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僕は妻の鍵を所持している

妻を見送ってからも布団の中で憂鬱を温めていた。それが出社の憂鬱かと言われるとそうではなく、じゃあ満員電車が嫌ではないのかと言われればそれは嫌である。僕は毎朝、得体の知れない憂鬱を大事に温め育てていることになる。それは多分あまり好ましくない卵だということは薄っすら肌で感じている。アラームを消してスヌーズを1回止めたあたりで起きるので10分くらいだろうか。1日10分、週5で算出すると、年間40時間も布団の中でその憂鬱という名の卵を温めていることになる。これが冬になれば更に伸びる。「ハッチング-孵化-」という映画を観た。少女が見つけた謎の卵の孵化をきっかけに起こる恐ろしい事件により、家族の真の姿が浮き彫りになっていく様を描いた北欧ホラーである。積み重ねた温かい罪悪感が、いつか大きな不幸を呼び込んでしまう気がする。
さておき、その卵の正体とは恐らくもっと漠然とした身支度の工程に対する憂鬱である。まず洗面所へ行こうと上体を起こす。すると体全体に均等に流れていた血液が一気に下降していく感じがして気持ち悪い。平和だった世界を天変地異に変えてしまうのが朝。スラックスを履くために脚を上げたくない。便座に座ったらもう立ち上がりたくない。スマホを忘れて部屋に戻りたくない。急いで走って小指を打ちたくない。電車の時間に追われたくない。定刻通りに到着する日本の電車に感謝する反面、今回ばかりは都合よく遅れてくれないかと願ったりする。
しかしその日は妻のラインで一転した。まだ布団にいた僕のもとに「あなたのキーケース持って出ちゃった」とメッセージが。僕は今日一日がとてもいい日になると確信した。それは朝の占いを見なくても分かった。いや星座や血液型で一日の運勢をはかるなんて馬鹿げているとも思った。そんなことで一喜一憂せずとも、妻の鍵を持って出掛けられるというだけで、気持ちは下ろし立ての靴を履くくらいの高揚感に匹敵した。僕たちは種類の違うイルビゾンテのキーケースを使っていて、これらは互いにプレゼントし合ったものである。キーケースは玄関のウォールシェルフに置くようにしている。一緒に住んで約1年。妻が間違えて持って出たのは今回が初めて。ヘアアイロンの電源コードがコンセントに刺さったままだったりしていたので、慌てて家を出たことが窺えた。

僕は家を出るとき、勿体ぶるように妻の鍵を取った。妻の鍵で施錠した。妻の鍵をポケットに仕舞った。妻の鍵を所持しているということを自覚した。いつもと同じ車両に乗って、いつもと同じサラリーマンと目が合う。しかし「妻の鍵を持っている」今日は昨日とは全く別物になった。あのサラリーマンには昨日と同じ僕に映っただろうが、僕は違った。なぜなら今日は「妻の鍵を持っている」からだ。

小学生のとき間違えて友達のパーカーを持って帰ってきてしまったことがあった。帰宅してバッグから友達のパーカーを取り出すと、友達の匂いがした。ランドリンやダウニーの類だろうか、鼻を突く柔軟剤の香り。それが彼の匂いだった。この情報だけでどんな家庭なのか少し想像ができた。僕は彼のパーカーをハンガーにかけ、明日持っていくのを忘れないように自室ドアの縁に引っかけておくことにした。部屋は彼の匂いで染まった。母がドアを開けたのでパーカーが落下した。母に説明したら「洗って返してあげなさい」と言われた。僕はそのままの状態で彼に返してあげたかったので母がパーカーを持って行こうとするのを半ば強引に奪い取った。母は首を傾げて去った。自分の部屋のようで自分の部屋ではない、今日限りの特別な空間を奪われたくなかったのだ。それに我が家で洗ってしまうと、彼を彼たらしめる匂いを消してしまうと思った。きつい柔軟剤を纏う彼であって欲しかった。私物で溢れる部屋の中にひとつだけ他人の物がある異質感、侵食される快感。未だ招かれたことのない彼の部屋に思いを馳せた。

意味もなく妻のキーケースを取り出して、いつもと違う感触を楽しんだりした。誤って落としてしまわないよう無闇に取り出すのを控える努力もした。鍵本体は僕と同じものだが、妻の鍵の方が幾分か綺麗だった。
帰路。最寄駅に到着してから妻の鍵のことを思い出した。やや疲れが引いた。妻の鍵を使って家のドアを開けた。まるで違うドアを開けているようだ。それは今朝もそうだった。いつもと違う一日を終えたところで、妻も今日同じ気持ちだったらいいなと思った。次は僕が間違えて妻の鍵を持って出てみようかと企てている。

翌日、友達にパーカーを返した。
友達はパーカーを受け取ると「お前んちの匂いするわ」と嬉しそうに笑った。

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