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ロリママは"神"だ——自分の性癖を可視化してみる

 脳内の思考プロセスを整理する表現技法として有名な「マインドマップ」。これを参考に「自分の性癖」を可視化してみました。あくまでも我流で見様見真似です(※「マインドマップ」は商標登録されており、この名称を用いて正式な講座を開くには正規資格が必要とのこと。本記事はマインドマップの技法を教えることを目的とした記事ではないことを念のため付記しておきます。マインドマップを知りたい方は上記サイトなどを参照)

 なぜ私は年の差恋愛が好きなのか? クールなお姉さんキャラやショタが好きなのか? 頭の中では何となく理屈はまとまっていますが、はっきりと言語化することで創作活動などに役立てたいと思い立った次第です。

 結果、私の無意識には「ロリママは"無際限に赦(ゆる)しを与える神"である」というイメージがあったことが判明しました。何を言ってるか分からねえと思うが……自分でも驚いたけど、めちゃくちゃ納得しました。あなたも試してみたら意外な新発見が得られるかもしれません、ということで本記事でまとめてみます。


「性癖」——年の差、クールビューティー、ショタ、人外

 まずはシンプルに「性癖」をでっかく中心に書きました。真っ先に思いついたのは「歳の差」「クールビューティー」「ショタ」「人外」の四つ。そこから枝を広げてみました。

性癖トリミング

 ひとつひとつ見ていくと——

年上

 年上は理性的な存在。合理的に物事を考えることができ、社交的に他人と付き合うことができる。しかし、そこから生じる責任感や自分が埋没する感覚に抑圧を感じており、解放されたいという欲求が無意識にある。

年下

 年下は非理性的で、自由な、天使のような存在。幼さと純粋さゆえに、何事にも好奇心を抱く。大人への憧れから知識欲は旺盛で、立派な年上への恋心を抱く。しかし、好奇心が猫を殺す、純粋であるがゆえに他人からの悪意に裏切られてしまうといった危うさを秘めた存在でもある。

 年下は年上と対比される存在だ。年上は年下にノスタルジーを覚え、年下は年上への恋心を抱く。お互いが他方に憧れを抱いており、価値観のすれ違いが生じている。そして、二人が結ばれるには社会的な障害がある。それを侵犯することは反道徳的(アンモラル)で退廃的な情緖が秘められている。

クールビューティー

 悶え苦しむ限界オタクの落書きが右にあるが、まあそれは放っておいて……クールビューティーは年上に近しい存在。弱きを助け強きをくじく。自分の信念を貫いているがゆえに毅然とした態度を取り、大人の余裕があり、他者に道を示す。弱き者を守るという思いが強いので妹や弟を溺愛したり、利他的だから相対的に自分のことはだらしないというギャップがある。カッコよさから見える不意の色気もよきかな。

ショタ

 ショタはクールビューティーなお姉さんと対比される存在だ。彼の男性性はまだ発展途上であり、アイデンティティを確立していない。ゆえに、絶えず自信喪失不安が付きまとっている。その裏返しとして、異性への恋愛に憧れを抱いたり、反抗心で強がってみせたりする。やがて自分の弱さと向き合い、成長するために奮闘する。クールビューティーなお姉さんは彼に通過儀礼を施し、成長を促す存在である。

 最近でいうと「ライザのアトリエ2」のリラさんとレントくんの師弟関係がこれに近い。あの二人の関係が私は大っっっっっ好きで……あとは「FF8」のスコール・レオンハート(主人公)の葛藤と成長、女性との交友関係は、ある種の「精神的ショタ」だなと思ったりしてます。めっちゃ応援したくなる。

人外

 人外は年下、年上、クールビューティー、ショタを敷衍した存在だ。獣(ケモ)は人間と違う価値観を抱いており、人間との相互理解を深め合うことで見えてくる可愛さが印象的。悪魔の誘惑はどこか女性的な媚態がある。

 こうして見ると、一見するとバラバラなこれらの性癖は、「理性-非理性」「純粋-穢れ」「成長-確立」「抑圧-解放」などの対比関係にあることが分かる。そして、どちらか一方を善や悪と断定するのではなく、どっちにも良さと悪さがある相補的関係だよねという考え方をしていることも。

 確かに私は多様性を感じられる群像劇がめっちゃ好きだなあ……絶対的な善人はいないし、悪人もいない。そんな閉塞感の中でお互いに助け合い、より善く生きるためにせいぜいもがいてみせる。ご都合主義なハッピーエンドよりも、そっちの方が現実に生きる自分の境遇と重なるので共感できる。そんなことを思いました。


「おねショタ」——溢れ出る少年性、抑圧された少女性

 「クールビューティー」「ショタ」をもっと掘り下げてみたいと思ったので、「おねショタ」を中心に置いて再度マッピング。必然的に「お姉さん」「ショタ」から枝分かれすることになりました。

おねショタトリミング

 まずは「お姉さん」から——

お姉さん

 お姉さんは包容力からショタを叱ったり、褒めたりする。彼女がそんな行動をするのは、過去にネグレクト(育児放棄)を受けて愛情不足の子の気持ちが分かるからなのかもしれない。そして、大人っぽい色気があり、意識的でないにせよショタを誘惑する。

 そんな大人っぽさがある一方で、どこかしら少女性も秘めている。イタズラ心でショタをからかったり、あるいはいじけてみせたりする。「美しい」だけではなく「かわいい」と思える部分がある。

 この少女性や欲求は、普段は周囲の目や社会的責任によって抑圧されている。抑圧された欲求からノスタルジーやシンデレラ・コンプレックスが生じる。欲求が解放されることでプラトニック(清純で精神的)な恋愛が生まれるかもしれないが、道徳心を度外視したアンモラル(反道徳的)な恋愛に陥るかもしれない。ここは作風で分かれるところ。

ショタ2

 こちらは前章の「ショタ」と重なるので割愛。「未発達なのがいいのであって、ショタ逆転NGなのはこれが理由だよね」というメモ書きが残されている。

 「お姉さん-ショタ」は対比的関係だが、「少女性-少年性」は同類関係だ。二人とも全く異なる存在ではなく、無意識下では通底する部分がある。お姉さんはショタに保護欲とノスタルジーを抱き、ショタはお姉さんに憧れやリビドーを抱く。そんな二人が接触し、お互いの価値観の違い、葛藤、障害などを共に成長して乗り越え、精神的に自由な恋愛あるいは友情関係を築く。そういうものを私は期待しているようだ。

 だから、強いて言えば読んだ量は「おねショタ」が一番多いってだけで、それに限らず「おにロリ」「おねロリ」「おにショタ」何でも大好物です。


「ロリママ」——無際限に赦しを与える神

 ショタも好きだけど、ロリも普通に好きだな。どっちも純粋さがあって——いや待てよ。私は「ロリママ」も好きだけど、単純に純粋さを愛でるのとはまた違った感覚があるよな……と思ったのでこちらもマッピング。

ロリママトリミング

ロリママに赦しを乞う大人

 こちらの画像ファイル名は「ロリママに赦しを乞う大人.jpg」です。うーん、業が深い。

 私が「ロリママ」で真っ先に連想した言葉は、「アガペー(神の無償の愛)」でした。

 ロリママとお姉さんはどちらも包容力を秘めた存在だが、根本的な部分で異なる。お姉さんは大人である以上、抑圧やノスタルジーといった理性の枠組みで物事を考えざるをえないが、"ロリ"にはこれがない。"ロリ"はまだ世間のことを何も知らない、純粋無垢で自由な存在である。大人の大変さは曖昧な想像で補うしかなく、それを労るための行為は母親の真似事として発揮される。

しかし、自由とは、厳密には子供の能力ではないだろうか。自由とは、行動という強制命令にまきこまれているおとなには、単なる夢想、欲望、強迫観念でしかないものなのではないだろうか。
「文学と悪」p.52 ジョルジュ・バタイユ 山本弘訳

 "ロリ"は大人によって定義されない自由な、不可知的存在だ。そんな"ロリ"が"ロリママ"に変身することは、絶対的存在として人間に無際限に赦しを与える神になることと同義ではないか。私はどの宗教にも属していないが、神という存在を仮定し、この存在によって保証される赦しにすがり、泣きつきたいという欲求のもとにロリママを見ているのではないか。

 お姉さんが人間的なエロス(性愛)であるなら、ロリママはその上位たるアガペー(神の無償の愛)だ。私は理性的に"慰められたい"というより、何も考えることなくただただ"赦されたい"。それがどれほど情けないことで、実存主義的には赦されることなど決してないと分かっていながらも、カタルシス(解放)を求める衝動が無意識にはある……のかもしれない。

汚れた命を許してほしい
神様の愛から剥がれ始めて
こんな機械みたいな声と心が
遠くにいるあなたに届きますように

感情も愛情もみんな壊れた
崖から落ちるような夜があったこと
「あなたは誰より強いから」って
「全て変えられる」って
そんな気休めはもう、いらないんだ
「心臓」トーマ作詞

 ……っていうのもあるけど、子どもの純粋さゆえに保護という行為に走るのは可愛げあるよね。おままごとでママを演じる子を眺めるような温かな気持ちが芽生えるよね。そんなことを思った。

 というか別にロリママに限らず、ショタママでも——


感想

 あとはBLでもマッピングしたいし、創作活動に活かすためのマッピングもしているが、蛇足になりそうなので割愛。

 やってみた感想としては、とりあえず純粋に面白かった。なんで私はこの題材が好きなんだろう? と考えて、頭の中で自然に連想したワードをぱっと書く。全体図を眺めてみるとストンと腑に落ちたし、「これはあの作品のことだな、あのキャラの関係性のことだな」と符号させることができた。

 ああ、私ってこういうのが好きだったんだなあ……そういえば前に某Vtuberの"ロリ観"を考察したことがあったけど、私も同じような価値観を持っていたからこそ、あの結論に辿り着くことができたのかもしれないな……などなど、何だか感じ入るものがたくさんあった。
 また、所々で見られた私の無意識の心理状態は、フロイトやユング心理学で説明できそうだ。そうした学術的分野にも興味が湧いた。

 何かと新しい発見が満載だったので、皆さんもぜひお試しあれ。そんなお話でした。