一つの考え

人間関係に悩むことはあるだろうか、自分の場合、家族に対して一番悩む場面が多かった。
人が生まれて最初の社会が家族。そんな考え方が自分の中にあった。

まず母と話すときに、ぽろっとこぼした言葉を「はは、意味わからない」と言われたときに自分の人と話すということが、あー人と話すことが苦手なのかなと思っていた。

そして就職し、仕事をやっていく中で自分の環境で仕事がやりやすい人、合わない人、仕事ができる人、その分野の要領を悩む人。20年の間に子育てやPTA活動、ひとり仕事の中の人間関係ですこし気づくことがある。

今日、不意にルービックキューブを店で見つけて買ってみた。
自分にとっては、小学6年の先生にやり方を教えてもらって、全面揃えることのできる自分にとっての特技。

家族がどういうやり方をするのか、「一面揃えてみて」ということ言い少し観察していると、あるやり方ができる人とできない人がいることに気づいた。

正面に揃えたい色を置き、それを起点に色を揃える。
もっと単純に言えば、色のピースをその面に意識して移動させるということができるかできないかということでタイプ分けできるのではないか?
という一方向の考え方ではあるが、理系脳と文系脳の指標になるのではないかと思う事になった。

子供は意識して移動できなかった。母は移動できた。
実際子供は文系の成績がよく、理系はからっきしではあるが理系クラスで苦戦している。母は座学はいまいちだが要領がいい。

母が自分も仕事でパズルをするのよ、というのだが、説明が理解できない。

よくよく説明を聞くと説明している時に次から次に思考が生まれて説明がうまくできないらしかった。
共通認識になる共通の文法が整わないので、結果は同じでも母なりの思考でとりとめもなくなり、最終的に自分でも説明していて意味がわからないくなることがあるということだった。

自分の場合、子供のときには文法が順不同な古文みたいに前後関係がバラバラにつくということで時間をかけて矯正して、一度フィルターを通して人に説明するという過程を経て普通に会話するという習慣になって、今では普通にできるようになっているがそういう経緯がある。

つまり、理系脳と文系脳に大まかな2タイプに対して、環境によって文系と理系をどれだけ学ぶかという事になるんではないのか、それによって自分とストレスのある人になるのか、むしろ居心地がいい関係になるのかというある程度の指標になると思った。

理系脳は記憶を呼び起こす時にあまり抵抗がない、数年前の記憶でも昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。文系の記憶力は蓄積していくがあまり鮮明に呼び起こすことが苦手のようだ。

それは自分の親子関係、母と自分、自分と息子という関係性によるが、一つの指標として、こんな考え方もできるそんな一方向性の見方である。

そう見ていくことで円滑に人間関係が作れるようなそんなある人達に自分の生きやすい環境を選ぶことができる、そんな無理のない環境を知ることができる。こんな考え方もできてもいいのではないか。