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ロシアの映画誌から②:S.ロズニッツァ(インタヴュー抜粋)

 ロシアには主要な映画雑誌が二つあること、一つは1931年創刊の「映画芸術(Искусство Кино)」でもう一つが1989年創刊の「セアンス(Сеанс)」であることは、前回も述べました。本稿では、昨年末に3本のドキュメンタリー作品(『国葬』、『粛清裁判』、『アウステルリッツ』)が日本公開された、セルゲイ・ロズニッツァ監督に対する「セアンス」誌のインタヴューを抄訳して紹介します。内容はおもに『国葬』(2019)の制作過程と方法論に関するものです。

 1964年生まれのロズニッツァは、90年代後半、全ロシア映画大学在学中から短編ドキュメンタリーをヨーロッパの小さな映画祭に出品していました。私は同大学留学中、96年から99年にかけて彼としばしば学内外で交流し、最初期のドキュメンタリー短編2本を見せてもらったり、自分の作品を見てもらったりしました。北野武やミヒャエル・ハネケ、ソクーロフやゲルマンの新作について意見を交換したりもしたものです。
 ロズニッツァは映画大学入学以前にキエフの工科大学を卒業しており、87年から91年にかけて研究所で人工知能とエキスパート・システムの開発に携わりながら日本語の翻訳も行っていたというユニークな経歴の持ち主です。彼のドキュメンタリーはヨーロッパの映画祭で徐々に認められ、2010年代になってから劇映画も作りはじめました。その後はカンヌなど有名な映画祭の常連になっています。
 彼の劇映画、『私の幸福』(2010)、『霧の中で』(2012)、『おとなしい女』(2017、ドストエフスキーの同名中編とは無関係)、『ドンバス』(2018)はどれも、スタイル的には彼のドキュメンタリーとの共通性がありません。その理由は、以下のインタヴュー抄訳からも分かると思います。

セルゲイ・ロズニッツア――『粛清裁判』から『国葬』まで

(「セアンス」誌2019年10月18日、聞き手:アレクセイ・アルタモノフ)

――『スターリンの葬式』の視覚的な部分は、すべて映画『偉大なる別れ』(1953)の素材から編集されたものだという理解でよろしいですか?

『偉大なる別れ』(53)

――これはその時期に撮られた素材ですし、私が思うに、そのすべてが、セルゲイ・ゲラーシモフ、イリヤ・コパーリン、ミハイル・チアウレリ、グリゴリー・アレクサンドロフによって作られた、スターリンの葬式に関する映画のためのものでした。ソヴィエト映画の4人の重鎮によってどんな責任分担がなされたのでしょう! どうやって8本の手で映画を編集したのか私には分かりません。映画がすぐに棚上げ(上映禁止)になったという事実も、大いに疑問を抱かせます。『偉大なる別れ』には、スターリンを称えているという以外、何も謀反めいたところはありません。これは、親愛なる国の指導者たちが、結果を見さえせずにその映画の公開を嫌がったということを意味します――それは1カ月後の4月初めにはもう出来上がっていました。とても興味深い事実です。撮影は、彼らが一緒になって犯した悲劇や犯罪すべての責任をあとでスターリンに着せようとしていることを誰も疑ったりしないようにするための、大規模な隠蔽工作だったと思います。

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