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エコ?それとも?忘れられない春の思い出

桜が芽吹き、寒暖差が激しくなる春になると思い出す、、思い出すというかもはや忘れられることができないトラウマとも言えることができるかもしれない出来事が遠い昔にあった。

入学シーズン、発達凸凹で不登校気味の幼稚園から卒業をし、晴れて新一年生を迎える時の事、まだ成長も心もとない新一年生シバ山さんに衝撃的な出来事が起こった。


母が「これがランドセル🎒だよ」

と持ってきたランドセル🎒がぼろぼろの名前も書いてある中古のものだった。

子どもごころになにも言えず、受け取って学校に通ったが、周りからどうなったは・・・

子どもって正直だし残酷だからね。おそらく友だちのお母さんにや先生に
「ランドセルを用意されない(できない)家」

と思われていたと思う。わたしはいろんな不遇の目線に耐えきれず小さな体に大きな傷をもらってしまい
「リュックでもいいから買って!!」

とおねがいした。

そしてリュックを背負って通学した。

それ以来小学校での過度ないじめなどは受けてないが、あの妙なみじめさはとても心地が悪かった。

今はエコ、再利用♻️など叫ばれているが、気持ちはわからないでもない。でもぼろぼろのお古のランドセル🎒をもらって、一生のこころの傷になることも多い。

新一年生の晴れ舞台はやはりなんらかのしかるべき補助や手当頼っても学校用品はちゃんと揃えて欲しいなと

まあ、新一年生って本当にお金かかりすぎるんだよね。

シバ山さんが高校受験をする頃にはいろんな私学に行ける選択肢が経済的に(親が頑張り)
ありがたいことにいろいろな道を選ばせてもらった。

もちろん選択肢を増やしてくれた親には感謝している。

でもこの春の入学シーズンになると、まだ癒えてないこころの傷が痛むのだ。

「ピカピカのランドセル🎒欲しかったなぁ」


ラン活って言葉が出てきたけれどまた、エコ、地球🌏に優しくなんて言葉も出てきてランドセルも再利用♻️できるかな?なんて思う方
ご一考ください。




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