見出し画像

するっと的「本当の優しさ」考。

こんにちは。

ご機嫌いかがでしょうか、するっとです。

今日は風が強いですね、でも、なんだか春めいた日差しが素敵な日です。


さて今日は、私が最近考えを巡らせたテーマについて書いてみようと思います。

それは・・・

本当の優しさってなんだろう?

ということ。

きっかけは、学生時代から慕ってくれている後輩の、離婚理由を聞いてです。

元旦那さん(Aさん)は、周りの誰もが「いい人、優しい人」だと口を揃えて言う温和な人。

そんなAさんに溺愛された上で結婚すると私も聞いていたので、
さぞかし後輩は幸せなのだろうと思っていたのだけど。

なぜ・・・。


理由を聞いてみると、

彼の優しさが、重荷となって、積もり積もって苦しくなってしまったから

だというんですね。

何も言わずとも身の回りの世話をしてくれる、頼まなくても晩酌のおかわりを作ってくれる。

一見すると、愛妻家でとても優しい旦那さんですけどね。

でも後輩曰く、いつも「自分でやるからいいよ」と断っていたそう。

・・・そう、私の知る限り、
後輩の性格はいわゆる「長女気質」で、自分がやらないとなんだか逆に居心地が悪くなってしまうのです。

何を隠そう、私もこのタイプのため・・・その気持ち、めちゃくちゃ分かる!!!

もちろん、ありがたいんだけども!優しさは感じるんだけども!
(だから無碍にはできない!)

でも、その動きを尻目に、得も言われぬ「窮屈さ」を感じてしまうんだよね。
「ありがとう」よりも「なんかごめんね」が先に来てしまうんだよね。
「なんでもやってもらっている自分」に自己嫌悪感が湧いてきてしまうんだよね。

わかる、わかるよ、長女ゆえの甘え下手な価値観が発動してしまうのよね・・・!
(ここで後輩と激しく共鳴)


きっと、「たまに」なら上手く「やってもらう側」ができたのかもしれない。

でも毎回、毎日となると・・・。

だんだんその小さな自己嫌悪感から、自己肯定感が下がっていって、
いつしか、それに耐えられなくなってしまったんじゃないかなぁ。

もちろんAさんもよかれと思っての行動なのは承知の上。

果たして、これは話し合いで解決できる問題だったのか、私には知る由もないのだけど・・・

この話を聞いて、

優しさって、みんながみんなに共通なものじゃないよね。

って、ふと思ったんですよね。

もっとこう・・・

本当の優しさって、オーダーメイド的なもの

なんじゃないかなって、思ったんです。

いくら一般的には「優しさ」と評される「愛しているがゆえに、なんでもやってくれる」という行動も、
それを向けられた本人(妻)にとっては心地よくなかった。という事実。

優しさを向ける対象の性格や性質に合っているのか?
受け取る側にとって本当に価値のあるものなのか?

この点を無視して一方的に与えた場合、
結果として、その優しさは「独りよがり」なものになってしまうのではないでしょうか。

一人一人、その人その人に合わせた「優しさ」こそが、
本当の意味での優しさなのかもなぁと思った次第です。

そして、各のオーダーを知るために、
毎度コミュニケーションが必須なのだということも追記しておこうと思います。

そんな感じで、
本当の意味で相手を思いやることができるようになりたい、と思う最近です。


それでは、また次回。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?