や、雑木林の中の背の高い笹は梅雨で光っていて、滑ったり、ズボンに触れて冷たく濡らしたりしていました。
今日の山は何かの花なのか草なのか、嗅いだことがあるような、ギシっとした中に少し甘い香り。
鼻の奥がヒリヒリするくらいに香りを吸い込みましたが、正体は分からないままです。

こなあいだ、昔ぽっかりとあけてしまった深い暗い穴を自分なりに埋めてきたつもりになっていた23歳の終わり、もう一度そこを掘り返してしまいました。
Noとはっきり言うことが苦手なので、グダグダと自分に跳ね返ってくる棘を避けられませんでした。
ずっと何かに怯えているような、ハラハラした気持ちが続いていて、胸がつっかえています。そうだったと思い出したように涙が流れてくるのにも疲れます。

山を歩くとそうはいかなくって、今日も熊の足跡のようなペタペタとした大きな窪みや、イノシシが寝屋に行く前にグシャグシャとした掘り返しが一面に広がっている場所、大きな動物のフン、ガサッという音、イノシシの毛皮みたいな匂いをたくさん見て、聞いて、嗅いでをしているとそういう自然のものにドキドキしてきます。少し怖いけど、ワクワクします。
私のクヨクヨした小さい悩み事をを吹き飛ばしてくれます。
猟期いちにちめには大きなイノシシがかかりました。100キロを超えていた大きなふとったオスのイノシシ。毛皮の香りは懐かしいにおい。

止め刺しを任せてもらうようになってから、大きなイノシシ、カモ、ヒヨドリ。自然を生きる強さを持っていても、その裏には脆さがあります。
日々生きているということは、あたりまえなんかじゃなくて、実は奇跡的なことのように思えてきます。心臓が脈打つことも。
あの時動いていたイノシシが、今私が血抜きをしたことによって動かなくなって、それをさばいて私の食卓のお皿に乗っている。生と死の近さ、変化に見入ってしまいます。そういう脆さの中に私たちは生きている。

あと1ヶ月もすれば雪が降るでしょうか。去年の冬はたくさんの雪が一度に降って、私の家のポーチを壊しました。
手作りのカンジキも作り、準備は万端。
今年はどうかな、去年の寒さを思い出しながら厳しい季節へ向かいます。

去年の冬の大雪の写真

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