実家のようなもの
先日、母の誕生日でした。
生きていれば67歳。
母がいなくなって13年になって、ようやく、「いないことが日常」になったという感じです。
母は末期癌で、見つかった時はステージ4。
余命宣告もされていました。
私たち家族は、みんなバラバラに生活をしていましたが、母の病気が見つかってから、みんなで暮らすことにしました。
一緒に暮らせるようになって嬉しそうな母。
犬を飼いたいと言い始める始末。
私は猛反対しましたが、結局、母の好きにさせました。
2008年の夏に発覚して、2010年の11月に旅立ちました。
私は仕事も辞め、やりたかったことを断念し、母の側で過ごした1年半。
私にとって母は、「もっとも恐れる存在」だったと思います。
とても厳しい人でした。
反面、とても愛情深く、純粋で、かわいらしい人でもありました。
なので、いろいろひっくるめて「こわい人」笑笑。
私が生まれてから1年ちょっとで妹が生まれてきたこともあり、私には早く自立させようと、厳しくしていたようにも思えます。愛情がゆえ。
おかげさまで、わりと聞き分けがよく、わりとお行儀もよく、わりと愛嬌があって、わりとなんでもそれなりにできる子だったんじゃないかと思います。(暗記が苦手なので学校のお勉強は苦手でした)
中学の時に担任の先生に「私の娘もあなたみたいになってほしい」と言われたことがあって、それを母に伝えたら、たいそう喜んでおられました。
そんな、「ちょうどいい娘」でしたので、社会に出てからも、母は私のことを何かと頼りにしてくれていたし、私も社会人になって、母を喜ばせることをすることが嬉しかったりもしたものでした。
母がいなくなった後、ふと、「母はこの世界に何をしにきたんだろう」と思ったことがありました。
何かやりたいことがあって生まれてきているとするならば、母のやりたかったことは何だろうと。
私から出た答えは、たぶん「子育て」。
本当によく子どもの特長を見ててくれていたなと思います。
私には「しっかりしなさい」的な圧を常にかけてきてましたが、それは、私の生まれ持った特質を見抜いていたからかもしれないなぁと、今になっては思っています。
器用がゆえの隙を自分でコントロールできる人になるようにと。
絵を描いたり、楽器をひいたりなど、ひとりであそぶことにハマりがちな傾向も、お友だちと遊ぶように母の圧力でかなり調整されていたな〜と笑笑。
ほんと感謝しかありません。
母が最期を迎える時のことは、たぶん、一生忘れないんだろうな。
その頃私は、よく、母と添い寝をしていました。
幼少期から自立を促されていたこともあり、母に抱きしめられた感覚や記憶がなかったので、私が母を抱きしめてあげていました。
母は、私の子供になりたいと言っていました。
だから、何よりのおかえしができたのかなぁと思っています。
Atelier on the hill は母へ贈るラブソングでもあります。
そして、私にとって実家のようなもの。
色々なことがあったと思うけど、努めて良き母であろうとしてくれたことへの感謝と、良き妻であろうとしていたであろう敬意を込めて。
そんな想いが作品の源にあります。
たくさんのお客さまに支えられて、ここまでこれたことにも本当に感謝です💐🙏
2023年ものこりわずかとなりましたが、今年の制作分のオーダーがいくつかありますので、
引き続き、おだやかに、軽やかに、あたたかく、努めていきたいと思います^ ^
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