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告白するとき人はなぜドキドキするのか?【ラッセルの論理階型理論】

「好きです」

私は、その言葉を本当に心の底から感じて、ドキドキしながら、他者に伝えたのは1回きりであった。その時の経験というものは、ほろ苦いビターチョコレートのようであり、甘酸っぱいイチゴのようでもあった。

その時ほど、緊張したことはなく、恐らくこれからもそんな場面には出くわさないのであろう。今となっては、かけがえのない本当忘れられない、大切な思い出である。

人は告白するとき、なぜドキドキするのだろうか?

返事が良いものであるか不確定だから?、告白するのが初めてだったから?
恐らくそういった要素もある。

ただ今は、あの素敵な体験を、師匠からもらった「言葉」で語ってみたい。

① ラッセルの論理階型理論 ~場は言葉に影響を及ぼし、関係性は言葉と場に影響を及ぼす~


ラッセルの論理階型理論(を拡張したピラミッド)

外がドシャ降りの中、登校する小学生にお母さんが

「傘持った?」

と聞くとする。一方で、

外が晴れている中、登校する小学生にお母さんが

「傘持った?」

と聞いたとしよう。

この両者の「傘持った?」は微妙にニュアンスが異なる。

ドシャ降りの方は

「傘持った?」(外は雨が降っているけぇ、傘をさして歩きんさい) 
もしくは
「傘持った?」(外雨降っての分かってないけぇ、帰ってきて二度手間にならないように一応言っておこう) 

であるのに対して、晴れている方は

「傘持った?」(じきに雨が降るけぇ、傘を持っていきんさい) 

である。

この二つの状況で異なっているのは「雨が降っているかどうかの、場面」だ。

だからこそ、「傘持った?」の意味は変わってくる。場は言葉に影響を及ぼす。

では関係性はどうだろうか?

状況①

見知らぬ男が走ってくる。次の瞬間、彼は刃物を取り出した。

「殺すぞ!!」

鬼気迫る表情の彼は、そういって刃物を振りかざした。

ーーーーーーーーーーーー

状況②

耳が痛いことを言われた僕は、笑いながら友人にこう言った。

「殺すぞ」

「それは困るな」

友人は、おどけた様子でそれ以上、僕を非難しなかった。

①と②の違いは、場面と関係性にある。(本来は関係性のみ違うパターンを出さなければならないのだがそこはご容赦)

やはり関係性によっても、言葉は意味合いが違ってくる。見知らぬ人の「殺すぞ」と友人の「殺すぞ」は、その真剣さも異なってくるのだ。

また関係性は、場面にも影響を与える。単純に電車の中で「殺すぞ」と友人に言われたケースと見知らぬ人に言われたケース。やばいのは後者だろう。

こういった具合に、場は言葉に影響を及ぼし、関係性は言葉と場に影響を及ぼす。


②なぜ告白するとき人はドキドキするのか? A.本来の使い方とは別方向に、言葉で関係性を変えようとするから


 ここまでくると大体回答になっているようにも感じる。

本来関係性を用いて、言葉を意味づけしている人間という存在は、言葉によって関係性を定義しなおそうとする試みに慣れていない。

だからこそ、緊張するしそれが魅力的だと考える相手であればあるほどである。

この論理階型を拡張すれば、告白の成功について、場面が重要なことは言うまでもないだろう。ただでさえギャップのある状況を少しでも緩和することが、どれだけ大切であるか。

さらに言えば普段から良い関係性を築くことがどれだけ大切であるか。(顔が良かったりすると普段からこの点でアドバンテージがあるのだが笑)


身も蓋もない結論ではある。

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