学校で失敗した話の供養

半年ほど前の話だが、春休みが終わり始まった学校のショートホームルームで「春休みにしたこと」についてみんなの前で話す機会があった。その際に話したかったことが話せなかったのでここで供養したい。
まずは失敗したところまで。



生徒「――だったのですごく楽しかったです。以上です。」
先生「それは良かったね~。じゃあ、次、生姜」
生姜「はい。春休みにやったことなんですけど。皆さんランクマッチってやったことありますか?なんのゲームでもいいんですけど。」
1/3ぐらいは手が上がった記憶がある。
生姜「じゃあ次の質問、overwatchってゲーム知ってますか?」
3,4人くらいだった。
生姜「えー!全然みんな知らないんですね~」
生姜「そのゲームでランクマッチの最高ランクに到達したのが、夏休みやったことでした。」
先生「オーバーウォッチ…?」

とまあこんな感じだった。
ここからは本当に話したかったことについて。


じゃあ皆さん、ランクマッチやってて、すっごく楽しい、ずっとやっていたい!という風に思った人いますか?
―多分ほとんど手を挙げないだろう。
ですよね。安心しました。僕もそう思います。

知らない人のために説明すると、ランクマッチというのは、皆さんの身の回りで言えば偏差値が一番近いと思います。この問題は何割の人が解けていて、あなたが解けたら上位何割、解けなかったら何割ってやつです。それをゲームの中に入れるとどうなるかというと、その数字に基づいて近い実力の人と戦うことになる。

聞くとすごい面白そうなんですけどね。やったことある人ならわかるんですが、基本楽しくはないです。ランクは滅多に上がらないですし、常に相対評価の数字が付きまとう上で戦わないといけないわけで。みんな自分の偏差値が書かれた札をぶら下げながらクラスで勉強するみたいなものです。これが連敗とか続くとどんどん減っていく。ゲームが「お前は下手だ」って言ってくるようなものです。

僕がオーバーウォッチのランクマッチをやり始めたのは中2(2016の終わりぐらい)のときでした。友達と4人で始めたそのゲームの衝撃がすごくて。みなさんも一度触ってみて欲しいです。ブレワイで、見えてる場所どこにでも行けることに気づいたときの10倍の衝撃でした。
その時の4人の心の中を想像で覗くと、
一人は「退屈しのぎになりそうだ」
一人は「みんな倒すと気持ちいい」
一人は「このキャラかわいい、負けたくない」
そして僕は「効率よく強くなりたい、他の3人より秀でたい」
とそう思いました。僕以外の3人は想像ですが、大きく外れてはいないはずです。
区別のためにここから名前をつけます。

"退屈しのぎのデビルン"
"快楽のウナジ"
"負けず嫌いのカンペ"
"効率厨の生姜"

ちなみに最高ランクに一緒に到達したのは、僕と、「負けず嫌いのカンペ」と、「退屈しのぎのデビルン」です。
「快楽のウナジ」は、中3ぐらいからランクが一切上がっていません。プレイ時間はおそらく同じぐらいやってるとは思いますが、高校入ってからほとんど一緒にやってないのでわかりません。ランクが離れすぎると一緒にランクマッチに行けないんです。

初めてから一年たった段階では、望み通り僕が4人の中で一番ランクが高かったです。僕→デビルン→ウナジ→カンペの順番でした。
カンペは我々の中では唯一最低ランクを踏んでいます。数字の大きさに応じて階級に呼び方が付けられており、最低ランクは"ブロンズ"という名前でした。
学校でよくランクが低いことをイジったりしていました。今では4人の中でランクが一番高いですがね。

先に効率を考えるっていうのは、究極言うと、諦めるってことの効率を求める可能性がある。勝てるまでとにかくやるって言うやつは理屈の前に絶対負けたく無いっていう強い気持ちがあるやつ。
頭は悪いかもしれないけど、でもその強い気持ちがあるから、ちょっとずつ学習していって、効率を求めたりする。例えばこの根っこにボーボー燃えている火が無い奴でも、頭が良ければ効率のいい練習方法は理屈だから思いつく。
だけど人間は完璧じゃ無いから理屈だけじゃ補えない時が来る。
〈中略〉
諦めるのも効率が良かったりする。
そこは両立しない。

https://youtu.be/JFEAGyAMJaI?si=YplErBDaFl5k-PzX
ウメハラ りゅうせいの練習方法とは逆のやり方を進める 切り抜き

僕は確信していますが、もしこの4人がいなかったら、グランドマスターまで行くことはなかったです。特にカンペとデビルンがいなければ、おそらく僕は最初ちょっとみんなよりランクが高い段階で満足して辞めていました。それでも続けた理由は、退屈しのぎだったり、友達に負けたく無いという思いだったり、効率の良い上達に憧れがあったりしたからです。
この世のすごい人は才能で効率の良い上達をしたから大成したと考えていました。この考えは歳を取って変わっていきました。むしろ自分のしてきた失敗の方に深みが生まれ、大切にするべきはそっちの方であること。最低ランクを煽っていたのは、失敗を恐れないカンペに対して恐怖を抱いていたからかもしれません。

中3ぐらいの頃から、階級"ダイヤモンド"に到達していた記憶があります。
僕とデビルンとカンペが大体同じぐらいで、ウナジはまだ一つ下のプラチナだったはずです。この頃から、僕らとウナジの間に顕著な差がありました。ここからは想像ですが、おそらくウナジにとってゲームとは「快楽が得られる場所」であり、「みんなでゲームをすると楽しい」でしか無かったんだと思います。
負けても勝っても特に感想は無く、気持ちよく敵を倒せたかが重要だった。典型的な「ゲームは遊び」という考え方なんだと思います。まあ、この世の大体の人はそう考えますよね。
ちなみに彼は今同志社大生です。ウナジは4人の中で「一見社交性は高いけど性格は終わってる」ということで知見が一致しています。今でも仲良しです。この前京都に3人でウナジ宅に遊びに行きました。最高でした。

高校にみんな上がったあたりから僕とデビルンはpcを購入してそっちでずっと遊んでいました。ps4しか持っていないカンペを置いて、pcでゲームをしていたんですね。
僕はps4で遊んでいた頃からずっとpcでやりたいと思っていました。毎日のようにグランドマスターの投稿する良プレイ集を見ていましたし、このゲームの人口のほとんどはpcでした。

その頃カンペはpcに逃げた我々を恨みながらランクマを回していました。ps4とpcは別のサーバーなので一緒にランクマッチができないんですね。その後彼はps4のアジアサーバーで1位に到達したりしつつ。
ここが僕の思う彼の一番すごいところです。一位とかは関係なく、一人でランクマッチを回していることに。僕は負けるのが嫌すぎて、その感覚を他人と共有しないと耐えられないほどでした。なので僕はオーバーウォッチのプレイ時間のうちほとんどは誰かと一緒にプレイしています。

負けるのが本当に嫌だということを自覚したのは最近で、オーバーウォッチを始めてからずっと、なぜ僕は一人でランクマッチをプレイしたくないのかわかりませんでした。
おかしな話ですよね。
僕がグランドマスターに至るまでずっとこの精神だったので、彼らのお陰というのは比喩でもなんでも無いと言うのがわかると思います。誰かと一緒じゃないと耐えられないので。
昔、中学校時代に見ていたウメハラさんの考える強さについての動画一つ一つが今になって身にしみるように分かるんです。神様は気まぐれにもギフトをくれただけで、僕の本当のゲーム人生はここからなのかもしれません。

そして、高3の終わりにカンペがpcを買い、また3人揃いました。そこからもずっとランクを回していました。そしてオーバーウォッチはナンバリングが変わり、新しいゲームになった最初のランクマッチのシーズンで、初めて我々はグランドマスターに到達しました。

そして憧れに到達しても、何の報酬も無いことに気づきました。こんなにすごいことをしたのに、全然誰も喜んでくれない。グランドマスターに到達すれば何かが変わると思っていたんですが、そうでは無かった。


20歳になって、少しずつですが分かるようになってきました。人の忠告を昔よりよく聞くようになりましたし、自分の愚かな部分は話すと面白く供養できると気づけました。
死ぬまでは生きようと思います。成功より失敗を大切にできるようになりたいです。
わざわざ読んでくれてありがとうございました。






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