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幕末期の函館でうまれた泡沫の独立国 「蝦夷共和国」


蒼血碑。明治2年(1869年)。
箱館戦争で亡くなった旧幕府軍を慰霊する石碑。
明治維新の最後の争いはここ函館だった。
戊辰戦争は次第に北へと戦場を移し、江戸幕府軍の残党は戦艦で蝦夷地へ向かう。


松前藩がかつて治めていたこの土地を奪い、五稜郭なる西欧式の要塞を築き、蝦夷島政府なる独立政権を宣言する。俗にいう蝦夷共和国だ。


その中には、新撰組の土方歳三もいた。しかし、最新鋭の兵器と兵力を持った新政府軍についぞ敗れ、独立国の夢は消えてなくなった。


当時、函館の街には旧幕府軍の亡骸が至るところに放置されていたという。新政府軍が埋葬供養することを禁じていたのだ。見かねたある人物が、ここに亡骸を集め「蒼血碑」なる名の石碑を建てた。中国の故事が由来だ。慰霊碑として明記することができなかったのだ。



函館はその後、世界に開かれる貿易都市となる。イギリスやロシアの領事館が置かれ、西欧式の建築や物資、文化が流れ込んで来た。元町には今もその建物の面影が多数残る。重工業も発達し、空襲の標的にもなった。今では北海道第三の都市にまで発展した。


この地にはコシャマインの戦いも、縄文の営みもあった。明治維新前、ここは昆布漁と交易の静かな街だった。
観光地としての函館とはまた違う表情がある。

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