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ロマンポルノ無能助監督日記・第10回[『高校大パニック』パニック続報]

『高校大パニック』での、フォース助監督・金子の役割としては、数学の問題式を、撮影前に、黒板に白墨でそれらしく書いておくこと、生徒のノートがアップになった場合に備えて、計算式を手書きで埋め尽くしておくこと、であった。

3月に辛くも卒業出来た東京学芸大学は国立なので、入試は5教科で、小学校教員養成・国語学科といえども数学はあったが、受験科目は「数IIB」(すうにびー)。
この映画で必要なのは、その上のレベルの「数III」である。

博多の名門受験高校の設定だから、相当に難しく見える問題を書いておかないとならない。
これをスタッフの前で、スラスラ板書したらカッコいい、みんな労働者階級だから「インテリ助監督さんだね、ほほ〜」とばかり一目置かれるだろう、と妄想してみたものだが、数IIIだとスラスラ書けないから、新たに参考書を経費で紀伊國屋に買いに行って、それを書き写すしかないが、「何が正解か、どこが間違いかを現場で聞かれたら、教師のように答えられないといけない」と思っていたので、クランクイン前は、かなりアタマを悩ませた。

だが、いざ撮影が始まると、誰も、黒板の数学式なんて、見やしない。
正しいか間違っているかなど、分からないから、東大卒の鈴木潤一セカンド助監督が、サラッと確認する素振りを見せるくらいで、
「オッケーだね、金子くん・・・なつかしいね、積分かこれは。あ、もう見たくないや」
と言って、笑って立ち去った。

もう一人の東大卒、サード那須さんは、銃や弾着のことに夢中だ。
フィフス松井君は、カチンコを覚えることに必死だし、チーフ菅野さんは、ほとんど現場にいない。
澤田さんも石井君も、黒板見ても分からないだろう。
間違っていたら撮り直しもあり得るが、それらしく見えれば、誰からも問題にはされない。僕がOKなら、OKという世界だったので楽だった。

また、自分の高三の時の数学ノートを、エキストラ生徒用小道具として、十冊以上「必ず返して欲しい」と言って提供したが、これは撮影後、全部は返されて来なかった。
装飾の倉さんが、申し訳なさそうに「ごめんな」と言っていたのを思い出す。

僕は65歳になった今でも、高校の教科書を、本棚の裏側だが、すぐ分かるところに並べてある。 
英語、数学、日本史、世界史、生物、化学、物理、古典・・・“アンチョコ”と呼ばれた教科書ガイドも。
物理や化学は受験科目では無かったが、知識として重要だと思っていたから、せっかく勉強したものを、忘れたくない想いで取ってある。

この47年間に“何回か”、知識を確認するために開いた・・・“何回か”、だけど。

撮影時に提供した数学ノートも、数冊は戻って来たので、段ボール箱に戻してある。・・・捨てられない・・
僕が死んだら、家族が廃棄するしかないが、自分では捨てられないのよね。
それとも、いつかある時「捨ててしまおう」と思うのだろうか・・・父親が「資本論」5巻を捨てたのは、いつだったっけ・・・ソ連崩壊の後だろうけど。

しかし、思い返すと受験勉強って、たいして苦しく無かった。
助監督の、“理不尽”が多い仕事に比べれば。
『高校大パニック』の仕事は、精神的には、“助監督の理不尽さ”に抵抗しながらも多少は慣れだした頃に感じた、“受験時代の「理屈にあった人生観」に戻れるノスタルジックな時間”という一服の清涼剤だったろうか・・・

・・・屁理屈だな。何気取ってんの、仕事が出来ないんで、受験勉強の方がまだ良かったと思ってただけじゃ(゚∀゚)

数学は、足算引き算でよく間違え、得意では無かったが、問題が解けて答え合わせで正解だと分ると、単純な快感を得た。だから、その途中の思考過程が分る式が書いてあるノートを捨てられないのだな・・・って、もういい加減捨てろよー

だから、この「数学出来んのが、なんで悪いぃぃぃ!」と叫んで教師を撃ち殺す、というのは、マンガ的短絡の面白さとして受け取った。

それほど悪い先生とは思えなくとも、教師が銃で撃たれて血まみれになって倒れるところは、現場で見ていてスカッとする気分は、確かにあった。

だが、この城野は、その前に同級生女子をも巻き添えにして撃ってしまい、そのまま逃げている。
その子がどうなったか、倒れて痙攣しているカット以外の描写は無いが、胸の辺りに着弾しているので、相当な重傷で、この後、死んだかも知れない。
そう思うと、ケアも何もしないで逃げる城野には同情出来ない。
これ一本で仕事を止めた城野役の山本茂に対しても、個人的な感情も、エピソードも何も思い出せない。汗まみれで一所懸命に演じた彼の責任では無いのだが、役の設定というのは、やはり本人のイメージに影響を与てしまうだろう。

教室内パニックを演出するのも助監督の役割で、監督は全体を見ているから、助監督たちは、30人以上いる生徒たちの動きの、目についたところを修正するために、個々に指示を与える。
「もっと驚いて」とか「もっと後ずさって」とか単純な指示であるが、それが大声で何人もでなされ、撮影部、照明部それぞれの指示の声も混ざって、セット内は、テスト開始前は、怒号が飛び交うような、とても騒々しい状態になる。

彼らは、児童劇団から派遣された子たちで、多少の訓練はされていたようだから、指示を出す前に、台本を読んで、ある程度は理解出来ている。

そのなかに抜群に可愛らしい子がいた。(浅野温子の次に)
後に森村陽子という芸名で、何本もロマンポルノに出演することになるが、それは3年先のことになる。

浅野温子は、城野が先生を殴って教室から飛び出したシーンの後、黒板の前に立って問題が解けず、先生から、
「お前は、就職組だからといって、数学せんでいいってことはなかやろ、廊下に立ってなさい」
と妙な理屈を言われ、廊下に出るが、一礼して、ニヒルにそのままどこかへ立ち去って行ったので、ライフルを持った城野が戻って来た時には現場におらず、射殺事件は見ていない。

だから僕は、一番目を引くようになった森村陽子ばかり見ていて、なにか指示を与えたくなり、生徒が皆、のけぞって教室の背後に逃げ腰の姿勢のなかで、彼女だけに、撃たれた女生徒のもとへ、這いつくばって近づくように指示した。
逆の動きなので、目立つようにしてあげたつもりだった。

彼女からは「え?近づくんですか?」という顔をされたが、1回目のテストの時には正確にそのように動いてくれたところ、澤田監督が「おいおい、そこの女の子、なんでそういう動きするんだよ」と叱った。

「助監督さんからそう言われて・・・」と森村さん。
「どの助監督が」と澤田監督。
「あちらの・・」と森村さんに指をさされ、
「すいません!」と、焦って手を上げた。
「近づく理由がないだろ、まだ怖いんだよ」と澤田監督。おっしゃる通り。

33年後の2011年、自分のブログに「高校大パニックの思い出」を書いたところ、森村さんからコメントを頂いて、このことを良く覚えていると・・・
「助監督の金子さんは『しっかりせい』っていう感じでしたね」とのことです。
「金子さんが監督になられて活躍されているのも、嬉しくて応援しています。(ちょっと信じられないけど)」とのことです・・・( ̄◇ ̄;)
劇団ひまわりに入団して初めてオーディションに受かり、現場で受けた奇妙な指示は忘れられないだろう。その後も更に叩き上げていった現場育ちの森村さんから見た、助監督・金子に対する貴重な証言である。

森村さんは、この半年後撮影の小原宏裕監督『桃尻娘・ラッブアタック』(79年)では、ラストシーンに竹田かほりに憧れて告白する後輩女子高生を演じて、「桃尻がレズってる!」と言われる。クレジットには入っていないが。
実は、この役は、何人か候補がいるなかで、僕が「この子、お芝居上手いです」と、ファンキーさんに推薦したのだった。
単にちょっと好きだったから、だけなんですけどね(^。^)爽やかで、可愛かったのだ。だから、抜擢された時は嬉しかった。

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そして、やはりファンキー組『ANO・ANO女子大生の基礎知識』(81年)『Oh,タカラヅカ』(82年)を経て、那須さんのデビュー作『ワイセツ家族・母と娘』(同)で主役に抜擢。
もう、この時は、僕の推薦とかは関係無く、脇役から主役に躍り出たところだった。

城野が伊原先生を射殺後、大きなライフルを持ったまま校内を逃げ回るというのは、かなり不自然で、普通、学校からは逃走するだろうと思うが、中洲の銃砲店での盗難がこの学校の生徒だと通報され、それを報せに来た警官(上田耕一)と、教頭(江角英明)との会話を物陰で聞いた城野は、いったん校外に逃げようとするのだが、校門付近でパトカーから降りた別な警官(椎谷健二)に目撃され、校内にUターンして戻る、というシーンがあるから、一応のエクスキューズはなされている。

澤田監督は、こういうところは丁寧だ。

アクションとは、繰り広げられる空間を限定する方が、サスペンスは高まる。
バトルフィールド=リングを設定する、と言える。
この場合、学校内だけの話にしないと、予算的にもはまらないし、そもそも企画の狙いはそこにあるから、あの手この手で城野を校内に追い込み、狂気を高めて、「より危険な存在」にしようと演出している。

だが、3年7組で6発の銃声と生徒たちの大きな悲鳴があっても、全校的には聞こえていないで授業は粛々と続いている、という“不自然な設定”に気がついてしまうと、この後の展開は納得出来なくなるから、隣のクラスの先生や教頭が7組にやって来て惨状を見るが、生徒は教室から出さないことにしている。

城野が、校内の人目につかない場所に逃げこんでゆく、というのを、ロケとセットを交互に組み合わせたカットで重ね、校内のどこら辺りにいるのかが分からないように撮ってゆくが、「人目」にあたる描写は無い。
撮影は、ここまで、4日くらいかかっている。

教頭が、放送室から、「先生方は職員室に集合して、生徒はそのまま教室から出ないで、待機するように」と放送すると、ある教室では教師が教室から出ていくと、「自習だ、バンザイ!」と大騒ぎになる。
こういうところの助監督としての指示は、生徒の動きを派手にすれば良いわけだから、やりやすく、楽しい。椅子の上に乗ったりさせて。
自分が監督した『イヴちゃんの姫』でも、『就職戦線異状なし』でも、同様の「自習バンザイ」シーンを撮って、その時は楽しい気分になった。

このシーンを撮って調布で焼肉、烏山で二次会まで飲んだ翌日は、「諸準備」となって、新宿武蔵野館に『スター・ウォーズ』を、学芸大4年生のカノジョと見に行った。

映画雑誌で大宣伝が繰り広げられていたから、見た時は“既視感”(既に見たような感じ)があって驚きが少なく、僕は大して感心しなかったが、カノジョは「私にとってヒットだわ〜」と興奮していた。
それがちょっと悔しかった。
高校大パニックでは、スターウォーズに勝てっこない悔しさだったろうか・・・子供の頃からSFが好きで、こんな映画は作れるものなら作りたかったが、日米、同じ映画界に潜り込めたと言っても、観客でいるより、更に遠いところに来た気がしていた、からか・・・

学校の表周りや、校庭のシーンは、目黒の学芸大学付属高校で撮られた。
伝統ある名門校が、よくぞ貸してくれたものだと思うが、内容をきちんと伝えたかどうか怪しい。制作担当は、口の上手い天野さんだし。
ただ、この時代は、結構、学校ロケは多く、担当者にお○を握らせるようなこともあった・・かも、ですね。
7月23日、27日、30日と、すべて夏休みの三日間で撮っているから、教員とは全く会っていない。

ここで、被弾した女子を運ぶ救急車と入れ替わりのパトカーに乗って、現場の指揮を取る福岡県警特捜課長・青木義郎が登場する。
TVの「特別機動捜査隊」や、『新幹線大爆破』に出ていたので、顔は良く知っている俳優だ。

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城野は、校外に逃げようとして塀を登るが、次々現れるパトカーが学校を囲んでしまって表に出られず、再び校内に追い込まれ、廊下で刑事たちにバッタリ会ってしまうと慌てて逃げて発砲、更に、女子便所に逃げこんで、女子を人質にして、たてこもり、助けようとした警官を撃って、また階段を登って逃げる。
女子便所のシーンは1日がかりだった。

改めてDVDを見ると、城野=山本茂は、汗まみれで怒鳴りまくり、殆ど芝居らしい芝居は無いから、演技が上手いか下手かは、さっぱり分からないが、運動能力は相当に高いことが分る。走るのは早いし、走りながらライフルを撃つのも様になっている。
受験校のエリートには全く見えないけど・・・

たてこもり場所が女子トイレだと分かったので、青木の指揮で、順次生徒の避難をさせるが、避難の途中に城野が現れてしまい、階段はパニックとなる。

これはかなり危ない撮影だった。
階段のセットは、二階までしか作られていないが、上の踊り場から50人くらいの生徒を待機させ、「ヨーイハイ!」で一斉に駆け下りてくるのと、ライフルを抱えた城野が駆け上がってゆくのとを交錯させるから、階段はミシミシ言って、セット全体が揺れ、ここが崩れたらどうなるんだ、という不安と、生徒が将棋倒しにならないだろうかという心配のなか、撮られた。
4階まで駆け上がる設定なので、何度もダブらせて撮られた。
刑事も生徒にぶつかりながら駆け上がる。
床に転ぶ生徒もいたが、幸い怪我人は出さなかった。

学芸大附属高の中庭を走って逃げる200人くらいの生徒のシーンは、情報誌「ぴあ」に載せて応募した高校生エキストラにお願いしたが、この高校生のなかに映画評論家から『インターミッション』(2013)『葬式の名人』(2019)で監督となった樋口尚文さんがいたそうで、今や何万円かのプレミアがついているDVDも、樋口さんからお借りして再見している。

樋口さんによると、芝生でロケ弁食べてるセーラー服の美少女・浅野温子は相当に色っぽかったそうだが、映画のなかでは図書室(セット)でサボって、鼻歌を歌い、周りからヒンシュクを買う。
この歌が何なのか、いまは聴き取れない。山崎ハコあたりだろうか・・・
「こわれました言葉が こわれました 赤いアンブレラ・・」と後で歌っているのは分る。

そこに城野が飛びこんで来て、追手と銃撃戦の後、一人の女生徒が窓からヘリコプターに助けを求め、女生徒は誤って転落する。
ヘリコプターは多摩川に呼んで、ラストの日に別撮りした。
女生徒が落ちるカットは、人形を使い、五反田にある当時の東洋現像所(現・イマジカ)で撮られた。

この現像所での撮影を終了して移動する時、エキストラをバラす(解散させる)など、後片付けをしていた菅野さんと那須さんが、ロケバスに戻って来て乗るのを待たず、「もう出していいんじゃないの」とスタッフに言われ、先に行ったのだろうと思い込んだ僕のOKで発車させてしまい、現像所に置いてきぼりにして、二人は第二現場に電車とタクシーでやって来て、呆れ顔をされて叱られ、僕は自己嫌悪に陥った。
まだ、10人以上の現場指揮は無理だった。

続く映画の進行は、河原崎長一郎の、理解あるふうな先生と、梅津栄と赤座美代子の両親がハンドマイクを使って必死に自首を呼びかけるが、逆に火に油を注ぐように城野の感情はキレて、「帰れー、帰ってくれよー!」と泣きながら銃を撃つことになる。

この時、回想で、「夏の宵、先生とビールを飲み交わす城野の穏やかな表情」とか、「貧乏な家で、狭い勉強机の前で励んでいる」とか、いろいろ切ない場面が入ってくるが、彼の異常な行動を理解させようとするものではなく、“もう元には戻れない過去”、という感慨を生み出す。
先生は「人質を放して出てくれば、輝かしき未来もあるのやぞ」と言うが、父親は「潔く自首して死刑になれ!」と叫ぶ。
城野は、後悔も含んだ、激しく悲しい泣き顔になって、銃を撃ちまくる。ここは、ちょっと泣ける。

これは、68年〜69年の永山則夫による連続ピストル射殺事件や、70年の瀬戸内シージャック事件などを想起させ、映画は、城野の死によって終わるしかない、という予感がしてくる。
そして、青木指揮官は、狙撃隊を配置させるのだった。
一方で、事件は、TVニュースにもなって、一般に知られてゆく。

撮影は、僕が参加したのは23日間だが、連れて行って貰えなかった博多ロケ4日が加わるので、計27日間だ。
完成した映画の博多ロケは、重要なシーンが多く、そこにいないことで、更に「お客さん」的な立ち位置になってしまう無能助監督でスイマセン・・・

本隊が博多に行っている日々は、名画座で『ニューヨーク、ニューヨーク』や、カノジョ以外の女子と『エロチックな関係/人妻集団暴行致死事件』や、『黄金のランデブー』や『ピンチクリフグランプリ』などを見ていた。

城野は、遂に浅野温子一人だけを人質にして、強引に手を引っ張って屋上にかけあがり、そこにある建物にたてこもる。
学芸大附属高の屋上に、馴染んでコンクリ製に見えるようにベニヤと角材で組み立てた「化学室」である。古い建物には良くある物置小屋のように見えて、良く出来ている。

ここに最後に追い詰められた形になり、機動隊が盾を立てて近づきつつ、狙撃隊が屋根に登って城野を狙う。
城野が我慢しきれず、扉に向かって小便をすると、浅野温子も部屋の隅でしゃがんで用を足すという場面もある。二人は、それで、ささやかな気持ちを共有して、浅野が煙草を吸って、城野にも与えたら、城野は咳きこむ。博多名物の「山笠」を担ぐ城野のカットも挿入される。

学芸大附属高最後の撮影の7月30日には、事件を知ったヤジ馬がやって来るシーンで、軍艦マーチを奏でる右翼の街宣車も登場する。

右翼を演じたのは、16ミリ映画『特攻任侠自衛隊』(77年)を、“騒動社”として自主制作した飯島洋一さんである。
「生徒がぁ、教室で教師を撃ち殺すとは前代未聞!なんたることか!これもすべてぇ、戦後の誤った民主教育を信奉したぁ、アカの教師たちがぁ、生徒を放任し、アカの精神に身を入れ過ぎた結果であるぅ!」
という演説をウルサイと言う住民と殴り合いのケンカになる。

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また、別場所でヤジ馬同志のケンカで、泉谷しげるさんも来て、大暴れしてくれて、この映画で最も楽しいシーンになった。
こうしたゲスト的な人たちの演出は、石井君が先ず彼らと話して、澤田さんがサゼスチョンするようにカットを割って撮る、というスタイルだったから、スムーズに運んだ。
飯島さんや、泉谷さんは、石井君を応援する同士のような存在であった。
この日は、明日クランクアップという大詰め感がありながら、それまで殆ど現場での存在感の無かった石井監督が生き生きして見えた。

この30日、スケジュール終了近くの夕方になっても、まだ日照時間に余裕があって、従ってスタッフも焦ってない状態で、「車中で待機している機動隊員たち」という、その日予定の最後のカットを撮る際に、澤田監督が、
「石井石井、ヨーイスタートかけてみな」
と、言って、後方にいた石井君を前方に呼んだ。
「監督なんだから、一回くらい、ヨーイスタートかけないとまずいだろ」
と、にこやかで優しい感じである。

撮影日程としては、翌31日の多摩川でのヘリコプター撮影を残すだけで、それに「ヨーイスタート」をかけても、ヘリの音で聞こえないだろうから、これが最後の機会だったと言える。

数秒のカットだし、動きも無いから、“演出をまかす”というのとは違い、単にスタートの合図をかけるだけのことだが、数十人のスタッフに対して「ヨーイスタート」をかける、というのは“おおごと”なのだろう。

石井君も僕も、高校時代に仲間と8ミリ映画を作るところから始めているので、「ヨーイスタート」を言うこと自体に、そんなに価値があるとは思ってないが、澤田さんの世代からすると、そこまで辿り着くのは大変なことだったはずだ。

特に、この場面は、山崎善弘さんという澤田さんよりずっとベテランのカメラマンに対して気を遣った、と思う。
善弘さんのカメラマンデビューは57年、中平康監督『誘惑』(千田是也・左幸子)であり、澤田さんは70年『斬り込み』(渡哲也)がデビュー作である。
石井君に言う前に、善弘さんにはひとこと耳打ちしていたんじゃないだろうか。

石井君は、前に出て、なんら、照れることもなく、堂々と、
「じゃ、本番いきます」
と、言うと、我々助監督は、「本番!」「本番!」「本番!」と怒鳴る。
そして石井君は中腰に構え、一瞬の間を置いて、
「ヨーイ、ハイッ!」
と言った。監督らしく見えた。

ところが、カメラはスタートしなかった。

カメラは山崎カメラマンが構えているが、重たいバッテリーにコードで繋がれ、そのバッテリーを肩からかけている撮影助手が、コード途中にあるスタートボタンを押し上げる。
すると、カメラ回転音がして、それを聞いた助監督がカチンコを叩くのが常だが、この時は、松井君がカメラ音を確認しないでカチンコを叩いた。
撮影部が、「ちょっと待って」と言った。
カメラが、バッテリーに繋がっておらず、外れて落ちていたのである。
誰かが「なんだよ〜」と言った。
「やっぱり石井じゃダメじゃん」・・・と、いう声があったかどうか、記憶は判然としないが、意地悪な杉やんが言いそうなセリフだ。本当に言ったのか、僕の中で作ってしまった記憶か・・・
今に至るまで、ずっと謎である。そのとき、特に追求しなかったから。
単に偶然、間違って外れていたか、故意に誰かが外していたか、どちらとも考えられるが、カメラとバッテリーを繋ぐ役割を担っていた撮影助手は、石井君の仲間である狂映舎の一員なのだ。
だから、これは彼のウッカリというのが一番可能性が高い、と思うが、現場には寒い風が吹いた。そして、助手の「すいません!」の声があって、すぐさまバッテリーは繋がれ、もう一度、石井君の「ヨーイ、ハイッ!」で、事なきを得た。

『高校大パニック』の現場を思い出す度に、このことを思い出すが、真相はどうだったのか、誰とも深く語り合ったことが無いまま42年経ったから、今に至るまで分からない。
石井君とも、この話をしていない。
そんな大したことになっているわけでは無いわけだし・・・

バッテリーは狂映舎の彼が担いでいたはずだ、というのは今、書いていて思い出したことで、それまでは誰かの故意ではないか?という疑いを持っていたから「やっぱり石井じゃダメじゃん」というセリフを頭の中で作ってしまったのかも知れない・・・ただ、最初にカメラが回らなかった、ということだけはハッキリ覚えている。

その後の映画の進行は・・・
たてこもった屋上の化学室では、狙撃隊を見つけた城野が焦ってバリケードを作ろうとして机を立てると、フラスコなどが落ちて割れ、火災が起こり、煙が巻き起こる。
実際の撮影でも、激しい煙が起こって、スタッフ全員逃げたくらいだった。
火も大きくなり、消化器を本人たちに使わせたが、動きを大きくしようと右往左往させたから、かなり危険な撮影だったと思う。
その煙を見て、射撃命令が降るが、雨も降らせて、狙撃隊からは目標が見えにくく、誤射して浅野温子の方に当たってしまう。即死だ。

彼女の胸をはだけて血痕を見て、耳を近づけ心音を聞いても無音、城野は更に狂って叫び、ライフルを撃ちまくる。
屋上に待機したジュラルミンの盾を構える機動隊に突入命令が降る。
このあたりは、6年前の連合赤軍事件を思いながら、撮っているだろう。

大勢の警官に確保された城野は、
「離せよー、離してくれよー、来年受験があんだよー、ラジオ講座があんだよー」
と叫ぶが、突然、何を言うか、という感じを受けてしまった。
石井君オリジナルの8ミリでは、これが“叫び”では無く、“呟き”だから奇妙で面白いのに・・・と、その時は思って見ていたが、でも、まさか、澤田監督に、現場で意見することなど考えられない。

事件が落着した後、雨上がりの校庭で、警察・機動隊が散会してゆくのを背景に、校長・教頭で「明日の授業出来るのか」と話すシーン、浅野温子の遺体を前にした母・宮下順子の嘆きのシーン、城野の両親の呆然としたシーンが点描される。
そのなかで、城野の母が「安弘、就職出来るんかね・・・」とポツリと言うのが、僕には印象的だったが、狂映舎側のプロデューサー、大屋龍二が、アフレコの時、「こんなこと言うのはおかしい」とブツブツ言っていたのを思い出す。

青木指揮官は、人質誤射に対して、何ら感情を見せることなく、「終わったんだ」と言ってパトカーに乗って去ってゆく。
この時代、もし、こういうパニックが起こったら警察はどう対応するのか、世間はどう反応するのか、というシミュレーションとして、丁寧に描こうとしたのだと思う。「過激派」という言葉も聞かなくなってきた時期で、治安に関しては安定していて、前年に毒入りコーラ事件が起きたくらい、という時代相であった。

ラストは学校のヘリコプターからの俯瞰ショットが遠ざかるところに、城野の「来年、受験があるんだぁぁぁ、ラジオ講座があるんだぁぁぁ」という声が被るのが、どうも違うという気がしてならなかった。

音楽も、フュージョン系の「スペースサーカス」が入るが、石井君は、かなり抵抗していて、「ハードロックのバウワウがいい」と主張していた。僕は僕で、この頃にヒットの兆しがあった「ミスターサマータイム」を推薦して、レコードを澤田さんに聴いてもらった。「喪失感の歌だな、これは」と澤田さんは言った。しかし、結局、スペースサーカスに決まり、石井君は「バウワウだ」と呟いていた・・・というのは、8月3日の編集ラッシュの日の話だった、であろう。

僕は、ダビングに参加することなく、続く西村昭五郎組の『蝶の骨』サードに配属され、8月7日からクランクインで、撮影中の11日に抜けるのを許可されて、現像所での初号試写を見て、松井君、大屋君と食事しているが、何を話したかは忘れてしまった。ダイアリーには7千円おごった!としっかりセコく書いてあるが・・・

その後、何度も松井君、石井君と飲んだが、そっちはワリカンだったろうなぁ、初号試写の日は、現場の先輩格という認識であり、那須さんからは「(そういう時は)おごることだよー」と言われていたもので・・・

8月19 日『高校大パニック』は『帰らざる日々』と二本立て公開され、壮絶にコケる。完成してから9日後か・・・早いな・・・

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思い出してみると、石井君とも松井君とも、あまりこの映画の話はしていない。

石井君も、当時いろいろ悔しい想いは相当あったろうが、愚痴るようなことは全く言わない。「男らしい」とか言ったら、今いかんの? 常に、次作る映画への想いを語っていたように思う。僕もそうしたいんだが、急に無能助監督日記を書きたくなったこの時代ですよ・・

2年後の80年、『狂い咲きサンダーロード』を見た時、ああ、これがやりたかったことだったんだろうな、僕も、こんなふうにやれるだろうか、という感慨を持って、心から興奮して、そして、ちゃんと言わなかったけど、感動したよ、石井君。

(以下は、当時のプレスシートになっております)

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