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離れても感じるその想いとともに。〜ドライヘッドスパサロンオーナー 山根周さん〜

私が感じたあなたを切り取り綴るshutter

ご依頼者様と対談、感じたことやその魅力やストーリーを綴る企画です。


生まれ育った母国を離れて、生きていく。例え家族と離れても。

それほどに大きな気持ちを持って、生きたことがあなたにはありますか。

私には、なかった。

だからこそ、今回の対談では、自分の国の中でしか生きてこなかった私の世界の大きな風穴となり、また、「私の心で生きていく」と言うことの強さを知ることができました。

都内吉祥寺で「都心から30分で味わえるリトリート旅」ドライヘッドスパサロンを経営される 山根周さんをご紹介します。

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周さんとは今回の対面が初めまして。

実は私にとっては、たっぷりとお話しする初めての韓国出身の方。

どんなお話ができるのかと、楽しみに向かった待ち合わせ場所でした。


現れた周さん(ヒョンジュさん)は、とってもフレンドリーで、コロコロと笑う顔は本当に楽しそう。表情豊かに話してくれる姿がなんとも楽しそうで、それを見ているだけでついこちらも笑顔に。

そんな周さんがここ日本にきて、そしてドライヘッドスパサロンを経営されるに至った、道のりのお話。

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韓国ソウルの出身の周さん。

国家公務員として、韓国の大統領の表彰を受けるほどのお仕事をされながらも、税理士として転身独立、ご自身でお仕事の道を開拓された、おおらかに見守ってくれたお父様と、我が子の将来を強く願うお母様との間で育った周さん。

小さい頃から、なぜか「漢字」に興味があったそうで、周さんにとっては漢字が目を引く存在。なんとなく気になる、目に留まる。子どもの頃に習字を習っていたこともあり、自然と日本語を学ぶことに興味がでてきたそう。

周さんが学生時代を過ごした当時の韓国は、今よりもまだまだ学歴の影響が大きい社会だったそうで、だからこそ、親御さんの教育に対する熱意や関心も高く、我が子への干渉が増すこともあったようです。もちろんそれは「幸せになってほしい」と言う、親御さんの愛情ゆえのもの。

周さんのお母さんも、厳しい一面もお持ちだった様子。

お兄さんはとても成績が優秀。それとつい比べられてしまう日々。子どもの頃は夏休みや冬休みに入る日、配られた成績表を持ち帰る日がなんとも憂鬱だったと、教えてくれました。

あぁ、またお兄さんと比べられて叱られる・・・・そう思いながらとぼとぼ歩いた帰り道。

でも、そんな話をしながらも周さんは、お母様とは決して「ただ険悪」だったのではなく、時には心苦しい時がありながらも、お母様にも堂々とものを申され、聞いている私からすると「厳しさの中にもある、母と娘が互いに好きを交わし合う関わり」をずっとされていたように、思います。

「お母さんはそう思うかもしれないけれど、私はこう思うのよ!もう!」なんて言い合ったりしてね。。。。ケンカして拗ねてたけど、夜中にお兄さんが慰めがわりにくれたお菓子を拗ねながらも美味しく食べてたんですヨ。

そんなことを笑って話してくれる周さんの口調からは、親子喧嘩の時間でさえ、実はそこに今となっては懐かしめる小さな喜びや楽しささえあったのではないかと、計り知れます。


我が子の幸せをめいっぱい願って、自分が良いと思うスタンスで接する母と、お母さんのことがもちろん好きでありながらも、自分として見てほしい、生きたいと願う子ども。

さまざまな親子関係の中で生まれる、親子だからこその深い繋がりでもあり、葛藤でもあるのかもしれません。

お母様の願いや期待を感じつつも、周さんは周さんとして、ご自身の可能性を見知らぬ国で一から試すことにチャレンジしてみたい、そんな思いがいつしか、日本語を学んで、日本に留学したいという思いへ。


日本に行って、可能性のままに自由に生きたい


大学で日本語を専攻しながらも施設の日本語会話塾に通うことを決意、早朝から語学スクールで日本語を学び、その足で学校へ通う生活を送りながら、日本語を学び身につけられます。自分で決めた未来を手にするために、自ら努力の道を選ぶ。毎日二つのスクールに4年も通い続けることが、どんなに大変かと、想像するだけでも息が詰まりそうなのは私だけで、「日本に行きたい」そう思っていた周さんにとって、自分の目標のために選んだその行動は、全く苦痛ではなかったそうです。

とにかく、日本に行きたいし、日本語が好きだから学びたい、学べることが嬉しかった、と。

語学学校でお世話になった先生が持ってきてくれた、日本のドラマDVDをこっそり借りて見たのは、当時のとても懐かしかった思い出。それを見ながら日本語も勉強したと、教えてくれました。

日本語が学べる学科があることで選んだ大学で学び、そうしていよいよ、日本への留学。

自分の可能性を信じて、一から新しい境地でチャレンジしてみたい。だからこそ決めたはずの留学。

いざその飛行機に乗るその時は。

本当に、不安で心が震えたそうです。

お父様が持たせてくれた、もしもの時のための、日付のない帰りのチケット。それを抱きしめながら、乗った飛行機。もう、飛行機が飛び立ったら、韓国は遠く離れた世界になってしまう。


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母国を背にして、自分のために新たな世界に向かう。

体験していないわたしには想像がつかないけれど。当たり前にそばにいた家族の存在が、手を伸ばしても届かない距離になること

それは、それが本当なんだとリアルになった瞬間に、どんなに自由と可能性を求めていたとしても、きっと痛切なほどの愛しさに、なってしまうのではないか。そんな気がします。


そうして降り立った日本の地。

先に日本に来ていた友人が迎えに来てくれるとのことで、周さんは一人待ち合わせ場所に向かいます。

連絡を取り合えるものが何もなく、ただ、「この時間に、この場所で。」そう事前に取り決めたその場所に一人で荷物を持って、迎えに来てくれることをただただ待った周さん。

なかなか、友人はなこない。いつになったら来るんだろう。

助けてくれる人がいないその場所で、一人不安と寂しさの中で立ち尽くし、行き交う多くの日本人を見ながら、「私は今ドラマの中の世界にいるようだ」とそんなことを感じていたそうです。

時間に遅れてやっと来てくれた友人に会えた時の安堵。

そこから、周さんの日本の生活が、始まります。

先に留学をしていた友人の住まいを引き継ぎ、お隣には留学仲間の親しい友人。周さんはいつでもお友達の家に立ち寄っては、そこで過ごしたこと。たくさんのお話を聞かせてくださいました。初めての場所ながらとっても楽しそうで、周さんの周りには、いつも大切な友達がいて、そして・・・話の折々に、お母様やご家族のことが、挟まれる。

母国を離れながらにして、周さんの中には、いつも母国がある。

わたしはそんなことを感じながら、対談の時間を過ごしました。


半年間日本語学校に通ったのち、立教大学の聴講生を半年経験した後は、早稲田大学大学院で2年間、国際関係学を学び、修士課程を修了。学びを終えて、いよいよ社会へ。


以来15年、日本でたくさんの経験をされた周さん。

秘書、翻訳・通訳、翻訳コーディネーター、キャリアカウンセラー、貿易・購買、さまざまな世界の中でお仕事をされます。

スポーツ系の派遣社員時代は、与えられた仕事をこなすだけではなく、職務範囲を超えて会社に尽力。海外への出張に同行するまでになったり、周さんのお話の中では、いつでも、その時、その場所で、自分にできる役割とそれ以上の貢献を、ひたむきにひたむきにされていたことが伝わってきました。

なんと言ったらいいのか・・・

社会で生き抜くために、利害や損得を上手に勘定する人は、この世界には少なくありません。自分の保身や得のために、上手に知恵を使う人がいることも知っていますが、

周さんのお話からは、それが全くなくて。

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この限られたshutterの文字数の中で、その全てを書くことはできませんが、一インタビュアーとして聞いた、彼女の言葉からは、

純粋すぎるまでにいつも目の前の世界で、そこに関わり携わる人たちのために、彼女自身のできうることを、精一杯差し出してこられたのだろうということが、なんの曇りなく、伝わってきました。

だからこそ、派遣社員であっても、海外出張を任されるまでに、なったのでしょう。

ただ、その道は、決して、楽で楽しかったことばかりではなく、時には国籍の違いによる差別やパワハラに苦しんだことも。


そんな時、助けてくれたのは、遠く離れたご家族、だった。


税理士のお父様が、娘が理不尽で不当な待遇の中で苦しんでいることを知り、どうしたら対応しうるかをすべて調べ上げて、韓国から日本に助けの手続きをしてくれたこともあり、周さんが新たなる環境で仕事をすることが可能になったこともあったそうです。

日系企業から、韓国系、米系の外資系まで、15年で尽くした道。


このshutterは、インタビュアーであるわたしが感じたままに書かせていただく企画なので、今回周さんとの対談を通して感じたことをここで正直に伝えさせていただくならば


時にはお母様の世界から自由になって、自らの力、その可能性にかけて、あたらしい世界でチャレンジしたかったからこそ、留学して日本に行くことを決めたとおっしゃった周さんですが、周さんの話の中には、いつもご家族がなんともあたたかい存在として、何度も何度も、登場する。

おおらかで逞しく人生を切り開かれたお父様をとても頼りにしていること、そしてそのお父様も心から周さんを愛し見守り、いつでも、彼女を守るために備えていてくれるだろうこと。

厳しいとおっしゃったお母様。でもその厳しさの中に、奔放なるお母様なりの愛を溢れるほどに差し出す無邪気さがあって。お母様との口喧嘩を語る周さんの表情は、本当に楽しそうで嬉しそう。

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喧嘩をすればそれを気にかけてくれるお兄様。

いろんなシーンで、ご家族の存在が出てくるそれは

家族の絆とは、目に見えるもの、その言葉や行動の後ろに、尽きることなくどこまでも広く深くあるものだろうなと、感じさせてくれました。

これはあくまでもわたしが感じたこと、ですが、そのたくさんの愛が、周さんの中に、意識せずともたっぷりとあったからこそ、

もしかしたら「母国を離れて日本で生きる」という勇気ある決断が、できたのかもしれないな

そんなことが、今わたしの言葉を生み出す何かから、なんともいえない予感として、伝わってきます。


だから、日本でも、頑張れたのではないか、と。


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ところが、さまざまな企業でのご経験を15年続けた先で、心身の不調になり、生き方の方向転換をせざるを得なくなった周さん。

それまではどこか、ご両親のそばを離れて生きることを選んだからこそ、日本で企業に勤め上げる、それが周さんにとって、大切な果たすべき思いでもあったそうですが、この時に思い浮かんだのが、「人を癒す仕事をしてみたい!」だったそうです。

実は以前からずっと気になっていたこと。でも、それは、自分にはできないことと、そっと閉じてきた望み。

その望みが、ふと湧き上がってきた。心身の限界を迎えた先で、果たすべき道を邁進してきた先で、ふわりと姿を現した、望み。

その望みの声に従って、周さんが決心してオープンさせたのが、東京吉祥寺の井の頭公園のそばにある、自宅にある、本格リトリートサロンLäka (レーカ) です。

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ドライヘッドスパサロンですが、そのコンセプトは「都心から30分で味わえるリトリート旅」

以前から、女性が求めるくつろぎが一箇所でまるっとできたら良いのに、と思っていた周さん。

休日にカフェに行って一人カフェ時間。

また別の日には、エステサロンに行ってマッサージやトリートメント。

さらにまた別の日には、小旅行。

そうやって、あちこちでリラックスとリフレッシュをして、自分を保つ。

だったら。全部が一箇所で叶えられたらいいんじゃないか。


ここにくれば、ゆっくりとカフェでお茶をする時間、おいしいケーキやお茶で心も頬もゆるむ嬉しさも

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ただただ、心が赴くままののんびり時間も

マッサージの時間も


日常を離れたリトリート感も味わえる。

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そんなサロンに、したかったと。


ここにくれば、とっぷりとわたしをゆるませくつろがせ、リフレッシュして、穏やかに心地よく過ごすことができて、そして、また新たに日常に帰ることがまるっとできる、そんな空間。


グリーンが好きなご主人と日々慈しみ育てた観葉植物たちがたっぷりと迎えてくれるリビングでのお茶タイム。

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施術で凝り固まった心と体を深くじっくり解して。

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施術が終わったら、一人時間をどうぞ。植物に囲まれた森のような空間でのカフェタイム。

ここではただただゆっくりぼーっとするもよし、手帳タイムにするもよし、施術後のゆるんだ心と体を、落ち着かせて、そんな時だからこその、自由と解放から湧き出るものを、たっぷりと味わって。

そうして、存分に、ご自分を休ませ、癒してほしい。


それが、どこか遠くのリゾートに行かなくてもここで・・・

都心からたった30分の場所で、叶いますよ、と。


そんな思いで、一人一人のお客様をお出迎えしてらっしゃいます。

出会うお客様にとって、ここが明日への英気や希望を取りもどすパワースポットのような場所になれば嬉しい。そんな気持ちも込めて。

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サロンは、翻訳のお仕事とのダブルワークをしながら叶えられる毎週金曜日と土曜日の営業でスタート。

心にゆとりを持って、大切にお出迎えからお見送りまでを心の贅を尽くして、おもてなしする。

それが、周さんのドライヘッドスパサロン。

大切に、大切に、お客様も、時間も、そしてご自身も、もてなす。

そんな心づくしの場所。

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周さんのお住まいでもあるその空間には、たっぷりとご夫婦の好きが詰め込まれ、愛しんで育てた、なんともあたたかなエネルギーが流れていることが、写真からも、伝わってきます。

あぁ、こんな場所なら、行ってみたい!そう即座に思うほど。


昨年はコロナ禍によりさまざまな苦境が社会に広がったけれど、好きの贅を尽くしたこの空間作りや、お客様を大切にするその心づくしからの経営方針を学びたいと、今や周さんはサロンオーナーに限らず、インテリアコーディネートや、サロンコンサルタントも行うようになっているそう。

たった3時間の対談、初対面の周さんとの対話で、わたしが周さんの全てを知ることはもちろんできませんが

あの対談の日に感じたことは

人を思い、大切にする、そこに、尽くす方、なのだろうなと。

でも、そこで自分を犠牲には、きっとしない。

ご自分のことも、思いやりながら、誰かのために尽くし生きる

そのひたむきさが、人から人へ伝わり、そして広がっていく。

それが周さんなのかもしれないと、そんなことを感じたのでした。


母国の、ご家族の愛情を、いつも感じながら。


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サロンを訪れたお客様からも、パワースポットのようで周さんから幸せな癒しが広がっている、そんな感想をいただいているそうです。


周さん、この度はありがとうございました。

ご家族のことを話されるときの笑顔が何より、忘れられません。


この世情が変わって、またご家族と気軽に日本と韓国を行き来して、笑い合える日々が来ることを、わたしは願っています。


周さんのドライヘッドスパサロンのご予約などはこちらから。




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