見出し画像

あなたは今まで生きてきて自分の人生が終わった、と、絶望感をなめたことがありますか?その後どうしましたか・・・・・・、生きている。人とはそういうものなんでしょうね。8/3「ねずみ色の雨」

そして病院のベッドの上で意識が戻った俺は絶句する事となった。
それは確かに命に別条は無かったが、男にサバイバルナイフで刺された右足側を通る大腿神経を損傷し、右足全体の感覚が無くなっていた。抓っても叩いても何も感じず、流石にこれから先、気楽な一人暮らしをどう生きるか迷っていた俺も、目の前が真っ暗になり絶望感に襲われた。
二三日すると二人の刑事が部屋に訪ねてきたて、あれやこれやと事件の事を聞かれたが、何故か殆どその時の状況が記憶に残っておらず、二人の刑事が顰め面を見合わせる事となった。年輩の刑事の方が俺を心配しながら「また来ます……」と言うと足早に立ち去った。
もっとも俺自身、そんな事件の事よりも今は自分の右足のことが心配でそれどころではなかった。
「坂崎さん、御加減はどうですかぁ――」
「あ、どうも先生、どうもこうも右足の方が何も感じないんで……、他はとくに何処も以上はないみたいです……」
「そうですか、それじゃ傷口が塞がり次第リハビリをはじめますか」
「――アッ、ハイ……」
ある日の事、病室に見舞客が訪れた。上司である営業三課の玉木課長と望月部長が態々手土産にフルーツの盛り合わせの籠を提げて来てくれた。
「お、元気そうだなぁ坂崎君!」
「あっ、玉木課長、アッ、望月部長まで……」
「おう、坂崎君、まぁ楽にしてくれ。それよりどうだ、足の具合は……」
「えぇ、毎日リハビリに明け暮れています――」
「そうか……、まぁ早く動けるようになると良いな。とにかく一日で早く復帰出来るようにリハビリに精を出してくれ。皆も待ってるからな……」
「まぁ、そう急かすな、玉木課長、坂崎君だって出社して直ぐには思うように働く事も出来ないだろうから、最初は無理させずボチボチ始めればいいじゃないか……」
俺は心の中でこの二人はタダ見舞いに来ただけなのだろうか、態々歯の浮くような言葉を並べに来た筈がない。他に何か言いたい事が有るんじゃないのだろうか、一体それは何なんだろうか、と疑問符が頭の中に浮かんだが、挨拶程度でそそくさと帰って行った事から俺もそれ以上深くは考えなかった。
俺は半年近くリハビリに時間を費やし、どうにか杖を突きながら歩けるようにはなったが、足の感覚は戻らないまま退院する事となった。しかし右足の定期検診、それと右足のリハビリは週に何回かは通い続けるようにと言われた。長い間共にしてきた病院のベッドともお別れし、久しぶりの自宅へと足を向けた。外は秋も深まりひんやりとした空気が漂い、時折吹く冷たい風にふかれながら左手で杖を突き右足を引き摺りながら歩いた。
あの事件から八カ月が過ぎ、離婚した夜に殺人事件に出くわし、自分の腕の中でその被害者が息を引き取るというとんでもない経験をしたお陰で、俺は離婚した事など何処か遠い遥か彼方へ飛んでいってしまい、何のしこりも残る事無く平穏な日々を送っている。
まぁ、右足が不自由になった事を除けばだが、これから先もこればかりは、消えて無くなることはないだろう。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?