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聴く姿勢〜listude

あらゆる音に対して開かれた耳には、すべてが音楽的に聴こえるはずです。
ーージョン・ケージ

僕は耳から生まれた人間だと思う。初めてそれを意識したは小学生の頃。お年玉を貯めてウォークマンを買って外で環境音と一緒になった音楽を聴いた時だ。

ポケットの中の小さな箱につながったワイヤーから、僕の耳にだけ届く音波が退屈だった目の前の日常の風景を全く別のものに変えてしまった。音によって自分の一部が生まれ変わったような圧倒的な驚きがあった。それ以来ジャンルとしての環境の音楽ではなく、音がつくる環境にずっと関心がある。

音について考えたり良い音を聞くと体の細胞が入れ替わって更新されるような他では感じたことのないゾクゾクする感覚はその時からいまも変わらずにある。

だから1秒も楽音/環境音を聴かなかったと思う日はなくて、無音も含めて意識的にも無意識的にも常になにかを聴くということが習慣になっている。

その初めてのウォークマン体験のフレッシュさを奈良のListude万平くんのアトリエのスピーカーを試聴した時に久しぶりに味わった。何万回も聴いたマイルス・デイヴィスのトランペットも電子音楽も、音が弾ける瞬間の手触りを感じる。万平君が作ったスピーカーから空気の振動を介して音が聴こえているはずなのだけど、まるで空気のヘッドフォンをしているかのように頭の中の空間に音が響き渡り、自分の感覚が空間に拡張する。

古いビルをリノベーションしたアトリエのリスニングルーム。木の床の音の反射もここちよい。

音というのは目に見えないし重さもないただの空気の振動でしかない。それに触れるために鼓膜というものでアクセスし、その振動はそのまま脳の言葉やロジックとは違う部位に直接作用する。なんでそうなるのかは未だにわからない。実験音楽っていうのはジャンルじゃない。主体的に音を聴くという行為自体が感覚の実験なんだ。

見つけた音やその時に感じたことを書き留めるための小さな手帳。あちこちに音についての言葉がちりばめられている。

言葉はどこまで行っても音には届かない。それでも僕らは音について考え続け、言葉を発し続けることを止めない。音楽について語ることは、底の見えない真っ暗な井戸の穴について語るようなものだ。穴のふちのことは見たままいくらでも描写できても、穴そのものについては語ることはできない。でもその周縁を語らなければ穴の存在について語ることもできない。

聴く姿勢についてのいくつかの言説がまとめられた本。装丁はグッドネイバーズ・ジャンボリーの本も手掛けてくれたTakaiyama山野英之によるもの。


僕らはいつか深淵な穴の底を見てみたくてまた音について言葉でアクセスしようと試みる。その行き来はいつまでも終わらないゲームだし、誰も辿り着けないことがわかっているからこそ楽しい。Listude万平くんが作った音の風景をめぐるこの本はそのことを思い出させてくれて読みながら楽しくてしょうがない。

listude
https://www.listude.jp/


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