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5.「生き残ることだけは忘れちゃ…」

 スレイブマスター・ジークはゆっくりとレムスとクーガーの前に歩み寄ってきた。身に帯びた凍り付くようなオーラ… レムスの心の底から恐怖が湧き起こってくる。思わずレムスはジークの目を覗き込んでしまう。
 ジークの目は深い赤褐色の…独特の光を帯びた瞳だった。これほどまでに凍てつく殺気を帯びているというのに、瞳だけは異様な熱さを持っているのである。まるで獣の狂気が彼を支配しているような 、そんな瞳だった。そう、まさしくジークは…狂った勇者だったのである。
 ある程度場数を踏んだレムスですらこのざまなのである。これほどの厳しい戦闘をしたことがない少年のクーガーにとっては、この身を切るような殺気がなんなのか理解することすら難しい。それほどの恐怖感が心の中を占めていた。それでもクーガーは父親譲りの勇気で必死になって恐怖と戦っている。
 もちろん2年もの旅の途中、クーガーだって何度か戦闘を経験したこともあるし、人を傷付けたことだってないわけではない。しかし今度ばかりは母親リキュアや他の大人達抜きで、この強敵をしのがなければならないのである。
 
 レムスは必死に荷車の前に立ってジークを阻止しようと身構えた。彼の後ろにはリンクスが、彼を初めて同格の友達として大切にしてくれた少年が眠っているのである。ようやく…5年もさがし続けてやっと巡り合えたというのに…ジークにだけは渡したくない…
 レムスは蒼白な表情でジークと対峙した。
 
 ジークは残酷な笑みを浮かべると、そのままレムスに近づいた。レムスは恐怖でこわばりながら、ジークに短剣を向けているしかない。何度も死闘を生き残ってきたレムスだったが、ジークの殺気に当てられると、まるで金縛りにあったようで、どうしても体が緊張感に満たされてしまうのだ。
 ジークはそんなレムスに微笑むと、あっという間にレムスの腕をつかみ、短剣を奪い去った。
 
「俺のリンクスに手を出すな。」
「リンクスはあなたのものじゃない!」
 
 レムスがそれでも素手でジークに挑みかかると、ジークはそれを軽々とよけてそのままレムスを投げ飛ばした。レムスのからだは近くの壁に叩き付けられる。
 ジークはさらに一歩を踏み出すと、荷車にかかっていたカバーをめくった。すると小さな若く逞しい剣闘士の姿があらわれた。リンクスである。
 ジークはまるでいとおしい相手に巡り合ったように、レムスの顔をなでた。ようやく起き上がったレムスはジークの目に浮かんだ…恐ろしい、そして悲しいほどの笑顔を見て、ショックを受けた。
 
 その時今度はジークにクーガーが挑みかかった。
 
「クーガーっ!」
「?」
 
 ジークは何も言わずクーガーの攻撃をかわすと、少年の腕をつかんだ。恐ろしいほどの力がクーガーの少年の腕を締め上げる。
 ジークは何か奇妙な印象を受けたのか、少しだけ首をかしげると、クーガーを突き飛ばした。これまたレムスと同じようにクーガーも軽々と吹っ飛ばされ、ごみ箱に直撃してしまう。あわててレムスはクーガーのところにかけよって少年をかばわざるをえなかった。
 
「邪魔を…するな。坊主…」
「くっ!」
 
 レムスはジークに手も足も出ない…という厳然とした事実をはっきりと自覚した。いや、レムスだけではない。クーガーだってそうである。この男には…狂った勇者ジークには、二人ともどうすることもできない。レムスは一瞬だが絶望せざるをえなかった。
 ところがレムスのかばう手を払い除け、クーガーは再び立ち上がった。あきらめていない…目に闘志が輝いている。少年だけに許された、無謀ともいえる勇気だった。鋼鉄の精霊の魂が少年の中に燃えていた。
 
「クーガー!」
「レムスにいちゃん、あきらめちゃだめだ!リンクスさんはレムスにいちゃんの親友なんだろ?」
「!」
 
 レムスはクーガーの言葉に一瞬どきっとした。そうだ…今、リンクスを守れるのはレムスしかいない。5年もさがし続けて…やっと巡り合えそうなのに …
 二人は再び身構えた。今度はさっきのように蒼白な表情ではない。闘志に燃えた瞳だった。ジークは二人のそんな様子を見て、わずかに不思議そうな顔をしたが…すぐに無表情に戻って言った。
 
「そうか。俺の邪魔をどうしてもするというのか…」
 
 ジークはすばやく上着を脱ぎ捨て、上半身裸になった。鍛え上げた逞しい筋肉が盛り上がるからだがあらわになる。そして今度は全力で二人に飛び掛かろうとしたのである。

*     *     *

 ところがその時ジークにだれかが声をかけた。
 
「ちょっとまてよ」
 
 ジークは声の主の方を振り返った。そこには金髪の背の高い青年が立っていた。青年は革のジャケットをまとい、あきれたように腕を組んで壁際に立っている。ジークが青年を冷たい目で睨むと、青年は頭を掻いて、それでも平気でレムスたちの前に割り込み、ジークの前に立ちふさがった。
 
「ジャッキーさん!!!」
 
 クーガーをかばったのはジャッキーだった。ほとんど子どもであるクーガーを蹴散らそうとするジークに見るに見かねて飛び込んできたのだろう。ジークは怪訝そうな表情をわずかに示したが、静かに言った。

「おまえには…関係ないことだ。」
「そうじゃないさ。そっちの子は俺の友達なんでな。」
 
 そういうとジャッキーは軽く身構えた。龍法戦士…遠い中原に伝わる黄帝の後継者達の拳法…その独特の美しい構えである。ジークはそれを見てわずかに驚きの表情を示した。
 
「龍法戦士か…わざわざ中原からご苦労なことだな。」
「ふん、おまえさんこそ暇人だな。わざわざまちぶせとか、していたんだろ?」
 
 ジークは無表情のままジャッキーの側に近づく。ジャッキーはそれでもひるむ様子はない。ジークはわずかに微笑み、そのままジャッキーに挑みかかった。すさまじい速度で両手を伸ばし、つかみかかったのである。
 ところがジャッキーは飛び掛かったジークを軽々かわし、空中に飛んだのである。ジークの真上をあっという間に半回転して飛び越すと、そのままジークの後ろに飛び降りる。そして今度はジャッキーがすばやく蹴りをジークの背中に叩き込んだ。
 ジークはジャッキーの蹴りをくらったのだが、ほとんど効いていないらしい。受け身をとって打撃を吸収してしまったのだろう。剣闘士独特のレスリング技である。
 
「さすがだね!この程度じゃ駄目か…」
「感心していないで…かかってくるがいい。」
「まいったな…しかたない…」
 
 今度はジャッキーがジークを攻める番だった。激しいパンチがジークを責め立てる。ぱっと見た感じではジークがかなり防ぎかねているようにも見えるのだが …実際のところは互角というところだろう。体力でまさるジークは、食らってもいいようなパンチはかわさず、危険なものだけさばいているのである。逆にジークの側も蹴りなどを繰り出しているのだが、こっちもジャッキーにはかわされていた。
 わずかな間、激しい戦いは続いたが、一段落つくと、二人はすばやく飛びすさり、間合いを取った。
 
「あんた、すごいね!」
「…いい剣闘士になれるぞ。おまえも…」
「そりゃ、ごめんだよ!」
 
 ジャッキーは困ったようにジークに笑ったが、さりとてこのままでは打つ手はないようだった。確かに二人は互角の勝負をしていたのだが、体力の点だけはジークの方がはるかに勝っている。あまり勝負を長引かせたくないのも本音だった。
 と、そこに助け船が現れたのである。突然ナイフがジークの足元に突き刺さった。タルトが…ようやく気絶した係員をどこかに隠してやってきたのである。

*     *     *

「大丈夫かっ!」
「とうさん!」
 
 タルトは短剣を片手にクーガーたちのところに飛んできた。こうなるとジークもさすがに分が悪い。ジャッキーだけでなく、タルトやクーガーたちまで相手にしなければならないからである。なんとタルトは、めったに見せない彼の秘められた力「移動と変化のルーン力」まで使う決意を固めていた。普段は感じられない強い霊気が、この華奢な盗賊の体から放たれている。それはタルトが、このスレイブマスターを強敵だと知っていることを意味していた。

 ジークは仕方ない、という表情をわずかに示すと、突然ジャッキーの方へ肩から突撃を開始した。バッファローか何かの突撃みたいである。思わずジャッキーはジークの突撃を全力でかわし、サイドに飛び出した。ところが…
 
 ジークが突撃した先には、リンクスが眠っている荷車があったのである。ジークはリンクスの傍らに飛び込むと、そのままリンクスを乱暴に片手で抱きかかえた。
 
「リンクス…行くぞ。」
 
 ほとんど意識の無いリンクスの耳元でジークはそんな言葉をささやく。リンクスはその言葉に…意識の奥底で反応せざるをえないのかもしれない。少なくともわずかに…苦痛の表情を示した。
 
「待てっ!」
「リンクスを返せっ!」
 
 慌ててリンクスを抱えるジークに飛び掛かったレムスは…次の瞬間猛烈な魔力の爆風に吹き飛ばされ、転げた。爆煙と砂埃が舞い上がり一瞬視界がなくなる。そして…
 
「!!?」
「攻撃呪文!?」
 
 煙が消えると彼らの目の前に、ジークとリンクスの姿はなくなっていた。わずかな時間の間にジークは瞬間移動の呪文でリンクスをさらってしまったのである。

*     *     *

「やられたっ!戦士があんな魔法を使えるなんて…」
 
 戦場に残されたレムスとクーガー、そしてタルトは地団太を踏んで悔しがった。せっかくやっとリンクスを目の前にしながら、寄りによって一番恐ろしい敵、あのジークに奪われてしまったのである。
 せっかくクーガーを助けたジャッキーもすまないという表情を隠せなかった。もちろんジャッキーにしてみれば、本当は別にクーガーたちを助ける義理も何もないのだが、せっかく助太刀したのにこんな結果になってしまうとちょっとつまらない気がするらしい。それに…スレイブマスター・ジークの格闘技や、そいつがわざわざねらうリンクスという少年のこともかなり気になる。いったいどういう秘密があるのだろう、と思わない方がどうかしている。
 
「あいにくだったな。坊主…いや、クーガーだったな。それからそっちの君も、さ。」
「ありがとうございました…僕がもっと強かったら…」
「本当に…すいません。」
「…あんな戦士魔法使いは一番あつかいにくいからなぁ…」
 
 うな垂れるクーガーをジャッキーは励ますように肩を叩いた。
 
「とにかく、さ、生き残ることだけは忘れちゃ駄目だぜ。」
「はいっ!」
「あんたいい事言うな。ほんとにありがとう。」
 
 タルトはこの見ず知らずの変わった金髪の青年に微笑みかける。ジャッキーはなんの…というゼスチャーをすると、その場を立ち去ろうとした。ところが …
 ジャッキーのジャケットのすそを持ってクーガーが引き止めたのである。
 
「ね、よかったら僕の母さんにあってくださいませんか?きっと母さんお礼をしたいって言うと思うんです。」
「そんなのいいよ。お礼ほしくてやったんじゃないって」
「いいじゃないか、俺たちあんたみたいな人、歓迎だ。気にしないで一杯ごちそうするぜ!」
「そうですよ、情報交換だと思ってぜひ…」
 
 三人にせがまれてジャッキーは仕方ないという風にうなずいた。まさかこれがまさか…ジャッキーの運命…「灰色の予言者」が告げた道であるとは、その時点ではジャッキーも一行も気がつかなかった。

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