見出し画像

Overnight Sensation 〜時代をだれかに委ねたい〜

Title: Overnight Sensation
Performed by: TRF
Composed and written by: Tetsuya Komuro

 1995年の5月、その年の3月から不意にいなくなっていた兄がどうやら富士山へと単独行に出ていたらしいという話をふと聞きつけた。ひとりで冬の富士山頂をアタックするなど、兄の登山技術からしたら死にに行くようなものだったはずだ。
 兄の職場である進学塾の生徒から訊いた情報で、なんとも心許なかったが、たしかにもぬけの殻となっていた兄の下宿先にも富士山行をにおわせるメモなどがあった。とりあえず山梨県警、静岡県警に話をしてみようということになり、父親とふたりで出かけた。当時は父親の会社の社用車としてコルサというちいさなクルマが家にあり、それに乗って富士山近くの警察署めぐりをした。
 兄が大学の寮を出て下宿をしだして以降、そのコルサで何度となく千駄木の実家から兄の下宿先があった埼玉県蕨市へと兄を送り届けた。その道中によく「片手運転は危ない。とっさの時に対応できないから」と、さらにその昔そうだったような高圧的な態度ではなくやんわりと注意してくれたことをいまでもよく思い出す。ふたりとも大学に所属していたこのころが、もっとも普通の関係の兄弟だった時期であろう。この時期をもう少し長く過ごしたかったようにも思う。
 父親との道中のことはよく覚えていない。警察署めぐりのあと、いまはなき上九一色村あたりの道をゆっくり走っていたら、ピンクフロイドのアルバム「原子心母」のジャケットに登場するホルスタイン牛にそっくりな、それはりっぱな牛が、道のど真ん中でのんびりしていたことと、ラジオからTRFの "Overnight Sensation" が何度も流れていたことだけが記憶にある。おかげで「時代はあなたに委ねてる」というたいそうなサブタイトルがついたこの曲が、ぼくの1995年を象徴するものになった。
 当時のぼくは、兄のことやそのほかのことをすべて、だれか遠くの他人に委ねたいくらいだったはずだ。実際兄の死を確認して葬式をしてから少なく見積もっても半年間は、世の中の流れを無視して学校にもいかず家にもあまり寄りつかずに、ただただスーパーファミコンで「信長の野望 武将風雲録」というゲームをやるか、石神井公園駅南口にいまもある古本屋で一冊10円の本をかたっぱしから買って読むという毎日を送っていた。
 その翌年には、いったいどのような運命のいたずらだろうか、この曲の作詞・作曲を手がける小室哲哉さんと直接会って仕事(といっても右も左もわからないデッチ状態だったけれど)をすることになる。もしもタイムマシンがあったとして、コルサを運転していたころの自分にそれを伝えても、きっと悪い冗談だと信じてもらえないことだろう。それくらいこの曲には不吉な陰がつきまとっていた。いまではその陰もぼくを形づくり立体的にさせたもののひとつだと思える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?