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辺野古とは、どんなところなのだろう

名護市久志区辺野古。琉球語の「ヘヌク」(土地の祖神の名前という説あり)からその地名が来ているという。

ここはかつて炭焼きや樟脳づくり、漁労の小さな集落で、15世紀には「国頭方東海道」の宿場でもあった。

1945年6月米軍による沖縄時上陸時に、ここに大きな捕虜収容所が設置され、最大25,000名が収容された。戦後に収容所は消滅したもの再び米軍基地キャンプ・シュワブが作られることとなる。

基地工事は大阪の業者が請け負い1959年8月に完成。周辺には基地建設作業員のための飲食街がつくられ、新しい集落ができる。完成後は「辺野古社交街」として基地の歓楽街となった。

《アップル・タウン(海兵隊ハリー・アップル少佐の名から呼ばれたようだ)》入り口には「ようこそ」のサイネージがあるが、かつて200以上軒を連ねた社交街の賑わいを見出すことは難しかった。

賑わっていたのは、国道329号線の座り込み看板と、対面の基地増設現場だ。普天間飛行場の代替施設建設のため大浦湾の埋め立てが進められており、その入り口にはびっちりと警備員が張り付いていた。
それでも、その他の景色は穏やかで、子どもたちはバスケットコートで遊んでいる。

入り口「ようこそ」と「WELCOME」の文字
後ろには「APPLE」と冠した建物が
喫茶ワシントン
下には「Henoko Tacos」の文字
静かな裏道
その先には海が
辺野古の街に隣接する国道329号線
座り込みの人たちがテント内にいる
座り込みの斜め対面には警備員の姿が
奥では大浦湾の埋め立てが進められが進められている


辺野古の街なかにあるバスケットコートで遊ぶ地元の子どもたち
辺野古総合研究所。辺野古とは何なのか

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