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その映像作品は“リアル”ですか?:『エクスパンス』(2015~)

 今回は、まだ完結していないアメリカ製ネット配信ドラマ『エクスパンス―巨獣めざめる』について書きます。『エクスパンス』は、米国のSF専門TVチャンネルSyfyで放映が始まり、2018年夏に第3シーズン終了で打ち切りになりかけた後、Amazonで制作が続行されました(つまり第3シーズンまでは毎週特定の曜日と時刻に放映される“テレビドラマ”、2019年12月に第4シリーズがアマゾン・プライム・ビデオで配信されるようになってからは全シリーズが“ネット配信ドラマ”です)。

 少し前に分析した映画『インターステラー』(2014)と比べて、同じSFというジャンルに属していても、このドラマは物語の信憑性が格段に高いと言えます(物語の“信憑性”の概念については、この連載の最初の記事で説明しました)。両作品の映像のリアリティーは同等なので、総合的に見て『エクスパンス』のほうが“リアルさ”において勝ることになります。

原作のSF小説シリーズについて 

 このドラマは、ジェームズ・S・コーリーのSF小説『The Expanse』シリーズに基づいています。原作シリーズはこの記事を書いている時点で8巻目まで刊行されていますが、第1巻の“Leviathan Wakes”(リヴァイアサン目覚める)というタイトルが、なぜかドラマの日本語の副題として付されているのです。原作者のジェームズ・S・コーリーはSF作家・脚本家のダニエル・エイブラハム(1969~)とトゥ・フランク(1969~)のペンネームで、『The Expanse』はフランクの設定したRPGの世界を発展させて書かれた同じ物語世界を舞台とするシリーズの名称です。

 シリーズの物語内容は、今から数百年後、人類が太陽系全域に植民地を建設し、火星と地球とが独立した国家をなしている時代、彼らに搾取される小惑星帯の人々(ベルター)と内惑星人との相克が、太陽系外文明との接触を通じて戦争に発展してゆくというものです。この壮大な物語は、複数の“焦点人物(いわゆる三人称の語り手)”によって紡がれていきますが、全体を通しての主人公と言えるのは、地球出身でありながらベルターや火星人を部下として率いるロシナンテ号の船長ジェームズ・ホールデンおよび同船のクルーたち(ナオミ・ナガタ、アレックス・カマル、エイモス・バートン)です。ドラマのほうは物語的に切りのいい第6シーズンで完結するようです(6巻目と7巻目のあいだには28年が経過します)。

 以上の作品紹介は、おもに英語版Wikipediaの原作とドラマの項目にある情報を手短かにまとめたものです。では、予備知識はこのくらいにして、以下では“映像作品”としての『エクスパンス』について述べていきましょう。

ドラマ化に際しての再構成―“語り手”の消失

 映像作品には、“語り手”はいないのが普通です映像の中で誰も物語を語っておらず画面外からのナレーションもない場合、その作品に“語り手”はいないと考えるのが妥当です。(前回『ジョーカー』を分析した際にも、主人公アーサーは“信頼できない語り手”ではない、と指摘しました)。映像によって物語が“語られる”という表現は、(“紡がれる”と同様に)比喩にすぎないのです。脚本家や監督がわざわざナレーションを用いて“語り手”を導入している場合、それは予算不足などで映像化できない情報を説明するためか、作品が特定のジャンル(例えばハードボイルド)に属することを示すためです。

 『エクスパンス』のドラマ版パイロット・フィルムの脚色は、マーク・ファーガス(?~)とホーク・オストビー(1966~)が手掛けています。ファーガスとオストビーは、これ以前にもコンビで映画脚本を手掛けており、『トゥモローワールド』(2006、アルフォンソ・キュアロン監督)では脚色賞にノミネートされています。彼らが脚本を担当した他の映画作品には『アイアンマン』(2008)などがあります。原作は2011年に第1巻が刊行され、ドラマの放送が始まった2015年時点ですでに4巻目まで出ていたので、ファーガスとオストビーは、原作の物語を研究し、その背景となる世界観や登場人物を熟知したうえで連続ドラマに構成し直すことができたでしょう。原作の1冊分(平均して550~600ページ)がドラマの1シリーズ分(40~50数分の話が10~13話)に脚色されているようで、内容的に無理のない構成だと言えます。本国ではおおむね高評価で、二人の脚本家は2017年にはパイロット版に対して、SF文学賞として知られるヒューゴー賞の最優秀脚色賞が与えられました。彼らは第4シーズンまでシリーズのエクゼキュティヴ・プロデューサーも兼ねています。

 原作は邦訳が第1巻のみ上下巻に分かれて刊行されていますが、その上巻とドラマの第1シーズンを比較するだけでも、脚色に際して適切な再構成がなされていることが分かります。例えば、原作の前半では物語世界のうち小惑星帯の主要居住地(ケレス、ティコ・ステーション、エロス)および幾つかの宇宙船内部のみが描かれますが、ドラマではシリーズ第1話目から主要な葛藤の原因となる政治勢力(小惑星帯と内惑星、この場合は地球)が描かれています。脚色に当たり、物語世界の全体像がなるべく早く視聴者に提示できるよう、原作小説の構成がかなり変更されているのです。まず、物語が“語り手”から、映像作品にとっては普通である、匿名で全知の存在に手渡されています(後者を”image maker”と呼ぶ研究者もいますが、分かりにくければ、その映像作品の作者と考えてもいいでしょう)。

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