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大崎甘奈はどこにいるのか?(1/2)——Stellaの世界観について 【シャニマス】

 「THE IDOLM@STER SHINY COLORS COLORFUL FE@THERS -Stella-」(以下、Stella)は単なるソロ楽曲の寄せ集めではない。「同じ世界観を共有しているオムニバス形式の音楽作品」である——それが私の見解です。

 本記事では、Stellaで描かれている対比的かつ写実的な情景描写から、Stellaの世界観を読み解きます。そして、その世界観を読み解いた末に私が感じた「……甘奈の曲だけなんか異質じゃね?」という疑問について論述します。

対比的な情景描写、個性の差異

 Stellaの歌詞には、対比的な情景描写がいくつか登場します。それらを読み解くと、アイドル達が同じ世界観を共有しており、その世界の中で何を見ているか、それをどう捉えているかによって各々の個性が表現されていることが分かります。

 「夕陽」を例に挙げて、見てみましょう。

今日がまた 過ぎてゆく オレンジ色に染まる街
どうして? 見慣れたはずの 夕陽がやけに眩しい
「夢見鳥」

 これは「カラカラカラ」の一場面——事務所の屋上から夕陽を眺める円香を連想させる歌詞です。

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 「ハナマルバッジ」(小宮果穂)の歌詞にも、夕陽を眺める描写があります。しかし、憂鬱げに夕陽を眺める円香とは様相が全く異なります。

ハイヒールって面白い
猫の背伸びのかたち
履いたら 背伸び 夕陽が見えたよ
大人 スゴい!
「ハナマルバッジ」

 相変わらず元気いっぱいで微笑ましいですね。円香は夕陽に目が眩んでいますが、果穂はまっすぐと見つめています。

 このことから分かるのは、二人は夕陽という客観的事象を観測しているが、それをどう見ているかには明確な違いがあり、各々の個性が反映されているということです。

果穂と円香

 図にすると、こんな感じです。

 このような対比的な情景描写は他にもあります。以下に、私なりの解釈を添えながらまとめてみます。

○街
ありったけの輝き(櫻木真乃)
「街中がキラキラと虹色に包まれてく なんてカラフルな世界」

夢見鳥(樋口円香)
「今日がまた 過ぎてゆく オレンジ色に染まる街」

 真乃の視点では、街はキラキラと虹色に包まれています。対して円香は、儚さや終末感を感じさせる、夕焼けに染まる街を眺めています。

○ビル
アポイント・シグナル(月岡恋鐘)
「電車の窓 うつろう景色 乱立する高層ビル」

夢見鳥(樋口円香)
「背の高いビルの間に ひっそり咲いてる花たち」

 恋鐘はビルを眺めていますが、円香はビルの間に咲く花を見ています。恋鐘の細かいことを気にしない大らかな性格、円香の繊細さが感じ取れます。

○青空
ありったけの輝き(櫻木真乃)
「ここではないどこか知らない世界に 何色の空を描こう」
「ココロはいつも真っ直ぐ(空へと)」

夢見鳥(樋口円香)
「ぼんやり眺めた空は どこまで続いてるのかな?」

ハナマルバッジ(小宮果穂)
「ぱぁっ!と咲いた青空へ アンブレラ・ブレード 振りかざそう」

 真乃と果穂は能動的、円香は受動的に空を眺めています。「何色の空を描こう」は「シャイノグラフィ」を思い起こさせますね。

○雨空
ありったけの輝き(櫻木真乃)
「雨上がりを待つ窓越し」
「だけどわかるの、もう傘はいらない気がしてる」

小宮果穂
「雨の街を見に行こう 新しい靴で行こう」
「真っ赤な傘で待ち合わせしよう お日様と」

 真乃は雨の街へ出歩くことを躊躇します。W.I.N.G本編などでも、自分がアイドルでいいのかと不安を抱いていましたね。果穂は積極的に雨の街へ出かけます。
 そして、どちらの歌詞でも傘という単語が登場します。……これはかなり穿った見方ですが、雨から身を守るための道具としての傘が、現在の真乃には不必要で、果穂には必要というのは暗喩的です。子どもである果穂には、自分を守ってくれる存在——プロデューサーや放クラのメンバーが必要不可欠なのかもしれせん。まあ単純に遊び道具として傘が出ているだけっぽいですが。

○星
星をめざして(芹沢あさひ)
「見上げた宇宙に 踊るヒカリ」

 ここに至るまでは、ビル、夕陽、雨など、地上または空にある光景だけでした。しかし、あさひはさらにその上、宇宙にある星を眺めています。地上の風景を眺めている描写はありません。街の風景や空にあるものよりも、遠い宇宙にある星に重きを置く、という捉え方をしていることが分かります。夢中になると周囲のことが見えなくなる。あさひらしい歌詞ですね。

〜〜2021/2/1追記、以下〜〜

 ここ見逃してました……!! 果穂にとっての星は遠くにあるものではなく、放クラの皆と作り上げる人工的な星なんですね。

〜〜追記、以上〜〜

 私が確認できた限りでの対比的な情景描写は以上です。Stellaの世界に存在する客観的事象を、その世界に生きるアイドル達はどう見ているのか。その違いを読み解くことで、各々の個性の差異を読み取ることができます

 チョコ先輩はひたすらスイーツを眺めてますね。それもまた個性。

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同じ空間に存在するアイドル達

 他の歌詞も含めて考えると、アイドル達がどの場所にいるか分かります。……ある一人を除いて。

 アイドル達がどこにいるのか、何を見ているのか。図にしてまとめてみましょう。

どこにいて、何を見ているか

 智代子は街中のカフェ、真乃・円香・恋鐘・果穂は街中。あさひは地上のどこかにいます(そこから宇宙へ飛び立つ)。細かいところは違うかもしれませんが、大体はこんな感じでしょう。

(余談:こうして見ると、あさひがたった一人で宇宙にまで空間を拡張してますね。遠いところにあるものを夢中で追い求める彼女の姿勢が、作品全体に奥行きを与えています。「プラ二スフィア ~planisphere~」がすでに同じ役割を担っていますが、それに匹敵する役割をたった一人でやってのけるのは何ともあさひらしい)

 Stellaはこのように、アイドル達を同一空間上に存在させることで、作品全体の調和を生み出しています。

 ……少し話は逸れますが、「アポイント・シグナル」(月岡恋鐘)について、こんなツッコミを見かけました。「えっ、クール系ボーカルユニットのセンターを務めている恋鐘が、こんなにかわいい曲を!?」

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 確かに、シャニマス本編における恋鐘はそういう要素を持っています。恋鐘SSRの思い出アピールはどれもカッコいい。そこに焦点を当てて、ソロ楽曲はロック調にすることもできたはずです。

 恋鐘に限らず、たとえば果穂なら——

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「ヒーロー参上! 弱きを助け 強きをくじく!
熱い正義を胸に秘め 放て! ジャスティス・ソード!」

 みたいな歌詞で、特撮OPっぽい曲にするのもありです。私はそんな曲になるんだろうなと予想していました。

 しかし、そんな風に各アイドルの個性を強調しすぎると、作品全体の調和が崩れてしまい、ちぐはぐな内容になってしまう危険性があります。視覚的に表現すると、

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 これだと「チョコ先輩の衣装が気になりすぎて、円香が頭に入ってこねえ……」ってなりますが、

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 Stellaジャケット写真の衣装を着せれば、統一感が生まれます。これと同じように、Stellaの楽曲は曲調が極端に異なるものはなく、作品全体の調和が保たれているのです。

(余談:Stellaジャケット写真の衣装は全て、シャニマス本編で登場したものです。ブシドーPさんの記事で詳しくまとめられています)

 調和を保つための工夫が曲調だけではなく、歌詞にも表れているのです。同じ空間を共有させて、その空間にある客観的事象をアイドル達がどう捉えているかの違いによって個性を描けば、作品全体の調和を保ったまま、各々の個性を強調することができます。

 また、Stellaはアイドル達が見ている情景を写実的に描くことで、彼女達の息遣いが感じられるようなリアルさを演出しています。写実的とは随分かっこつけた言い方ですが、つまりは現実感のある描写、解像度の高い描写ってことですね。

 話が段々込み入ってきました。シャニマス本編、甜花のホームユニット会話でたとえましょう。

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 事務所のソファは、雛菜のお気に入りの場所です。が、甜花もこのソファで普段だらだらとしています。

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 そこで「あ〜……座ります〜?」「い、いいの……? にへへ……」という会話が繰り広げられます。「く……くれるの……? クッキー……!」「あ〜……じゃあ、どうぞ〜?」はこの直後の会話でしょうか。

 これらの会話について、雛菜の「じゃあ」からATフィールドを感じられたり、甜花は「座席もお菓子も奪うの図太すぎる」と言われていたりします。ソファにまつわる会話から、二人の個性を感じ取ることができます。

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 ゲームについては「甜花ー このゲーム、また対戦しねーか?」「え、えと……あの……甜花……それ……もうやってない……」という会話があります。

 ……そこはもうちょい頑張って話合わせろよ! と思わんこともないですが、オタクとしてはわかりみが深い話です。

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 「ゆ、幽谷さん……! 今日、レアモン……出る日……だから……その……」「ふふっ……準備……できてるよ……」

 霧子は同じゲームをプレイしているようです。……樹里、機械音痴だもんな。流行に乗り遅れたのかな。

 このように、事務所という同じ空間上で、ソファやゲームを題材にした会話が繰り広げられることにより、各々の個性が表現されています。彼女達は283プロダクションに所属する同じアイドルであるという一体感、ソファやゲームにまつわる出来事からは各々の個性が感じられます。そして、そんな会話を読んでいる私たちは、アイドル達の存在を身近に感じることができます。

 Stellaはこれと同じことをしています。「円香は事務所の屋上で夕陽を見てるけど、果穂ちゃんは別の場所でハイヒール履きながら見てるのかなー」なんて妄想を膨らませることができます。

 話が長くなってしまいましたが、以上、ここまでの解釈を元にすると、Stellaはこのように論評することができます。

 Stellaは、アイドル達を同一空間上に存在させている。そして、その空間に存在する客観的事象の捉え方が観測者によって異なることを、対比的かつ写実的な情景描写によって浮かび上がらせている。これにより、作品全体の調和を保ちながら、アイドル達の個性の差異を描いている。
 また、写実的な情景描写によって、彼女達の存在が身近に感じられるように演出している。

 Stellaは単なるソロ楽曲の寄せ集めではない。同じ空間にいて、その空間にある何かをどう見ているか、それをリアルに描くことで、作品全体としては調和を保ちながら、各々の個性を輝かせる秀逸な音楽作品である。そう結論づけることができる……はずでした。

(余談:似たような構造を持つ音楽作品として米津玄師「diorama」、トーマ「アザレアの心臓」が挙げられます。どちらも見事なジオラマ的世界観が形成されています)


「Sweet Memories」の異質さ

 大崎甘奈のソロ楽曲「Sweet Memories」には、写実的な情景描写が一切ありません。……大事なことなのでもう一度言います。写実的な情景描写が一切ありません。私が「……なんか甘奈の曲だけ異質じゃね?」と感じる要因はここにあります。

  Stellaの歌詞カードを開くと、その異質さがはっきりと可視化されます。

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 左は「チョコデート・サンデー」(園田智代子)、右は「Sweet Memories」(大崎甘奈)の歌詞です。前者はびっしりと歌詞が書き込まれていますが、後者は空白が目立ちます。

 文章量だけではなく、表現方法の違いも目立ちます。前者はカフェやスイーツなど具体的な情景描写がありますが、後者は「ふざけあったり はしゃいでみたり 笑いあったり」と極めて抽象的に描かれています。

 他の楽曲と比べても同じことが言えます。「夢見鳥」(樋口円香)は「Sweet Memories」と同じく物静かな曲調ですが、花、空、夕焼けに染まる街などの具体的な情景描写があります。しかし、「Sweet Memories」にはそんな描写が一切ありません——

ふざけあったり
はしゃいでみたり
笑いあったり

すれちがったり
ぶつかりあったり
ケンカしてみたり
「Sweet Memories」

 本楽曲はこんな歌詞から始まります。ご覧通り、今まで並べてきた歌詞と比べると、かなり抽象的です。

 仮に、写実的な情景描写を交えて描くとしたら——

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 オーバーキャストモノクロームには、「曇り空をどう見るか」というテーマの衣装ポエムが添えられています。甘奈の衣装ポエムは「一緒に見たい、空の上」です。これを使って「一緒に曇り空を見上げた あの日」とか。

 「雨に濡れた日もあったね」とか。「ハナマルバッジ」でも描かれている「水たまり」を題材にするとか。アルストロメリアらしく「花」を眺める描写を入れて、円香と対比させるとか——

話し合ったり
分かちあったり
支えあったり

慰めあったり
励ましあったり
涙 流したり
「Sweet Memories」

 そんな描写は一切ありません。

 私はこれまで、対比的かつ写実的な情景描写を元にして、Stellaの世界観を読み解いてきました。しかし、そのロジックが通用しないのが「Sweet Memoris」という曲なのです。この曲には抽象的表現しかありません。

どこにいて、何を見ているか

 先ほど挙げた図には甘奈がいません。ひょっとしたら街中にいるのかもしれないけど、確かなことは分からない。具体的に何を見ているのかも分からない……

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 なぜ甘奈の曲だけがこんなにも異質なのか、この曲では何が表現されているのか——

 大崎甘奈はどこにいるのか?

 第二部「Nowhere→Now Here」で、この疑問を掘り下げていきます。