念能力をガチ考察!【命の音(カウントダウン)】を解体しよう

はじめましてこんにちは。おはようございますからおやすみなさいまで。

どうも皆さん、マルハボロでございます(*''▽'')

今回は作中でも有名かつ初めて登場した“複数人による能力”であるゲンスルー組の念能力【命の音(カウントダウン)】について深堀もとい考察していきます。

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さて、まずは【命の音(カウントダウン)】の能力について、原作描写を見る限りで判明している制約と誓約を始めとした特徴を列挙していくとしましょう。

・【命の音(カウントダウン)】の特徴及びその構成要素

【制約と誓約】
・ターゲットの爆破させたい箇所に触れながら“爆弾魔(ボマー)”という。すると触れた場所に爆弾を取り付けることが出来る。この爆弾を解除するには説明者に触れて「爆弾魔(ボマー)捕まえた」と言わなければならない。
・上記の説明を相手に告げる、あるいは説明後に触れることで爆弾は具現化し、心拍数に呼応して最大約1時間で爆弾は爆破する。

また、言及されていない特徴として
・具現化するまでは視認できない(寄生型の特徴)
・複数の人物同士で構成要素を分割した相互協力(ジョイント)型能力
という特徴が存在しています。
またこの能力を構築する要素として、劇中でアベンガネが『操作系・放出系・具現化系』を言及しています。ですが、これはあくまで彼の主観です。なのでわたしはこれを正しくもあるが、ある点においては間違っていると考えています。そこに関しては後半にサブとバラの解説もしますのでそこにて。
それと改めて断言しておきますが、この【命の音(カウントダウン)】という能力はゲンスルーが主体であってもゲンスルーのみの能力でないということを頭の片隅に置いておいてくださいまし。

では、まず能力の構成要素を分解し、細部を見ていきましょう。
まず【命の音(カウントダウン)】で具現化するこの爆弾ですが、主に三つの要素に分けられます。

・対象が防御不能な威力の爆発であるということ
・心音とリンクした時限式起爆と、能力者3人の意思によって爆破する直接起爆があるということ
・取り除くことが出来ない寄生型の念獣であるということ

さて、先ほどもわたしは寄生型という言葉を使いましたが、上記の要素を改めて見た方はこう思ったことでしょう。
「え、あれって念獣なの?」と。

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一体いつから────念獣の見た目が生物に限定されると錯覚していた?

ではここで、まず念能力における寄生型の定義で判明している部分を示していきましょう。
ちなみに現状もっとも詳しいアニヲタwikiにはこのように書かれています

暗黒大陸篇で出てきた新たなタイプの念能力。
具現化系能力に多い種類の念。
宿主のオーラを消費することで能力を発動させる性質を持ち(呪いと性質が似ている)、宿主には寄生された自覚もなければ寄生している念を操作することもできない。
宿主の思いと混ざって生まるため能力者も完全な制御は出来ず(ルールは設けることが可能)、同じ能力でも宿主を守護することもあれば危害を加える可能性もあるなど、行動原理がバラバラでランダム性が強い。
利点としては、宿主が念を知らず念に覚醒していない場合でも宿主からオーラを得て能力を発動できる点が挙げられる。
代表例はカキン帝国の「守護霊獣」。
守護霊獣は特定の条件に沿って行動し、宿主となる王子達を守りながら王子の計略や策謀の手助けを行っている。
            アニヲタwiki 念能力の記事より抜粋

>宿主には寄生された自覚もなければ寄生している念を操作することもできない
はい、特にこの部分ですが、寄生型とは本人の意思とは関係なく仕掛けられる能力であり、それに干渉することは出来ず、宿主は一方的にオーラを搾取され、寄生した念獣はその役割を果たそうとします。
そして【命の音(カウントダウン)】に与えられた役割とはすなわち『タイマーが0になった瞬間、或いは解放(リリース)の合図を受けたら爆発すること』である為、念能力としてのプログラミングが既に施された後ということです。既に影響下にある念というのが、すなわち念獣の正体なのです。
以前にも言ったように、念とはプログラミングされたオーラであることは自明の利ですが、具現化とはその過程にひどく面倒な修行を必要とするほど多量のオーラを必要とします。単なる“凝”に留まらないオーラの高密度化。すなわち念能力に目覚めていなくとも視認できるほどの質量を得た念。
それが具現化です。
それほどまでに高まった念能力に対抗するには、こちらへ干渉される前に叩き潰すというのが最善。ですが、条件を満たされてしまったのならそれこそ除念師などの、構成された念能力そのものを請け負う形で移動させる能力のみが対策となります。
これらの要素から、アレは紛れもなく念獣であり、その威力を生む最大の要因とはすなわち寄生型特有のオーラの一方的搾取にあると思っています。

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そして寄生型に見られる特徴に寄与した命の音(カウントダウン)の恐ろしい部分がまだあります。それは、発動すれば対象には防御がほぼ不可能ということ。

ポットクリンや王位継承戦に登場するような体外で顕現するタイプであればまだしも、命の音(カウントダウン)は肉体と半ば一体化した形で具現化している為、念による防御がそもそも不可能なのです。これは何故かというと、オーラによる攻防というのは肉体の表面に作用している技能になるからです。
これは“絶”が体表に溢れるオーラを極限まで制限する能力であることからも確かです。しかも寄生型念獣である為、先ほども申し上げましたが爆発に必要なエネルギー源であるオーラは宿主本人から供給可能です。劇中におけるあの膨大な人数を同時に殺傷可能な威力は、皮肉にも本人のオーラによる致命傷だったのです。

・時限式及び起爆式という制約と誓約

さて、上記でも少し触れましたが命の音(カウントダウン)に課せられた制約と誓約があります。それが“時限式と起爆式”という一見シンプルなそれです。
この両者。一見単純に見えて、むしろだからこそ凶悪な効果を発揮します。シンプルな制約と誓約ほど能力の底上げに有利なのは枚挙にいとまがありません。
そしてこれは敢えて断言しますが、命の音(カウントダウン)は具現化された時点でゴールに向かうことが決定されているので、直接的な手段では止めることが不可能です。アベンガネがこれを除去することに成功したのは、彼が念獣という更なるプログラムを利用して命の音(カウントダウン)そのものに一種の上書きを施したからに他なりません。それでもその本質を解除するほどのことは出来ず、出来上がったのはあくまで別の形にして傍にいることだけでした。アベンガネがあれほど必死にあの念獣を解除しようとしたのは、あれが姿こそ変われど依然として爆弾だったからにほかなりません。

さて、では改めてなぜ寄生型にはオーラの搾取が可能なのかについても触れておきます。
まずオーラそのものが抱える性質として、純粋なオーラ同士というのは拒絶しあわないという特徴があります。
すなわち、念を込めていないニュートラルなオーラは共有できるのです。
この仕組みを利用したのが寄生型であり、相互協力型すなわちジョイント型であり、操作系の一撃必殺能力とも言われる強制操作です。

以前書いたヒソカの記事にて、これら意図を込めていないオーラを利用した念の技術を応用したのが、ヒソカの【伸縮自在の愛(バンジーガム)】であることを説明させていただきました。繰り返しになりますが、操作系が条件を満たすことで他者を支配下に置くことが出来るのも、このオーラそのものは拒絶し合わないといった部分が関わっているのは大前提です。
念能力とはすなわちプログラムです。一種水に近い性質をしたオーラという不確定要素に、意思という確定要素を組み込むことで、はじめてその人知を超えた現象は発揮されます。これがあの世界の人類が身に着けた一種の自衛手段であるのかは知る限りではありませんが、少なくとも念能力は何でもありに見えて酷く使い勝手の悪い超能力であることは間違いないのです。

【一握りの火薬(リトルフラワー)】について

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次に【命の音(カウントダウン)】を解説するにあたって、避けて通れない念能力である【一握りの火薬(リトルフラワー)】について解説します。

なぜここで【一握りの火薬(リトルフラワー)】を出したかというと、わたし自身この念能力の存在そのものが【命の音(カウントダウン)】の構成要素であるとまで思っているからです。

ちなみにですが、念能力としての【一握りの火薬(リトルフラワー)】を検索するとその系統は具現化系とされることが多いです。ですが、わたしはむしろ【一握りの火薬(リトルフラワー)】は変化系だと思っています。

以下に、その根拠を示そうと思います。

まず、数多の念能力が発動することに伴って必然の要素でもある“イメージ”と“消耗”。これらを示す言葉として、ヒソカが示した“メモリ不足”というものがあります。
彼が言うメモリ。これはすなわち念能力を扱う上での必須要素であり、極めて個人差が存在する要素でもあります。
例えば明確なイメージを必要とする系統として具現化系がありますが、先ほども言ったように、これはいわば念能力をオーラを用いずとも視認できるほどイメージを固めた存在になります。
あらゆる系統に共通することですが、戦いにおいてはそれぞれの念能力を維持することを前提とした立ち回りが必要となります。もちろん戦いに際して都度集中などしているわけにはいかないので、車や自転車の運転と同じようにある程度無意識でコントロールする必要もあるでしょう。
さて話を戻しますが、なぜ【一握りの火薬(リトルフラワー)】をわたしが具現化系ではなく変化系と断じるのか。
まず変化系の例を挙げましょう。主人公の一人であるキルアは、自らのオーラを電気へと変化させ、様々な組み合わせを行うことでその汎用性をヒソカ級にまで高めています。そして彼は電気というイメージを補う方法として、自らの身で電撃を受けることを“充電”と称しました。これは実際に肉体へ電気を補充しているわけではなく、彼がオーラを電気へと変化させる過程において、そのイメージを確立する為に必要な一種の儀式────すなわち、制約と誓約であるからです。
無論、これはキルアだから可能な方法であり、高圧高電荷の電撃など受ければ、常人なら気絶ないし最悪死亡します。そしてこれらの本来デメリットにしかなりえない要素が念を強化するのは、フランクリンの【俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)】に留まらず、HUNTER×HUNTERには複数存在することは自明の理です。

閑話休題。では改めて【一握りの火薬(リトルフラワー)】を分解しましょう。彼はまず、能力を発動するのに際して手をオーラで保護することで発生する自身へのダメージを軽減しています。

なぜか?

彼がその手に顕現させているのは、爆弾でも、ましてやその名の通り火薬ですらないからです。

わたしはあれを、爆発という現象そのものであると考えます。

「なんだ、それじゃ火薬ってことじゃないか」と思った方がいるかもしれません。

そうではないのです。

例えばですが、火薬と聞いて何をイメージするでしょうか。
黒くザラついた黒色火薬?
それともAとBを混ぜることによって化学反応を起こす混合爆薬?
はたまた舐めると甘い、粘土のようなプラスチック爆薬?

ゲンスルーの【一握りの火薬(リトルフラワー)】はそのどれでもありません。

そして──具現化系と変化系における最大の違いは、能力を発動する上でのステップ数の違いです。
例えば彼が相手を脅す際、【一握りの火薬(リトルフラワー)】が具現化系であるならばその爆弾ないし火薬を相手に見せるであろうことは間違いないのです。例えば銃を持っているとして、その威力を見せつけたならば銃を相手に翳さない必要はあるでしょうか。
【命の音(カウントダウン)】の説明の際にそれをしなかったということは、そうする必要がないのではなく、そうすることが出来ないからだとわたしは考えます。
なぜならば、彼の能力はオーラを爆破という作用──すなわち現象に変化させる能力であり、名前通りの火薬は一粒たりともそこに現れていないからです。

また、これにはこういった反論もあるでしょう。

「ではゲンスルーは、どうやって爆破をあれほど強烈にイメージできるようになったのか。自分の体で爆弾の爆発を受けたとでもいうのか」と。

そんなことはありません。断言しますが、念能力のイメージ修行で直接なんらかの媒体をその身に帯びるというのは、本質的には悪手ですらあるからです。それをご理解いただく為には、先ほどのキルアの例などは典型でしょう。

とはいえ、それで例を上げないというわけではありません。
イメージとしての例を出しましょう。

今この記事を読んでいる方がどこにいるのかはわかりませんが、ミカンを食べたことがあるでしょうか。もし食べたことがあるなら、目を瞑って、今目の前にあるテーブルか何かの上にミカンが乗っかっているのをイメージしてください。ミカンを食べたことがあるならば、今あなたはそこにあるミカンの香り、味、触った時の感触すら同時にイメージできる筈です。これはあなたがミカンを繰り返し食べたことで生まれた知識であり、これはまさしく鎖を具現化する際にクラピカが行った修行と酷似しています。

では次です。ノヴに関する記事でも少々触れましたが、念能力とは必ずしも明確なイメージに頼らずとも権限が可能な現象です。
そしてわたし達は、今もその恩恵に預かっています。それは何か。
そう、科学であり化学です。
科学とはすなわち、再現性によって普遍化した一種の現象の数々です。無論その確率には度重なる実験をこそ必要とはしますが、科学の現象を理解するのに大切なことは反復と知識だとわたしは認識しています。

本題に戻りますが、ゲンスルーが【一握りの火薬(リトルフラワー)】によって詳細にイメージされた爆破を起こせる理由。それは、彼がそもそも爆薬に関する知識を十分に備えているからに過ぎません。

説明になっていないと考えるかもしれません。知識による念能力の発動という事実は、それほど荒唐無稽な話ではないのです。
というのも、念能力をプログラミングとわたしが表現したように、念による作用を一種の化学式として理解しようとする人間がいない筈もないのです。そうでないなら、何故神字などという念を込めることで発動する文字があるのか説明が出来ないからです。
念とはイメージの存在です。ですが同時に、イメージとは知識が反映された要素そのものです。この世にいる科学者が必ずしも知覚できる範囲で科学における再現性を確立させるだろうかと。否です。
彼らはその知識と試行錯誤によって科学を行います。ゲンスルーのイメージもまた、繰り返された科学や化学の知識による産物なのです。

そしてその到達点こそが、彼が仲間と共に編み出した能力【命の音(カウントダウン)】であると、わたしは考えています。

ゲンスルー=爆弾のスペシャリスト説

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いつも以上にここからはわたしの想像もとい妄想になりますので、そのつもりでお読みください。
彼がどういった形で念能力を知ったかはわかりません。どのようにしてそこに至ったか、それはいいのです。
問題は、彼がその時点で爆薬に関する詳細な知識を持っていたということだと思っています。

となれば考え付くのは、念能力による爆破の再現なのは間違いありません。爆弾の威力をその知識で十二分に知っていたであろう彼は、当然念能力でその再現をしようと考えたハズなのです。
あとはひたすら研鑽という名の実験です。【一握りの火薬(リトルフラワー)】が可能になった時、彼らは同時に【命の音(カウントダウン)】の成功をも確信したはずです。なにせ、最も再現に不安があった爆発という現象をすでに起こしてみせたのですから。

さて、とは言ったモノのアベンガネが語るように、命の音(カウントダウン)という能力の特性からあれが個人で可能な能力となるかというとそうはなりません。あれだけはっきりとした具現化をするのには確実に具現化系としての素養が必要ですし、遠隔起爆をさせるには操作系と放出系の能力も必須です。
そして話は最初に戻るのですが、アベンガネが指摘した系統。
それは、決して彼らの系統がそれぞれの系統であることの証明とはなりません。特に先述したメモリの関係ですが、あれは戦闘時における集中力の細分化にも関係する要素であり、【命の音(カウントダウン)】はその部分において手間をかける必要はあれど、戦闘時におけるメモリの消耗と比較するのはナンセンスです。

これがどういうことかと言いますと、彼らの系統は直接的にそれぞれの系統である必要がないということです。
ちなみに個人的な予想となりますが
・ゲンスルー:具現化寄りの変化系
・バラ:放出寄りの強化系
・サブ:操作系
と、わたしは考えています。
なぜ彼らの系統をこれにしたかと言いますと、それは本編の描写が理由です。それは彼らの戦闘スタイル──特にサブとバラが用いたのが念能力ではなく、素手による直接戦闘だったからです。
ゲンスルーには【一握りの火薬(リトルフラワー)】がありますが、通常戦闘においてもあの時点のゴンではどうにもならないだけの実力差がありました。とはいえ3人の体術のレベルはそれほど大差がなかった筈です。
ちなみにゴンはこの差をとんでもない手段で突破するわけですが、そこは今回の考察とは無関係なので省きますね。

ちなみにバラはこいつです。

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黒髪ロンゲで、タトゥーだけならどこかクロロチック。ビスケによる“前が見えねえパンチ”で死にかけましたが、この時死ななかったのも彼が強化系であると考えたらそうありえない話でもないと考えられます。
この点を踏まえて、彼を放出系の担当としたわけですね。

そしてサブはこちら。

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キルアと対峙し、ゴン対ゲンスルーとは逆にキルアとの戦いは一方的なものとなりましたが、その戦闘方法はあくまで素手でした。とはいえレベルが低いかというとそうでもなく、彼何気にキルアの肢曲に対応できてるんですよね。これは恐らくキルアの“流”が不完全だったことからそこで見抜いたのだと思いますが、それでも単純な体術の不利を覆す念能力者としての実力は戦闘力としても上位者でしょう。キルア自身も「体術と筋力はオレの方が上」と断言していますが、オーラの量その他においては完全に負けていることを把握していましたので。
そして彼の操作系としてのタイプですが、恐らく一撃必殺タイプではありません。あるならば使わない筈がなく、さらに言うならば操作系の強制型には能力の要となる道具が必須でもありますので。そしてバラはそれを持っている様子は一切ありませんでした。ですので、彼自身の能力は【命の音(カウントダウン)】ほどではないにせよ、何らかの儀式的条件を前提とした半強制能力だと思われます。

まとめ

以上の考察を踏まえて──命の音(カウントダウン)とは、脅しを前提とした能力であるとわたしは考えます。
何故ならば脅しとして必須である殺傷能力は、寄生型の念能力という条件さえ満たしてしまえば対人においては十分であり、500億という、グリードアイランドのクリア報酬と交換となる金額は、それを踏まえて余りあるものだからです。
HUNTER×HUNTERの世界における金銭感覚はそれだけで考察がひとつ出来上がってしまうほどですが、先達もいますのでその考察はまたの機会となるでしょう。

とはいえ、それだけの金を用意できるならば、専用の能力を開発するということは決して割に合わないことではないのです。

あとがき

さて、今回の考察いかがだったでしょうか。

「書くって言ってから随分経ってない?」

はい、その通りですよえへへ(白目)
試しに敬語調にしてみたら思ったよりテンポ悪くなったので、次回はもっと俺様口調に戻るかもしれません。反動というやつです。

それではまた次回。誰かの考察で会いましょう。

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