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長編小説『2045/65』(冒頭部分2)

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  2 スパルタン・クラブ

 萌から電話番号を教えてもらった翌日、時夫は彼女の父親に連絡を取った。自宅を訪ねて修理を依頼されたブルーレイプレーヤーを見せてもらうためだ。なるべく早くしてもらいたいというので、時夫はその日の午後に萌の家を訪ねた。

 時夫が修理を引き受けているのは、主に古い製AV機器である。この手の製品はメーカーが倒産していたり再生メディアが製造中止になったりしているものが多く、そうでない場合でも交換部品の入手が難しい。そこで機種の近い中古品から部品を取って再利用したり、ユニットを増設したりして対応することになる。製品の外見まで変わってしまうことさえあるが、「ダメ元」で改造してもいいか顧客に確認しておけば、問題は起きない。時には以前より音が良くなったとか、画面が鮮明になったと言って喜ぶ客もいた。大抵は高齢者で、実際には劣化した機能が部品の掃除や交換によって改善しただけだった。だが、時夫は口コミ効果を期待して黙っていた。

 萌の実家は築三十年の洒落た洋館風の戸建て住宅だ。小学校時代には何度か遊びに行ったものである。誕生パーティーに招かれたこともあった。この家の門をくぐるのは、実にその時以来だった。

 インターフォンを押して来意を告げると、すぐに応答があって玄関ドアが開いた。髪がすっかり白くなった萌の父親が顔を見せた。彼は六十近い人で、最初の妻に先立たれたあと再婚して生まれたのが萌である。時夫がリサイクルショップを始めた頃、彼は勤めていた大企業から早期退職を勧告されたが、住宅ローンも完済して萌も独り立ちしていたので、大人しく受け入れた。その後は再就職先も見つからず、退職金と妻の収入に頼って質素に暮らしていた。

「やあ、時夫君。忙しいところ、わざわざ来てくれてありがとう」

「いえ、今日は店が定休日ですから」

「麦茶かコーヒーでも飲むかね。あいにく家内が仕事に出ていて、大したものは出せないが」

「いいえ、結構です。取り敢えず、壊れたというプレーヤーを見せてもらえますか?」

「では案内しよう。わたしの部屋にあるんだ」

 プレーヤーを調べてみると、電源がちゃんと入り、ディスクを乗せるためのトレイ部分の動作も正常だった。

「ご覧の通り、動くことは動くが、映像も音も出ないんだ」

 その機械はディスプレイ一体型ではなく、インターネット用モニターに接続してあった。

「モニターをつけてみてください」

 萌の父親がリモコンでモニターの電源を入れると、すぐに4K画質のネット動画が始まった。政府系スマートシティの宣伝だ。CGで作成された清潔な小都市の映像に、若い男のナレーションが重なる。

 ――政府が推進するスマートシティの実験は、現在五年目に入っています。実験都市〈トキメキ・タウン〉では、全国から移住を希望した若いカップルたちが、この国の未来を担う次世代を育てています……。

「ネットを見ようとするたびにこのCMだ。国民の血税をいくら宣伝費に使ってるんだ」

 萌の父親は腹を立ててそう言うと、ネット接続をオフにした。時夫は聞こえなかったふりをした。

「CDでもDVDでもブルーレイでもいいですから、何かメディアをプレーヤーに入れてみてもらえますか?」

 相手はラックから映画のソフトを一つ選び、ディスクをトレイに置いた。トレイが引き込まれると間もなく、デジタル表示部分にメディアの種類が示された。それからロゴマーク部分が自動再生されているらしい秒数が表示され、最後にMENUという英語が示された。メディアの再生機能は正常のようだ。

 だが、電源を入れ直したモニターはプレーヤーからの入力信号を受信していなかった。時夫は二つの機械をつないでいるHDMI変換ケーブルを抜いてそれを調べた。断線しているようでもなく、金属の端子には錆つきも歪みもない。

「ケーブルに異常はないようですね……。プレーヤー側の出力端子に問題があるのかもしれません。その場合、部品を交換すれば直ると思いますが、一度カヴァーを外して中を確認しないことには何とも言えません。いったんお預かりして、修理が無理なら電話でお知らせします」

 この種の中古AV機器の完動品は、彼が提示する修理代の十倍以上するが、根気よく探せばまだまだ見つかる。だから時夫は自分の手に負えないと判断したら、相手にはっきりそう言うことにしていた。

「そうか。ではお願いするとしよう」

 時夫は持参した梱包材でプレーヤーを包み、肩掛けバッグに入れた。萌の父親は玄関まで見送りに来た。

「君は昔から優秀な人だったな。萌の面倒もよく見てくれた。今は大変かもしれないが、きっと報われる日がくるよ」

「ありがとうございます」

 時夫は頭を下げた。

 自宅に帰る道々、時夫は昨夜の萌との会話を思い出した。彼は運が悪かっただけで、「頭がいいんだから、今からでも頑張れば」どうにかなる。萌も彼女の父親も、彼に同じようなことを言った。まるで、努力を続ければ彼らと同じアッパーミドル階級に戻れるかのように……。

 時夫の考えでは、彼らは非現実的なほど楽天的だった。人間の運命を決めるのは、遺伝、環境、偶然そして最後に努力だ。高校三年の秋に小さな会社を経営していた父親が急死し、心臓の持病がある母親と二人で生活せねばならなくなった時夫は、「運が悪かった」どころではない。

 大学の授業料は過去半世紀間上昇しつづけ、倍以上になっていた。勉強しながらまともなアルバイトで年間百数十万を稼ぎだすことなどできないから、時夫は進学を諦めざるをえなかった。東南アジアから輸入した部品を組み立てて「日本製」小型家電を製造する零細企業に就職できたものの、その会社は薄給だったうえに、五年後に倒産した。その結果、当面の生活費を工面するために父親の形見であるEV車まで売り払う羽目になった。ガレージを改造したリサイクルショップの開店は苦肉の策だった。

 これまで必死で努力してきたが、大学に進学できた高校時代の同級生たちと比べて、自分の生活に余裕がないことは時夫には明らかだった。以前は専門知識も社会経験も少ないせいだと自分に言い聞かせていたが、最近では少し違う考え方をするようになっていた。それは小島由紀夫の影響だった。


 時夫が偶然小島と出会ったのは、数ヵ月前のことである。店の定休日に川沿いの遊歩道を散歩していると、五、六人の男女が彼の後ろから走ってきた。彼らは全員ジャージや半袖のシャツを着ていた。ジョギングをしていることは明らかだったが、年齢には幅があって、下は二十代から上は六十代くらいに見える人までいた。服装には統一感がなく、共通しているのは運動しやすい恰好をしていることだけだった。彼らは時夫を追い越して去った。

 彼がしばらくそのまま歩いていると、さっきの集団が川辺に下りる幅広い階段の辺りで休憩していた。彼らの様子は和気あいあいというわけでもなく、各自ばらばらに体をほぐす体操をしたり、階段に座ってペットボトルの水を飲みながら話したりしていた。どことなく異様な集団だが、特に危険な感じはしない。何人かの顔には見覚えがあるような気もした。

 時夫が彼らに近づくと、リーダー格らしい四十がらみの男が、彼の視線に気づいて顔を上げた。温厚さと意志の強さを同時に感じさせる、精悍な風貌だ。

「こんにちは。今日は少し肌寒いですね」

 思いがけず話しかけられた時夫はどぎまぎした。

「え、ええ……」

「あなたはこの街の方ですか?」

「ええ、そうですが……」

「わたしたちは、この地域で活動している無料会員制スポーツクラブの者です。わたしはその代表で、小島といいます」

「無料会員制……」

 小島は愉快そうに短い笑い声を上げた。

「まあ、冗談みたいなものですよ。誰でも歓迎しますという意味です。健康のためにジョギングやウォーキングを始めても、一人だと続かない人もいます。仲間がいたほうが楽しいでしょう。それに、健康維持のために適度なスポーツをしながら、世代や境遇の違う人たちと交流することで、いろいろ勉強にもなりますから」

 小島の説明は一応筋が通っていたものの、時夫はどこか違和感を覚えた。彼の店は定休日だが、今日は平日である。まだ昼なのに、この人々は仕事を放り出して呑気にジョギングなどしている。もしかするとカルト的な新興宗教団体かもしれない。

「小島さん、スポーツクラブより、研究会のことを話したほうがいいんじゃない?」

 そう指摘したのは、階段に座っていた三十代半ばと思われる女性だ。

「ああ、そうか……。わたしたちのクラブはふだん日曜に活動しています。一般の会社員の方々も参加していますし、全員割り勘で市の運動場を借りてサッカーをやったりもするんですよ。実は、わたしを含めて、ここにいる人たちは、ある研究会のメンバーを兼ねています。平日はそちらの運営をしているんです。デスクワークが多くて運動不足になりがちなので、時々わたしが声をかけて一緒にジョギングするんですよ」

 小島は立ち上がって時夫の前まで来ると、ウエストポーチから名刺を二枚取り出した。

「自己紹介が遅れました」と言いながら時夫に示した名刺の一枚目には、「スパルタン・クラブ」代表、二枚目には「反能力主義研究会」理事という肩書きが記されていた。小島由紀夫という名前は、彼の風貌と同様、どこかカリスマ性を感じさせた。

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