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【シフカの歴史】オホーツクに消ゆ

シフカは設立以来一貫して「デジタルでの表現」にこだわってきました。以前はマイナーだった「モニタに表示するデザイン」も今では当たり前になり、「デジタルでの」という説明は不要な時代になっています。

そんな環境変化の中で、かつてシフカが携わった様々なデザインの現場を【シフカの歴史】シリーズとしてご紹介したいと思います。

シリーズ最初の今回は、コンピュータゲームのグラフィックをシフカが担当したときのお話です。今でこそゲームに関わることが少ないシフカですが、いったいどんな形で関わっていたのでしょうか。

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「オホーツクに消ゆ」というゲームをご存知でしょうか。

「オホーツクに消ゆ」はプレイヤーが刑事となって北海道を舞台に連続殺人事件を解決していくアドベンチャーゲームです。後にドラゴンクエストシリーズを手掛ける堀井雄二氏がシナリオを担当しました。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=RxdiPrWeJcI

コンピュータゲーム黎明期とも言える1984年にPC-6001版とPC-8801版が発売され、その後PC-9801やファミコン、ケータイ等にも移植されたので、実際にプレイしたという方もいらっしゃると思います。いまだ人気は衰えていないようで、作中に出てくる北海道の名所を実際に巡る観光ツアーも発売されています。

そんな「オホーツクに消ゆ」に、実はシフカが携わっていたのです。

シフカが「オホーツクに消ゆ」に携わったのは初期に発売されたPC-8801版でした。ゲームを販売するログインソフト(アスキー)さまからお声がけをいただいたのが発端です。

シフカ代表の長田と親交のあったアスキーの編集者の方からゲームで使うイラスト作成の打診がありました。当時はシフカにパソコンが無かったため、アスキーさまからパソコンをお借りしてテスト的に依頼された「部屋のイラスト」を作成しました。

これで問題なしと思っていただけたのか、その次の依頼が「オホーツクに消ゆ」のイラスト作成だったのです。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=RxdiPrWeJcI

ちなみに本記事では便宜上「シフカ」と書いていますが、実際にはこのとき「会社としてのシフカ」は設立されていません。ちょうど会社設立準備の最中で、事務所やスタッフなどの環境が整いつつある時でした。会社設立の理由にもなったキャプテンシステムの画面作成業務が捌ききれないほどあるような状況だったのです。

そんな中に来たゲームのイラスト作成案件は、当時アルバイトとして来ていたYさんが担当になります。Yさんは有能な人物で、素晴らしいイラストをスルスルと描いてしまう才能の持ち主でした。それでもパソコンでイラストを描くのは初めてということもあり、簡単ではありません。

なにせ当時Photoshopのような高機能なグラフィックソフトはありません。いや、今の基準でグラフィックソフトと呼べるようなツールもありませんでした。そもそもマウスすら無いのです。使えるツールはキーボードのテンキーやファンクションキーを使ってドット絵を描くもの。使える色も固定の8色と非常に少なく、絵を描く環境として今から見ればかなり厳しいものでした。

そんな折、モニタに直接ペンで下書きをすることを思いつきます。借り物のモニタに油性ペンで描くのは問題があるので、料理に使うラップを画面に貼って下書きすることにしました。その下書きを目安にYさんは驚くようなクオリティのイラストを描き始めます。厳しい制約の中でも最善のクオリティを目指す姿勢は、今のシフカの精神に通じるものがあると感じます。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=RxdiPrWeJcI

ちなみに画面に直接下書きをしていたので、「紙の下書き」が残っていません。ある意味ペーパーレスの先駆けとも言えそうですが、手元に資料として残っていないのは残念という気持ちも少しあります。

こうしてPC8801版「オホーツクに消ゆ」のイラストは出来上がりました。そのクオリティが評価いただけたのか、この案件の中で大きなリテイクがあったという記憶はありません。

今でもたまにネット上の記事などでPC8801版「オホーツクに消ゆ」の画面を目にすることがあります。その際はシフカのことも思い出してもらえると嬉しいです。

Windows PCならゲームプロジェクトEGGで遊ぶことができますので、興味のある方は試してみてはいかがでしょうか。


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というわけで、今回は「オホーツクに消ゆ」とシフカとの関わりをご紹介しました。

ちなみにその後、同じくアスキーさまから発売されたゲーム「英雄ヤマトタケル」でもグラフィック面でお手伝いさせていただくことになります。ただ、このあとシフカの業務はGUIが中心となり、ゲーム関連の業務は縮小傾向となっていくのでした。

記事の内容については正確さに留意してはおりますが、古い出来事で記録が散逸していたり関係者の記憶頼りな点もあることから、事実と異なると感じる方がいらっしゃるかもしれません。その際は、ぜひともコメント欄でご意見をいただければ幸いです。

そして今後の【シフカの歴史】シリーズの応援をお願いします。

(今回キャプチャ画像をお借りした動画です)


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