金子修介

1955年6月8日 東京・渋谷区初台生まれ 都立三鷹高校1年(71年)の時にクラスメー…

金子修介

1955年6月8日 東京・渋谷区初台生まれ 都立三鷹高校1年(71年)の時にクラスメートと8ミリ映画を制作し、映画監督を志す。東京学芸大学小学校教員養成課程卒業後、78年助監督として日活に入社。84年『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビュー。

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    未発表のシナリオを小説形式にした「映画小説」/第一弾は国際アイドル物語「セブンカラーズ・ストーリー」全5話/

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[ロマンポルノ無能助監督日記・第39回]  話がズレて『メイン・テーマ』不真面目助監督日記になりつつあるんですけど・・・ 

「由加の家」からクランクイン 『メイン・テーマ』は、84年2月24日にクランクインした。 ダイアリーには日活撮影所で「由加の家」Setって書いてあるけど・・・あれ? 千葉から大阪に転勤して、更に神戸の須磨に引っ越したらしい御前崎渡(財津和夫)を恋する小笠原しぶき(薬師丸ひろ子)が追いかけて来るので、ここは「渡の家」なんじゃ・・由加(渡辺真知子)は奥さんだから、何故、「渡の家」になっていないのか、と今にして疑問。 翌25日は鎌倉ロケの披露山公園住宅で、「由加の家」の庭。

    • [ロマンポルノ無能助監督日記・第38回]  『濡れて打つ』で監督になったばかりなのに『メイン・テーマ』の助監督かよブツブツ・・・

      監督になっても「無能助監督日記」は完結出来ない・・・ 助監督を6年7ヶ月やって、『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(84年2月公開)でやっと監督になったばっかりなのに・・30になる手前のギリギリ28歳6ヶ月で・・それがまだ完成0号(1/24 )の前だってのいうのに・・ダビング終わって2日後の84年1月20日、撮影所で森田組『メイン・テーマ』スタッフ顔合わせだとよ、チーフ助監督だとよ、ブツブツ・・・ 一昨日まで「監督」で、今日は「助監督」かよ、同じ場所でさぁブツブツ・・・ と思い

      • ロマンポルノ無能助監督日記・第37回[『濡れて打つ』監督日記で完結出来るか? ]

        金子修介28歳の映画監督デビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』の演出部は、チーフは一期下の池田賢一(27歳)、セカンドは三期下の明石知幸(25歳)、サードのカチンコには新人の川越修(多分25歳)という布陣になった。 山本奈津子は撮影時18歳。 池田とは、小原組でのチーフとセカンドの関係で、良くファンキーさん(小原宏裕監督)に調布のカラオケ店に連れて行かれ、一緒に歌ったりしていたから気心が知れている。 明治大学出身で、百恵ちゃんファンで山口百恵の歌を良く歌っていたが、人の歌の「

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        • ロマンポルノ無能助監督日記・第36回[山本奈津子主演『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビューやった!]

          金子のロマンポルノ監督第一回作品『宇能鴻一郎の濡れて打つ』は、83/11/9、小沼組『奥様はお固いのがお好き』撮影中の撮休日に社長室に呼ばれて内示があり、「山本奈津子主演、6日撮影で55分、500万の予算」だと言われ、11/16の最初の撮影所での打ち合わせでは、プロデューサーとして指名された上垣保朗さんが「俺は監督に専念する」と言って去り、2日後11/18に本社に呼ばれると代打の三浦朗プロデューサーが来ていて「ホンまでは俺が面倒みてやるから」とにこやかに言って下さったが、自分

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        [ロマンポルノ無能助監督日記・第39回]  話がズレて『メイン・テーマ』不真面目助監督日記になりつつあるんですけど・・・ 

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第35回[那須さん『百合族』で山本奈津子デビュー、金子はビデオ監督後五月みどり『奥様はお固いのがお好き』チーフでホン直して監督昇進来た〜

          那須博之監督『セーラー服・百合族』が公開になったのは83/6/24で、5/27に僕はスタッフでも無いのに撮影所オールラッシュに潜りこんで見ている。心配だったのだ。基本、試写室の出入りは社員なら自由だが。 前年の那須さんのデビュー作『ワイセツ家族・母と娘』は会社から散々な評判で、その後の騒動は、第23回「那須夫妻と飛んでカルカッタ」に詳しく書いたように、武田靖制作本部長から「自衛隊なら反逆罪」とまで言われて辞表を書いたが踏みとどまり、それから一年後、那須さんはやっと第二作目を

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第35回[那須さん『百合族』…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第34回[『少女暴行事件・赤い靴』と『魔法の天使クリィミーマミ』と島田満さん]

          撮影所に大悪評が巻き起こった『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』は、伊藤秀裕監督・渡辺良子主演『猟色』との同時上映で6月10日(83年)に公開され、客の入りも相当悪かった。 鈴木潤一監督は、この後の児玉高志監督・岡本かおり主演『ケンちゃんちのお姉さん』(12月2日公開)のプロデューサーとなり(当時、監督がプロデューサーを命じられるのは“降格”というイメージがあった)、何か出演者トラブルがあったようで、鈴木さんも児玉さんも、その後2年ほど仕事が無い状態になってしまった。会社から干されたの

          ロマンポルノ無能助監督日記・第34回[『少女暴行事件・赤い靴』と『魔法の天使クリィミーマミ』と島田満さん]

          ロマンポルノ無能助監督日記・第33回[岡本かおり主演・鈴木潤一監督『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』で脚本チーフ出演、不評の嵐が伏線と・・

          『家族ゲーム』の仕上げ(ダビング)を抜けて、鈴木潤一監督『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』の脚本とチーフに指名され、撮影所・大江戸食堂での打合せに参加したところ、鈴木さんは「岡本かおりに宇能鴻一郎は合わないよ。宇能鴻一郎なんてもう古い」と言い出して、プロデューサー・秋山さん、企画・成田さん、企画助手・小松君らは一瞬フリーズしていた。 おいおい、この映画は宇能鴻一郎じゃないんか・・・ なるほどそれは「会社からのお仕着せ企画」だったろうが、巨匠・衣笠貞之助のスクリプターからキャリアを始

          ロマンポルノ無能助監督日記・第33回[岡本かおり主演・鈴木潤一監督『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』で脚本チーフ出演、不評の嵐が伏線と・・

          ロマンポルノ無能助監督日記・第32回[『家族ゲーム』で松田優作から「最高のチーフ」と言われた訳は・・・]

          『家族ゲーム』の企画者である山田耕大著「昼下がりの青春」によると、最初に森田さんの希望で、家庭教師吉本役を桑田佳祐にオファーしたところ、サザンオールスターズを発掘してアミューズを立ち上げた大里洋吉社長が「シナリオは私はすごく気に入って、桑田に読ませたら絶対やるだろうし、音楽そっちのけで映画に没頭されて我々はオマンマの食い上げになるから、今回は勘弁して欲しい」と頭を下げて断ったのだそうである。 その後、松田優作が興味を持っているという情報から、「大スターがまさか」という思いで

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第32回[『家族ゲーム』で松…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第31回[スリランカから帰って『家族ゲーム』で松田優作に呼ばれOKOK]

          恒例になっていた年末年始休みを利用してのアジアバックパッカー、1982年は那須夫妻と離れ、大晦日に入国した“スリランカ一人旅”は波乱万丈だった。 着いた日のホテルは決まっていたが、翌83年1月1日からは「何も計画せずにバスで毎日違う町へ行く」というテーマで、バスから降りると、全く初めての、ピーカン酷暑でカラフルな光景のなか、何人もの訳の分からない言葉が話しかけて来て、「が〜ん」という効果音が耳の中で響いているようで、呆然と30分くらいその場にブッ立っている、そのうち、「ホテ

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第31回[スリランカから帰っ…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第30回 [森田芳光監督『ピンクカット太く愛して深く愛して』→『家族ゲーム』の伏線カットあり]

          確か、小原宏裕組『Oh!タカラヅカ』の撮影の最中に、山田耕大から電話があって「次の森田(芳光)組やって欲しいんだわ、森田さんから金子の御指名あって」と言われたのじゃなかったっけな、ちょっとハッキリしないが、 「え〜、またモリタ入るの?」 と先ずは言ったであろう。 寺島まゆみ主演で『ピンクカット太く愛して深く愛して』である。 「なんで俺?」 セカンドは空いてれば即、目の前に入る組に就かせられるが、チーフとなると監督との“相性”が結構重要なので、機械的に割り振りされないよう制作

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第30回 [森田芳光監督『ピン…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第29回[風祭ゆき主演『女教師狩り』でチーフ昇進、渡辺良子とも『ザ・ジゴロ』で共演しカラオケビデオ演出、美保純も登場]

          金子のロマンポルノ初チーフ助監督は、『東京地検物語』に続いての鈴木潤一監督・風祭ゆき主演の『女教師狩り』で、撮影は82年7/26~8/5までの9日間、公開は8/29から藤井克彦監督・志麻いづみ主演『団鬼六・蒼いおんな』とのカップリングとなっている。 脚本は、後に『百合族』シリーズを書くが、94年に42歳で早死にしてしまう斎藤博のデビュー作。 読んで、語尾で言い切らないセリフが多く、曖昧な印象で、登場人物の心理が良く分からないと思った記憶がある。 この2年後の『OL百合族19歳

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第28回[中原俊監督デビュー『犯され志願』脚本直して『聖子の太股ザ・チアガール』脚本書いて大失恋]

          81年末に小原宏裕監督『ズームアップ聖子の太股』(公開は82/2/26 )の脚本を書いてセカンドに就いたり、評判は良く無いが “エロビデオプロジェクト”でも1本撮ったり、TVアニメの脚本書いたりもしているということで、社内では26歳の、ちょっと目立つ助監督になっていたはずで、それもこれも発端は城戸賞最終選考まで残って「落ちた」のが“勲章”のように作用したみたいだ。 中原俊弘さんは、那須さんと同じ2期先輩4歳年長の優秀助監督として評判高かったが、その中原さん30歳の監督デビュ

          ロマンポルノ無能助監督日記・第28回[中原俊監督デビュー『犯され志願』脚本直して『聖子の太股ザ・チアガール』脚本書いて大失恋]

          ロマンポルノ無能助監督日記・第27回[池田敏春さんの言葉聞き『聖子の太股』書いて家を出る?]

          「これからはビデオの時代だ。映画はもう終わりだよ」と啖呵きった撮影所制作調整課長・松崎恒夫氏の陣頭指揮で始まったエロビデオプロジェクト・・・ 僕は30分の『セクシー・マリンブルー』をパラオで撮り不評、やはり30分モノのシナリオ『誘惑されて』を4期先輩の池田敏春さんの為に書いたが、「ここで脱ぐなんてゼンゼン聞いてないわよ、話が違うわ」と、夏木マリがセットから帰ってしまったことで、その作品は潰れた。 新宿中央公園で30人のダンサーを踊らせるという1日がかりのシーンは、全くの無

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第27回[池田敏春さんの言葉…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第26回[「うる星やつら」「ブライガー」書いて押井さんの超昔話から1981年の映画情勢〜『聖子の太股』へ]

          記録はしてないが、「うる星やつら」の3話4話ぶんのギャラは、合計12、3万くらいだったと思う。30分番組だが、実質は26分で、各話13分。 それを7/24~7/28の5日で書いている。 ダイアリーには日々、「うる星・15枚」「うる星・25枚」とか、ペラ(200字詰め原稿用紙)の枚数を記録している。 日活の月給は10万切る時があったから、これはとても効率いいバイトだ。 残業が多い月は15万まで行くことはあったが・・・いや、入社した年は、20万越えた月もあったが、「経営健全化闘争

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第26回[「うる星やつら」「…

          ロマンポルノ無能助監督日記・第25回[フラッシュバック✨押井守さんとの出会い⭐️パラオエロビデオの顛末⭐️うる星やつら]

          今回は超過去の回想から入りマス・・・(Netflixの海外ドラマ形式で) 三鷹高校の3年間では毎年1本、文化祭で発表する8ミリ映画を作っていたので、学芸大に入ったらスグ「俺は絶対に映画研究会に入って映画を作るぞ」と力んでいたのだが、オリエンテーションでは紹介も無く、冊子にも載ってない。当然勧誘もされないし、映研てあるのか?と探したら、あった。 「サークル長屋」というボロボロの建物(戦時中は陸軍練兵場の兵舎だったらしい)の窓にペンキで「映像芸術研究会」と書かれてある。 が、毎

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          ロマンポルノ無能助監督日記・第24回[麻吹淳子『ビニール本の女』の頃、押井守さんから「うる星やつら」読んでる?と電話アリ

          ちょうど今から40年前になる1981年正月、カルカッタから那須夫妻と帰り、1/6から昨年末まで撮影していた藤井克彦監督『OL縄奴隷』のアフレコを開始、1/19には五反田の東洋現像所(現イマジカ)で0号試写で完成、五反田駅前で監督、児玉高志チーフ、秋山みよスクリプターらと正月気分が残る鍋料理となった。 城戸賞落ちた話はしたろうか・・しなかったろうな。 この作品は、根岸吉太郎監督・風祭ゆき主演『女教師 汚れた放課後』と同時上映で0号から4日後の1/23に公開となっている。 4日

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