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9.「上方世界への門!!?」

 クレイたちは眠気も吹き飛び剣を取ると、大急ぎで屋敷を飛び出した。ジークが何を考えて、こんな自暴自棄な作戦を決行したのか、それすらまったく考えている余裕はない。どう考えても帝国の心臓である「帝国女神神殿」に乗り込んで来た以上、自殺覚悟としか言いようが無いのである。
 問題はいったい帝国神将たちは何をしていたのか、ということだった。いくらジークが神将並みの力を持っているからといって、そしてリンクスが手をつけられないほど身軽だからといって、帝国女神神殿にのこのこやってきて、取り押さえることも出来ずにクレイの増援を求めてくる、ということ自体が納得できないことではある。「帝国に人無し」というわけではないが、いくらなんでもこれは醜態過ぎであろう。
 それとも、並みの帝国神将では手が出ないほどとてつもない力をジークは持っているのか?
 
 数々の疑念が走る中、クレイとタルト達は真夜中の帝都を女神の神殿に向かって駆け続けたのである。

*     *     *

 帝国女神神殿に飛び込むと、幸い火の手とか爆発音とか…そういった騒ぎはおきていなかった。神将側はめったなことではそんな危険なことはしないのだが(神殿に被害が出たら大変である)ジーク側はそうではない。どうもこうしてみるとジークはかなりスムーズに神殿の奥にまで入ったのだろう。
 クレイたちが姿をあらわすと、神将たちは慌てて彼を出迎えた。いくら日ごろの評判が悪いといっても、帝国の軍事を預かる最高神官である。こういう時には頼りに感じるらしい。
 
「他の最高神官がたはどうなさった?」
「海の最高神官様は現在上方世界で作戦中です。天空の最高神官様はまもなくおこしになると思います。」
「あのじじいめ…肝心なときには遅いのだから…」
 
 クレイは思わず悪態を突いた。亡くなった前の天空の最高神官と違って、今度の最高神官タラントラスはクレイから見てもどうもいけ好かない。話ではかなり悪どいことをやっていると聞くし、タルト達から聞いた話でもイックス攻防戦では陰謀の限りを尽くしたと聞く。敵だけでなく味方まで引っ掻き回すというのだから、クレイのような戦士肌の人間には気分の悪くなる相手というしかない。それでもこういう時くらいは強力な魔力で(クレイが見ても確かにタラントラス老は強力な魔力を誇っていることだけは判る)何とかするべきなのに …
 とにかくクレイはいつものようにガイアードの剣を抜き、慎重に帝国女神神殿の中に行っていった。

*     *     *

 広い帝国女神神殿に入ると、何枚もある扉がジークの進路のままに開いている。まるで、早く来いとばかりに誘っているようである。
 こうしてみている限りはジークは全く抵抗らしい抵抗を受けていないかのようである。圧倒的な力で、神将たちには近づくことができなかったのか、それとも魔力で気づかれずにかなり奥まで入り込んだのか…クレイの感では、むしろ後者がありえる線だと感じざるをえなかった。そうでなければ、戦闘の跡一つ無いこの神殿の状況はは説明できない。ということは、いずれにせよ神将の目をくらませ、この大神殿に侵入できるほどの実力を(それがどのような手段にせよ)持っているということになる。
 クレイはジークの実力に底知れぬ恐怖を感じざるをえなかった。タルトから聞いた噂以上に、このジークという男は恐ろしい相手なのではないか、そう感じるのである。
 
 そして、クレイたちが「女神の間」、つまり帝国女神が現世に姿をあらわす際に御座所とする中央神殿の一つ手前のフロアーに入ると、そこで彼らは歩みを止めた。クレイの目の前の大扉は閉ざされてたからである。ここまでのすべての扉は開けられていた、ということを考えると、ジークはこの部屋にいるということになる。
 
「ジークとやら…居るんだな?ここに?」
 
 クレイは宙に向かって呼びかけた。クレイの神経はさっきから警告を発し続けている。動物的な感が…これは剣闘士として育った彼の持つ特別な感なのかもしれないが、彼の中で闘いを警告しているのである。そう、昔、何度も経験したことのある、戦闘の前の奇妙な興奮感 …
 そして、狂った勇者は姿をあらわした。
 
「ああ。まっていた。」
 
 柱の陰からジークは姿をあらわした。傍らにリンクスもいっしょである。間違いなくリンクスだった。5年ぶりに出会うリンクスの姿は…あのころから少しも変わらない。ただ前よりもさらに全身がしっかりとして(前から筋肉がはちきれんばかりで、まるで豆タンクだったのだが)、力強さが増しているのだが。とにかく…
 ただ、悲しそうな瞳で昔のままにクレイたちを見つめている。それが彼が本物のリンクスであるという証だった。
 
 リンクスの肩を抱き寄せているジークのほうは、これはこれでクレイにとっては一種恐怖感を覚える相手だった。ジークの姿は、元剣闘士であるクレイに匹敵する逞しい肉体を誇っている。紛れも無く彼も剣闘士だった。そう、ジークとリンクスはまるで剣闘士の兄弟のようだった。顔や髪の色こそ違うものの、そういう印象が強い。何よりクレイにとって恐ろしいのはジークの瞳だった。リンクスが「悲嘆と苦悶の瞳」であるなら、ジークは「絶望と狂気の瞳」そのものだった。砕け散ってしまった心が夢見る狂気の中にこの男は永遠に閉じ込められている …それがクレイにはすぐに判ったからである。だから…
 
「何のつもりだ!?ジークとやら。」
「ここで待っていれば、おまえが来る。俺を倒しに、な…」
 
 クレイは思わず唇を噛んだ。ジークはわざわざクレイに会うために…クレイと闘うためにこの帝国女神神殿に踏み込んだのだ。挑戦とか…そういう奴なのだろうか?いや、どこかそういうのとは違う…これはクレイの勘なのだが…そう思えてならなかった。しかし、クレイにはそれが何なのかはわからなかった。
 クレイはじろりとジークをにらんで返事をした。
 
「そのつもりだ。そして、その少年は返してもらう。」
 
 ジークは無表情のままリンクスをさらに固く片手で抱き寄せた。リンクスはわずかに悲しげな表情を強めたが、抵抗も出来ず(魔法の鎖に肉体を支配されて)そのままジークの逞しいからだに身を預けていた。
 ジークは静かにクレイに…はっきりといった。
 
「こいつは…リンクスは、俺のものだ。おまえには渡さない。」
 
 リンクスの肩を狂おしいばかりに抱きしめるジークの瞳は、暗い狂気の炎で満たされていた。

*     *     *

 ジークとクレイたちの闘いは激しいものになった。「ガイアードの剣」を手にするクレイに対して、ジークは見事な格闘技と強大な魔力で対抗する。剣の技、格闘技ではジークとクレイはほぼ互角だった。体格から見ても、元剣闘士であるという事から見ても、二人の技はプロレスや剣闘士試合のようである。ただ、あまりに実力が伯仲していて、このままではとてもじゃないが決着がつきそうにない。
 
 周囲のタルト達はといえば…こっちはこっちでリンクスというこれまた最悪に近い強敵を相手にしなければならない。「ソルジャーボーイ」という異名のあるリンクスを相手にするのは、タルト達では荷が重いというのは、彼ら自身が一番良く知っている。実際リンクスの矢面に立つことが出来たのはナギ一人くらいだった。ナギは、こいつは「呪術士拳法家」という反則な男なので、リンクスの空中戦に何とかついてゆけるのであるが、問題は他の連中である。
 クレイとナギの二人がそれぞれ背後の味方を守って闘うとなると、戦場を縦横無尽に駆けるリンクスを支えるのはきわめて難しい。まともに打ち合えば互角でも、背後の味方を守るとなると簡単にはいかないのである。となるとリンクスに引っ掻き回されて、なかなか攻めに出ることもままならないのだった。完全に防戦ばかりになってしまうというわけなのである。
 
「こりゃたまらねぇぜ!リンクス、前より百倍強いじゃねぇか!」
「コロシアムで見たときよりすごいわ!このままじゃまずいわよ」
 
 背中合わせになってタルト達はリンクスの攻撃から何とか身をかわしている …という惨状では、思わずタルトも音を上げてしまう。本当ならばリンクスをやっつけるのではなくて、取り押さえたいのが本音なのだが…とてもそんなことを考えている余裕はなさそうである。
 
「仕方ないわ!ジークをやりましょ!」
「クレイの邪魔にならないか!?」
「そんなの関係無いわよ!ジークをつぶさないとリンクスにやられるわっ!」
 
 リキュアは急いで呪文を唱えると、今度はリンクスではなくジークをねらった。確かに一番いいのはスレイブマスター・ジークを倒すことであるということは間違い無い。ジークを倒せば糸の切れたマリオネットであるリンクスは倒したのも同然である。

*     *     *

「なによこれっ!」
「まさかっ!」
 
 ジークに向かって炎の矢がまっすぐに飛翔すると、それに答えるように突然ジークの周りにすごい爆発が巻き起こった。呪文の炎…間違いなく強力な魔道士だけが持つ魔力である。

「あいつ、戦士でしょ!?なぜあんな強力な魔力を持っているのよ?」
「いったい…あれは…」
 
 リキュアは今までクレイと格闘していたジークが…こんどは両手に炎の塊を持っているのを見た。「隷属の鎖」教団や剣闘士奴隷では絶対に考えられない呪文… 魔法使いの呪文である。少なくとも同じ隷属の鎖教団に所属していたことのあるリキュアには信じられないことだった。
 ジークは何も言わず呪文をリキュアに向けて投げつけた。真っ赤な炎がまるで帯のように伸びる。クレイは慌ててジャンプするとリキュアの前に立ち、呪文を『魔力吸収』、攻撃呪文をかき消す魔法の壁でジークの呪文を支えた。
 ところが…まだクレイが1つ目の呪文を消しきる前に…2つ目の呪文が飛んできたのである。
 
「な…なにっ!」
「えっ!うそでしょ!!」
 
 クレイのはった結界は呪文2つを支えきれず吹き飛ばされた。その瞬間クレイとリキュアの周りに猛烈な爆発が起きる。何とかクレイは身体に宿る氷河のルーン力で支えきったが、さすがに無傷というわけにはいかない。ましてやリキュアはもっとひどい状況である。

「かあさんっ!」
「リキュアっ!」

 クーガーとタルトは同時に悲鳴を上げる。が、リキュアとて歴戦の冒険者である。なんとか致命傷は避けていた。
 爆炎が消えると、クレイは再びジークの前に立たざるをえなかった。いったいなぜあんなにすばやく2発の呪文を放つことが出来たのか?いくら魔道士でも呪文を放つと、次の呪文を準備するのにいくらかの時間が要る。あれだけの短時間で2発の魔法を放つということは、とてもじゃないが出来るものではない。
 ところが …
 
 見あげるとジークは…なんと驚いたことに…「右手と左手に別々の呪文を準備していた」のである。
 
「なんだとっ!!!!」
 
 今までこのかたどんな魔法使いも2つの呪文を同時に放ったものはいない。たまに一見そう見えることもあるが、それは魔法のアイテムを2つ同時に使っているだけのことである。しかし…どう見てもジークはアイテムを使っている様子はなかった。紛れも無く2つの別の呪文を同時に唱えていたのである。
 ジークは何も言わずに再びクレイに向けて手にした二つの呪文を一挙に放った。クレイは全力の『魔力吸収』の壁で呪文をこらえたが、一度に二つの呪文を支えるのは並大抵のことではない。すぐに壁の周りから呪文ははみ出て、クレイのところまで熱気がやってくる。
 
「ちっ!!」
 
 クレイは再び氷河のルーン力に頼るはめになった。このままではいくらクレイでも危なかった。クレイの周りに凍てつくような冷たい空気が集まり、ジークの炎をかき消しはじめる。
 何とか呪文を支えながら、クレイは焦りを覚えた。このままでは…クレイならなんとかなるかもしれないが、タルト達は危ない。リンクスの剣とジークの呪文の同時攻撃を受ければ、いくらなんでもタルト達は全滅しかねない。何とかしなければならない…ということは判っていても手が無いのだ。
 しかし…そのとき …

*     *     *

「クレイどの!呪文の方は私に任せて結構です。」
「おおっ!」
 
 彼らの背後にアルトのやや年老いた女性の声が響いた。クレイにも聞き覚えがあるその声は、紛れも無く海の最高神官…クレイの同僚にして聖母教会の最高女祭その人でだった。
 
「ジークとやら…どこでそのような魔力を手に入れたのかは存じませんが、ここまでの狼藉、ただで済むとは思っておりませんね?」
「海の最高神官か。」
 
 ジークはわずかに、面倒な奴が来た、という表情を示した。クレイとタルト達なら十分闘える。しかし魔法に長けた海の最高神官まで相手にするのはあまり得策ではない…というわけである。ジークはやむなくリンクスを呼び戻した。
 
「行くぞ、リンクス。」
「逃がすと思うのか?!」
 
 ジークはクレイの声を無視してリンクスを差し招く。リンクスは一瞬苦悶の表情を示したが、鎖がわずかに光を放つとそんな彼の意思など一瞬にして押し殺されてしまう。リンクスのからだはジークの命令のままに宙を舞い、ジークの傍らに移動した。
 ジークはそのまま壁の方へと走ると、突然左手から魔法を放った。強力な火炎呪文…クレイたちの視界が一瞬炎と煙に包まれる…そして …
 煙が消えたときには、ジークたちは姿を消していた。代わりにジークたちの立っていたところには光り輝く穴が出来ている。輝く魔法の穴は七色の光を放って脈動している。
 
「あれはっ!?」
「まさかっ!上方世界への門!!?」
 
 上方世界…神々や高位の精霊が住んでいる世界…人間界より魔法的に高位の領域である。比較的簡単に出入りできる精霊界とは違って、上方世界へはよほどの魔法使いでない限り、このような形で出入りすることはできない。特定の限られた場所で強力な儀式呪文を使ったときにのみ、このような扉を生み出すことが出来るのである。そして確かに、この帝国女神神殿はそんな「限られた場所」の一つだったのだが、いとも簡単にジークは上方世界への扉を生み出し、そこを通じて逃げ出したのだ。
 
「いったい…奴は…」
 
 クレイは驚きのあまりジークたちを追うのも忘れ、しばしその場に立ち尽くす以外…どうすることもできなかったのである。

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