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大崎甘奈はどこにいるのか?(2/2)——Nowhere→Now Here【シャニマス】

<前回の簡易的まとめ>
・Stellaのアイドル達は同じ空間に存在している。

・その空間で何を見ているか、どう見ているかの違いで、アイドル達の個性が描かれている。また、アイドル達の存在を身近に感じられるように、リアルに描写されている。

・でも「Sweet Memories」にはリアルな描写が一切ない。どこにいるか分からない。何なんすかねこれ。

 ということで、第二部「Nowhere→Now Here」です。

 Stellaにおいて「Sweet Memories」は異質な曲です。それは、他の楽曲は対比的かつ写実的な情景描写があるのに、本楽曲にはそれがなく、抽象的表現のみが使われていることに起因しています。

(本記事における「抽象的」は、「曖昧なもの、具体的でないもの、形のないもの、ふわっとした感じ」くらいのニュアンスです)

 では、本楽曲が抽象的表現で満ちているのはなぜか。私が辿り着いた答えは三つです。

①本楽曲の主題である「記憶」が、客観的事象として存在しない、極めて抽象的なものであることを表現する。

②甘奈の 「思い出す」という行為をリスナーにも能動的に行わせることで、甘奈に感情移入しやすい楽曲にする。

③リスナーが甘奈に関する記憶を能動的に「思い出す」ことで、Stellaの空間における甘奈は初めて写実的な情景描写を伴う存在になる。この構成により、「私のことをよく知っている"あなた"」が、甘奈にとって必要不可欠な存在であることを強調する。

 ③は個人的解釈をかなり含みますが、私はここから大きなカタルシスを得ることができました。またしても長文記事となってしまいましたが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

(※以下、「薄桃色にこんがらがって」「流れ星が消えるまでのジャーニー」のネタバレを含みます)


①記憶は抽象的なもの

①本楽曲の主題である「記憶」が、客観的事象として存在しない、極めて抽象的なものであることを表現する。

 記憶は、客観的な形あるモノとして存在しているわけではありません。本人の頭の中だけに存在しており、形はありません。時間の経過と共に薄れていきます。

喜びは いつも同じ カタチじゃないから
見失いそうになることもあるよ
「Sweet Memories」

 このように、歌詞でも「形のないもの」が描かれています。

 この記事を読んでいるあなたは、誰担当のプロデューサーでしょうか? そのアイドルのどのコミュが好きですか? 思い出してみてください。きっと、そのコミュの内容を一言一句全て記憶しているわけではないと思います。

 しかし、それを見て自分が感じたことは、強く心に残っているはずです。記憶は時間の経過と共に薄れていく——だからこそ、大切な思い出だけは忘れずに、いつまでも心にしまっておく。たとえ悲しい出来事があっても、その思い出が、前に進む勇気を与えてくれるから。

別々の道をゆく
その時が来ても
大切に育った時間は
背中を押してくれるから
「Sweet Memories」

 記憶は曖昧で、儚くて、だからこそ尊いもの。本楽曲はそれを表現するために、あえて写実的な情景描写を行わず、抽象的表現のみに留めている。甘奈が思い描いているものを、あれこれ具体的に描写してしまうよりも、不透明に描いた方が「記憶」の在り方としては正しいのです。


②リスナーが能動的に「思い出す」

②甘奈の 「思い出す」という行為をリスナーにも能動的に行わせることで、甘奈に感情移入しやすい楽曲にする。

すれちがったり
ぶつかりあったり
ケンカしてみたり
「Sweet Memories」

 この歌詞から何を連想するでしょうか。多くのプロデューサーは「薄桃色にこんがらがって」を"思い出した"のではないでしょうか。アプリコットのオーディションを受ける過程で千雪と対立し、やがて戦うことを決意する甘奈を。

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 あるいは、「流れ星が消えるまでのジャーニー」で、デビ太郎のぬいぐるみが原因で喧嘩をしてしまう、幼い頃の甘奈と甜花を。

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 「Sweet Memories」は抽象的な歌詞ばかりですが、リスナーが"思い出す"ことで、甘奈という存在はくっきりと輪郭を帯び始めます。逆に、思い出すことができなければ、甘奈の存在は抽象的なままです。

 このように、本楽曲は、本楽曲を鑑賞するリスナーに対して、甘奈に関する記憶を能動的に"思い出す"ように働きかけています。「行間を読ませている」と言い換えることもできます。

 「夢見鳥」には「どうして? 見慣れたはずの 夕陽がやけに眩しい」という歌詞があります。これは行間を読まなくても、「夕陽」という単語だけで「カラカラカラ」の場面を容易に思い出すことができます。また、思い出せなくても円香を身近に感じることができます。円香のことを全く知らない人でも、夕陽を見上げる少女の姿を思い浮かべることができます。

 「Sweet Memories」はそうではありません。「すれちがったり ぶつかりあったり ケンカしてみたり」は、よくあるラブソングの歌詞だと感じて受動的に聴き流してしまうかもしれません。しかし、薄桃色や流れ星のコミュ内容を思い出しながら能動的に聴くと、たった23文字のこの歌詞から、大量の情報が一気に展開されます。甘奈のことを知っているほどその情報量は増え、より感動できる作りになっています。

 そして、リスナーが甘奈に関する記憶を能動的に思い出すことで、何が起きるのか——

俺と甘奈

 (絵が下っ手くそで申し訳ないです)

 甘奈は大切な記憶を思い出しています。リスナーも、抽象的な歌詞から甘奈のコミュ内容を思い出します。リスナーは甘奈の「思い出す」という行為を追体験することで、楽曲への没入感が増し、甘奈に感情移入しやすくなっています。

別々の道をゆく
その時が来ても
大切に育った時間は
背中を押してくれるから
「Sweet Memories」

 たとえ辛い出来事があっても、大切な記憶のおかげで前に進む勇気が湧く甘奈。私も本楽曲を通して甘奈のコミュを思い出すことで、元気をもらうことができます。そんな風に、感情がシンクロするのです。


③Nowhere→Now Here

③リスナーが甘奈に関する記憶を能動的に「思い出す」ことで、Stellaの空間における甘奈は初めて写実的な情景描写を伴う存在になる。この構成により、「私のことをよく知っている"あなた"」が、甘奈にとって必要不可欠な存在であることを強調する。

 ①、②では「Sweet Memories」の文脈だけで考えていました。③では、Stellaの世界観も含めて考えてみます。

 「Sweet Memories」には写実的な情景描写が一切ない。だから甘奈がどこにいるのか、何を見ているのか分からない。それが前回の記事で挙げた疑問でした。しかし、私はつい先ほど、こんなことを述べました。

「Sweet Memories」は抽象的な歌詞ばかりですが、リスナーが"思い出す"ことで、甘奈という存在はくっきりと輪郭を帯び始めます。逆に、思い出すことができなければ、甘奈の存在は抽象的なままです。

 「すれちがったり ぶつかりあったり ケンカしてみたり」という歌詞から、薄桃色や流れ星のコミュ内容を思い出しました。アプリコットのオーディションに向けてレッスンする甘奈、河川敷の反対ごっこで叫ぶ甘奈、デビ太郎のぬいぐるみで姉妹喧嘩する幼少期の甘奈——そんな写実的な情景が、いくつも現れてきました。

 私以上に甘奈を知り尽くしている方なら、もっと色々な情景を思い浮かべるでしょう。げっこうさんは、G.R.A.D編、スタンバイオッケー、お散歩サンライト、ないしょのスイーツなど、様々な場面を元に本楽曲を解釈しています。

 このように、リスナーが甘奈に関する記憶を能動的に思い出すことで、Stellaの空間における甘奈は初めて、他のアイドル達と同じように写実的な情景描写を伴う存在になるのです。Nowhere(どこにもいない)から、Now Here(今、ここにいる)へ。

 この描き方、甘奈というキャラクターを的確に表現しているのではないでしょうか。甘奈が自分ひとりの足で街中を歩き回る様子を描かず、あえてリスナーの想像に委ねる。「甘奈は自分ひとりだけでは存在できない。自分のことをよく知る誰かに思われていることで、彼女は自信を抱き、いきいきと動き出すことができる」……そんな彼女の在り方が、婉曲的に言い表されているように感じるのです。

 私は甘奈のプロデュース経験があまりないので、げっこうさんの記事に頼りますが——当該記事で紹介されているコミュ内容を見てみると、甘奈がシャニPからどれほど大きな存在意義を与えられているかが分かります。それは彼女が抱えている自信の無さから生じるものです。「Sweet Memories」の"あなた"が誰を指すかは解釈の別れるところですが、とにかく、甘奈にとっては自分のことをよく知っている誰かから思われていることが何よりも大事で、自信に繋がるのです。

 本楽曲を聞いたリスナーは、薄桃色など様々なコミュを思い出したことでしょう。シャニPや甜花も、この曲を聴けば、甘奈との記憶を思い出すでしょう。繰り返しとなりますが、そんな風に自分のことをよく知っている誰か——本楽曲で"あなた"と表現されている人物から思われていることが、甘奈にとっては何よりも大事なのです。

(話が飛躍するので括弧に入れます。シャニマスは、いつか終わりを迎えるかもしれない。もしそうであれば、私達ユーザーは甘奈と別れる日が来る。その予感を胸に秘めながらも、彼女のことを思い続けることができます。そして、誰かにそう強く思われていることが、甘奈にとっては「毎日がいくつもの宝物だから」「別々の道をゆく その時が来ても 大切に育った時間は 背中を押してくれるから」と歌っている大切なものなのです)

 甘奈には"あなた"が必要だ。そして、そんな彼女だからこそ——

別々の道をゆく
その時が来ても
大切に育った時間は
背中を押してくれるから
「Sweet Memories」

 "あなた"といつか別れる日が来るという予感。それを胸に秘めながらも、記憶を大切にして自分ひとりの足で前に進もうとする決意が、どれほど大きいものであるか実感させられます。

 甘奈の性格は「依存」という単語だけで簡単に表せるものではありません。甘奈にとってシャニPや甜花はとても大切な存在ですが、彼女はそれと決別する覚悟を持つこともできる確かな強さを秘めているのです


まとめ

 以上、本シリーズの解釈をまとめると、StellaおよびSweet Memoriesはこのように論評することができます。

 Stellaは、アイドル達を同一空間上に存在させている。そして、その空間に存在する客観的事象の捉え方が観測者によって異なることを、対比的かつ写実的な情景描写によって浮かび上がらせている。これにより、作品全体の調和を保ちながら、アイドル達の個性の差異を描いている。
 また、写実的な情景描写によって、彼女達の存在が身近に感じられるように演出している。

 しかし、大崎甘奈のソロ楽曲「Sweet Memories」は、この例外である。本楽曲はStellaに収録されている他の楽曲に比べて、写実的な情景描写が明確に欠如している。これには、以下に挙げる①〜③の役割があると考えられる。
①本楽曲の主題である「記憶」が、客観的事象として存在しない、極めて抽象的なものであることを表現する。
②抽象的表現に富んだ本楽曲は、本楽曲を鑑賞するリスナーに対して、甘奈に関する記憶を能動的に思い出すように働きかける。甘奈の「思い出す」という行為をリスナーに追体験させることで、楽曲に対する没入感を高める。
③リスナーが甘奈に関する記憶を能動的に「思い出す」ことで、Stellaの空間における甘奈は初めて写実的な情景描写を伴う存在になる。この構成により、「私のことをよく知っている"あなた"」が、甘奈にとって必要不可欠な存在であることを強調する。

 本シリーズは「大崎甘奈はどこにいるのか?」と題しました。……どこにいるかは、結局のところ分かりません。しかし、私達は「記憶」を元にして彼女がどこにいるのかを具体的に想像し、その存在を感じることができます。「Sweet Memories」の歌詞から拝借すると——

幸せは 見えないけど 感じられるから
「Sweet Memories」

 甘奈は見えないけど、感じられるから。

 甘奈もまた「Sweet Memories」において「記憶」を大切にしており、そして、誰かに思われることでいきいきと動き出し、その存在感を強く発揮します。「Sweet Memories」は、そんな彼女の人となりを表現した曲なのです。

 Stellaにおいて本楽曲は異質な曲です。大崎甘奈という人物を表現するには、このようにひねった作りにする必要があった。……のかもしれません。「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」と言われたら何も言い返せません。一応は私なりに納得できる答えを導き出せたので、ここで締めたいと思います。

 私は自分が感じた疑問を掘れば掘るほどに、甘奈の存在が輪郭を帯びていき、彼女の健気さを強く感じることができました。「自分に自信がなくても、大切な人と過ごした記憶のおかげで前に進める。たとえ、いつか別れるときが訪れても——」この感動を言語化したいと思い、こうして1万文字超の考察を書くに至りました。情報力えぐすぎて疲れちゃった……お休みが欲しいんだけど……今週って……ダメかな……?

 ここまで読んでくださりありがとうございました。本シリーズが、StellaおよびSweet Memoriesを別の角度から楽しむ一助となれば幸いです。

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