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11.「えっ!あの…空飛ぶ箱で?」

 ナギたちが「鎖の都」調査旅行に出かけてちょうど1週間が経とうとしていた。
約束の期日…というわけである。そもそもクレイにしてみればあまり気が進まない作戦であったし、相手は極悪非道(クレイの視点でだが)の隷属の鎖の神官たちである。うまく行く方が過大すぎる期待というべきだろう。
 それにしても…これはクレイだけというわけではなかったのだが…まだ約束の刻限というわけではないのだが、クレイはいらいらと落着かない様子であった。クレイの本音は「別に情報など良いから無事に帰ってきてほしい」というのであるのはいうまでもない。別段敵対的…というわけではないのだが、それでも信用するにはあまりにも相手が悪い。最悪の事体になればナギたちが全員捕まって奴隷にされているということすら考えられるのである。
 
「レムス、おそいな…あいつら…」
「まだですよ、クレイ様。ナギさん達は早くても今夜になりますよ。」
「…あ、ああ…そうだな…」
「レディー・リキュア様もごいっしょなんですから大丈夫ですよ。」
「…ああ。」
 
 元隷属の鎖の神官で、今でもそこそこ連中と付き合いもあるという、レディー・リキュアもいっしょなのだから大丈夫である…というのは重々判ってはいるのだが、それでも不安でいっぱいになってしまうのがクレイの心配症なところである。心配が講じて、クレイらしからぬこんなイライラした顔をしているのだ。もっとも…実はここ数日のイライラはそれだけが原因ではなかったのだが…

 体よくナギたちから子守を仰せつかってしまったクレイだが、これが彼にとって想像以上の苦痛だった。まず何よりクレイは自分以外の人間というものがどのようなものなのか理解できていない。剣闘士奴隷をベースに帝国神将として作られた彼の肉体は、普通の人間とは全く出来が違う。彼にしてみれば軽く掴んだ程度でも、生身の人間にとっては万力で挟まれたかのような状況になる。それに彼に宿る氷河のルーン力の影響で、寒いとか暑いとかいうことがほとんど(寒さについては全く)感じられない。つまり、いろいろなところで並の人間とは尺度がずれてしまっているのである。
 そんな理由で、クレイは人と触れ合うようなことには、なかなか慎重にならざるを得ない。今までも普通の冒険者…ナギやタルト達と冒険をしたときも、何度も失敗をしているのである。まあ幸いナギヤタルトもその辺の呼吸はよく理解していたので、致命的な問題にはならなかったのだが…

 それにもう一つ…実はこちらのほうが大きな問題とも言えるのだが、クレイは人にモノを教えるには、普通の人間としての経験が決定的に欠けていた。帝国神将としての能力やルーン力の巨大さなど、子供の教育には関係あろうはずがない。いや、言い方は悪いが、クレイ自身が子供のようなものなので、人様の教育などできようはずがないのである。
 それを自覚しているクレイだから、今回レムスやクーガーのような子供(まあレムスはそろそろ子供卒業なのだが)を相手にするとなると、もうどうしたら良いかさっぱり判らなくなる。レムスはともかくクーガーのほうは本当に少年である。まだ身体の方も(年齢よりはしっかりしているとは思うが)十分に出来ていない。こんな相手にどう接したらいいのか、このクレイという不器用な人間にはさっぱりわからないのである。
 正直クレイにはナギヤタルトの考えが…少なくともこれに関しては全く理解できなかった。そんなわけで、クレイはタルトたち不在の一週間が、それこそ一日千秋の…まあ三ヶ月位の月日のような気分だったのである。
 
「だんな様、そろそろお夕食にいたしますよ。」
 
 執事のジョルジオが夕食のしたくができたということで彼らを呼びに来た。なおも不安な表情を隠せないクレイだったが、食事抜きにされてはたまらない。ということでしぶしぶ…まるでレムスに引きずられるように食堂にゆこうとしたクレイだったのだが …
 その時空の方から妙な音が聞こえてきたのである。
 
 ヘタヘタヘタヘタヘタヘタヘタヘタ …
 
 なんとなく根性の無い…力のぬけそうな気がする音である。恐らくは何かが回転する音なのだろうが …
 
「何の音だ?」
「さて…奇妙な音ですな?ちょっと見てまいります。」
 
 ジョルジオは首をかしげて庭に様子を見にでた。クレイもちょっと気になっているらしく後をついて庭の方に向かった。と …
 突然前にいるジョルジオの悲鳴が聞こえてきたのである。
 
「ひ、ひええっ!だんな様っ!空にでっかい…箱が!!!」
「は?はこ?」
 
 クレイはちょっと慌てて廊下を走り、ジョルジオのいるはずの庭へと飛び出した。情けないことに老ジョルジオは尻餅をついて夕闇の空を見上げている。いや、夕闇、といったが…妙に暗い。空を指差すジョルジオにしたがってクレイもそのまま空を見上げた。そこには …
 巨大な箱…ではなく木造の船のようなものが浮かんでいたのである。
 
「あれは…!!!」
「…ギルドの飛空船です!」
「飛空船!?」
「空飛ぶ…貿易船です!でも、なぜこんな街中に!?」
 
 クレイは周囲を見回してみると、やはり同じように異変に気がついた人々が三々五々通りに飛び出して空を見上げている。そろいもそろって空を見上げる姿は、いささか情けないのであるが …
 良く見てみると、その「飛空船」というものは大きさは…ちょうど外洋用のヨットくらいでそれほど大きいものではないようだった。恐らく中には15人くらいしか乗り込むことはできないだろう。高度が低いのでかなり大きく見えるのだが、実際のところは15mもない。ただ…問題はこの飛空船がどのような目的でこの帝都に乗り込んできたのか、ということだった。普通に考えればこんな街中に飛空船が乗り付けてくるということ自体、大問題だし、防空担当が見逃すはずも無い。
 となると…防空担当の目をかいくぐるほどの強力な魔法で姿を消していたということになる。とにかく…ろくな相手ではない。
 クレイは肌身はなさずいつも持っているガイアードの剣を手にすると、この不信な飛空船に向かって構えようとした。必要ならば…帝都の安全を脅かすこの危険な相手を破壊せねばならない。ところが、その時レムスが叫んだ。
 
「クレイ様!あれ!ナギさんですよ!!」
「えっ!?」
「ほらっ!窓から手を振っています!タルトさんもいっしょです!」
「…本当だ!…あいつらっ…人騒がせな…」
 
 確かに目を凝らしてみると、ヨットサイズの飛空船の窓から人影が手を振っている。間違いなくそれはナギとタルトの姿だった。この人騒がせな飛空船の正体は…鎖の都から戻ってきたナギたちだったのである。

*     *     *

 クレイの指示で港に移動した「飛空船」から降りたナギ達を、クレイは呆れ顔で出迎えた。普通は飛空船といえども船なので、他の帆船やガレー船と同じように港湾に着水するのがきまりである。街中に入ってくるということ自体、本当は問題なのだが、クレイの口利きで大目に見てもらったのである。
 
「おまえらぁ…どうしてこんなに派手にしないと気が済まないんだ… 」
 
 呆れ返ったようにいうクレイに、ナギは笑った。ナギという奴は別段派出好きとかそういうことはないのだが、すこぶるいたずら好きというところがある。たまにこういう他人の度肝を抜くことをやって喜ぶのだ。
 ナギに連れられるようにタルトとリキュアが降りてくる。どうもナギやタルトのように元気いっぱいの連中に比べて、リキュアはあまりそういう感じではない。疲れきったような様子である。
 
「船酔いか?」
「そういう訳じゃないけど…ちょっとね…」
「おっかながってね、すごかったぜ。」
 
 力なく笑うリキュアにタルトは突っ込んだ。要するに足元が空中である、というこの飛空船に二人とも参ってしまったのだろう。リキュアは亡くなっただんなであるランドセイバーに乗せてもらって超音速で空を飛んだときには平気な顔をしていたのに、飛空船ではぜんぜん駄目だったらしい。恐らくは意外とゆれるのだろう。
 彼らに続いて一人の若い商人風の男が降りてきた。どうも彼が飛空船のオーナーらしい。ギルドの商人に一般的な帽子をかぶっており、柔らかい布の服を着込んでいる。ただ、恐らくは中にチェーンメイルを着込んでいるのだろう、すずやかな鎖の音が歩くごとにさらさらと音を立てる。
 
「あ、紹介するよ。こちらはヴィドさん。ヴィド・カスカードさんっていう商人の方で、ギルドの人だ。」
「貿易商人か…」
 
 ヴィドは笑顔で右手を差し出した。クレイはその手を取って握手を交わしたのだが、意外なことにこの商人、かなり力もあり、まるで戦士のようにしっかりした腕を持っている。見かけよりずっと体格もよさそうで、どうもかなり冒険じみた商売をやっているのではないか、という気になる。
 
「帝国最高神官…クレイ・クレソンズ卿ですね。ヴィド・カスカードです。ヴィド、と呼んでください。」
「あ、クレイです。お目にかかれて光栄です…」
「あはは、あなたみたいな高位の人が、そんな事を言っちゃいけませんよ。『遠路ようこそ、よくぞ我が帝国にこられた』、なんて言ってくださればよろしいんですよ。」
 
 社交なれしていないクレイは…こういう時に自分の身分に合った言葉を上手に使い分ける、ということができない。ヴィドはある程度クレイの噂を聞いていたのであろうか、それでもクレイのことを馬鹿にせずににこやかに話し掛ける。クレイはこの楽しげな商人の態度に、少なからず好感を感じた。
 
「俺は…いや、私はあまりそういうのが得意じゃないんですよ。」
「気にすることはないですよ。どんどんしゃべっているうちに慣れますよ。そんなものです。」
 
 とかなんとか言いながら、ヴィドはにこにこ笑って談笑を続ける。これは完全にヴィドのペースである。ただ、その話が軽やかで、聞いている人を退屈させないというのは、これはたいした物である。商人特有の話術、というわけなのだろう。

*     *     *

 このまま放置すれば話が尽きそうにないのを見て、さすがに慌てたらしく、ナギはヴィドとクレイの四方山ばなしに割り込んだ。
 
「あ、クレイ。ヴィドさんはジークの追跡に協力してもらうために、特にお願いしたんだ。」
「えっ?本当なのか?いったい…」
 
 ナギの言葉を聞いてさすがにクレイはちょっといぶかしげな顔をした。ジークを追跡するために協力してもらうというのは、聞こえは良いが、そんな都合のよい話がある訳はない。商人、ということがなくても無償でそんなことをほいほいやってくれるというのは信じがたいし、リンクスのことを知っているとかそういう訳でもなさそうである。これはいったいどういう事なのだろうか …
 ヴィドはその件に関しては、ちょっと残酷な答えを返してきた。
 
「実は僕は…隷属の鎖の最高神官殿の知り合いなんですよ…」
「えっ…」
「まあ、商売の都合でちょくちょく鎖の都には行くわけです。いいお客様なんで…」
 
 ヴィドがちょっと言いにくそうに答える様を見ると、クレイが隷属の鎖教団に対してどういう感情を持っているのか知っているのだろう。極力刺激しないように、それでいながらあまり隠し事などをかかえた、居心地の悪い状態にはならないように、というわけである。先にこういう形で手札をさらされてしまうと、あまりクレイとしても強いことは言いにくい。
 
「鎖の都の最高神官ルードヴィヒ様は、今回の件に関してさすがにご心痛になられておいでで…でも、まさか隷属の鎖の神官団を送り付けるわけにはいかないでしょ?」
「まあ…たしかに…」
「ですから僕が、特に頼まれてあなたがたに協力する、ということになったのですよ。無論、ただでは有りませんがね。」
 
 そう言ってウインクするヴィドにクレイは何ともいえない表情をした。つまりはジークの件に関しては、隷属の鎖教団も詳しいことは把握していないということである。意外な展開を重視した教団側も、クレイに協力する、という形でヴィドを送ってきたのだ。つまりは共闘、ということなのだが、これは複雑な心境にならない方がおかしい。
 少し考えてからクレイはようやく口を開いた。
 
「…でも、ヴィドさんにどうやって協力してもらうんだ?ナギ…」
「そりゃ、上方世界を旅するのに歩いてゆく気ですか?僕の飛空船ですよ。飛空船で上方世界を旅する、ってわけです。」
「えっ!あの…空飛ぶ箱で?」
 
 クレイは思わず力が抜けた。あの…へたへたと奇妙な音を立てながら空をゆっくり飛ぶ「飛空船」で上方世界をのんびり旅行する…考えただけでなんとなく不気味な気がする。ただ …
 右も左も判らない上方世界で、こういう経験豊富な道案内がいるというのは何よりも心強いのかもしれない。利害があまり対立せず、そして一番必要な助力を提供する…隷属の鎖の最高神官も粋なことをするものである。
 クレイはルードヴィヒの助力…つまりヴィドを快く受け入れざるをえない、という結論に達したのは言うまでもない。

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