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AIで変わったことについて、シフカスタッフに聞いてみた

「AI」が未来の夢物語ではなく一般的な話題となってもうだいぶ経ちました。改めて言及するまでもなく、AIを利用した技術は普段の生活に入り込んでいます。

大規模言語モデル(LLM)やそれを応用した生成AIの成果はよく報道で目にされていることでしょう。AIによって底上げされた翻訳技術の質的向上で、海外のWeb情報やSNS投稿をかなり正確に把握出来るようになったのも分かりやすい恩恵の例です。ショッピングや動画サービスなどの分野ではレコメンドシステムが私たちの趣向や好みを把握し、医療分野においては診断支援に活用され、迅速でより正確な診断を助けています。目に見える範囲だけでなく直接は目に触れない領域でも、AI技術は私たちの生活に深く浸透しているのです。

これだけAIが生活に浸透し始めたいま、日々の生活ではどんな変化があったでしょうか。シフカのスタッフにざっくばらんに聞いてみました。気にしなければそのまま通り過ぎてしまうような変化も、再認識することで有意義な体験に出来るかもしれません。


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変わったことって?

日々の中で経験した「AIで変わったこと」についてスタッフに聞くと、最初に出てきたは「Alexa」の活躍でした。

時間を司るAlexa

Alexaと聞けば搭載されたAIを活かして様々な場面でアシストしてくれる姿を想像します。コメントをくれたスタッフは小さなお子さんが居るので、お子さんの話し相手になったり、お子さんを抱っこしたままリモコン捜す必要もなくテレビをONに出来るのですが、一番価値を感じているのはタイマーとして利用なのだそうです。

思い立った時に「あと◯分」と口にするだけでタイマーがセットできるのが非常に便利だそうで、確かに料理中で手が汚れているとき、手が離せないときにもスムーズにセット出来るのは手で操作するタイマーには出来ない芸当です。例えば料理中に急にお子さんの元へ行く必要が出た時に「あと10分」と言ってタイマーをセットするのは簡単。アバウトな指示でも的確に拾ってくれるのはAI技術ならではですね。

これが手動のタイマーだったときは、ちょっとした手間からついセット操作を怠り、結果としてお鍋を焦がしてしまった苦い経験があるのだとか。Alexaにタイマーを頼むようになってからはそういった心配も無くなったとのことで、確かにAIによる生活の変化と言っても良さそうです。Alによって結構な数のお鍋とその中のお料理が救われているのかもしれませんね。

似たような事例で、赤ちゃんにミルクあげながらSiriに話すことでその記録が取れるアプリもあるそうで、声だけでの操作がお母さんの負担を少しでも軽くすることにAIが寄与している面は他にもありそうです。


X上でのビフォーアフター

次に出てきたのは、X(旧Twitter)の「おすすめ」に関する話題でした。「おすすめ」には様々な要素を勘案した上で選定されたポストが表示されますが、その選定アルゴリズムには恐らくAIも使われていると考えて良いでしょう。そのスタッフは、当時のTwitterにおすすめが実装された際には否定的な目で見ていたそうです。理由は「フォローしてないユーザーがタイムライン出てくることへの違和感」だったとか。

それが今では「おすすめ」をメインで見るというほど変化したそうです。以前は価値が薄く見えたものの、最近では興味のある界隈の話題が追えるのが良いと感じるそうで、時には遠い昔に見たまま忘れていたユーザーが突然おすすめに出てきて嬉しくなったりすることも。おすすめがAIによって鍛えられた結果なのかもしれませんね。

一方で、タイムライン上でクオリティの高い絵を見かけると「AIで作った絵かもと疑ってしまうようにもなった」という変化も。どうしても描かれた指などを無意識的にチェックしてしまう自分がいるのだそうです。これに対しては別のスタッフからも、すごく良い絵を描く人がいたのでフォローしたら、あり得ないペースで作品が投稿され続けたことでAIで描いていることに気づいたという話が。別にAIを使ってないとは言ってないので問題は無いのですが、釈然としない気持ちになったそうです。

こういったAIで作られた絵に対する心の持ちようも変化の一つと言えそうですね。最近のモデルやLoRA次第では指などAIの弱点とされた部分も克服しつつあるので、実はもう見分けはつかないのかもしれませんが。


業務風景も変わってた

更に別のスタッフに聞いてみると、ChatGPTをガッツリ使い倒すようになったという直球の回答が。もちろん仕事にも活用しているそうです。例えばnoteに記事を書くときも、アイデア出しから文章構成の展開やら表現の検討などなど、壁打ちとして最適な相手なのだそう。デザイン業務でも、例えば英語の説明文のエリアに入れるダミー文章を作る際にさっと打ち込んだ日本語の文章を「ネイティブが話すとしたらどうなる?」と投げかけて翻訳すると、それっぽいものが瞬時に出来上がるとのこと。

情報収集の場面でも論文や解説動画の概要をざっと把握するため要約させたり、ピンポイントな内容が資料内のどこにあるかを提示させるといった活用をしているそうです。たしかに分厚いPDF資料を読んだり長い解説動画を見ていると時間がいくらあっても足りません。動画の場合には要約された内容で気になった部分が「何秒のところにあったのか?」と聞けば、ちゃんとその内容に該当する部分の秒数まで答えてくれるというから驚きです。

またGoogleの検索結果が、文章が長い割に調べたいことが結局書かれていないページが多い「いかがでしたか?」系サイトなどで埋まり看過できないほどの劣化ぶりなのを尻目に、ChatGPTなら聞くといきなり答えを出してくれるので助かってるとも。もちろん念のための答え合わせは必要ですが、正解にたどり着く時間は圧倒的に短いそうです。改めて聞くと、ChatCPT登場前とは随分様変わりしましたものです。

他にもBlenderのアドオンやAfterEffectsのプラグインを作る際にChatGPTの助けを借りたというスタッフも。元になるスクリプトの構造を1行ずつ説明してもらったりと、スクリプト書ける人ならすぐに作れるようなレベルの改変でも、どうにか動くようになるまで何度も対話を繰り返す必要はあったものの、出来なかったことが出来るようになるのは、とてつもなく大きな変化と言えますね。

仕事での活用例ではPhotoshopの「コンテンツに応じた塗りつぶし」はもう手放せないとのコメントもありました。必要な画像の幅が規定に足りない場面で両端を足すという作業にはピッタリで、今まで手作業でやっていたことが数秒で終わるのは大きい上、クオリティも悪くないとのこと。むしろ塗りつぶす前に「どんな仕上がりになるか」と期待している自分がいるそうで、壁を塗る職人さんを後ろで腕組みして見ているのに近い気持ちなのかもしれません。これも変化した点に挙げて良い…ですかね。


気づいたことは?

変化したことへのコメントは一旦ここまでにして、様々な変化について話す中で新たに気づいたAIの影響についても聞いてみます。

先ほどの話に出た「AIで作った絵かもと疑ってしまうようになった」という変化を報告してくれたスタッフは、その結果として自分の中に「AIで作った絵」に対して思うところがあることに気づいたそうです。AIが作る絵に対して世の中の論争が続く中、自分では特に忌避感もなく比較的フラットな意見を持っているつもりでしたが、最初に「疑う」という行動が出てくるのは、やはり何かしら気にしているのだと気づいたとのこと。なるほど。

別のスタッフはAmazonのPrime Video(アマプラ)をよく利用するそうですが、アマプラ側がおすすめとして挙げてくる作品がいつも自分に合わず、レコメンド機能としてイマイチだと思っていました。ここでもAIが活用されているはずで、その威力でもっと自分に合った作品を挙げてくれれば良いのに、実際の友人がおすすめしてくれる作品のほうがよっぽどヒット率が高いと感じていたそうです。これには、その友人とアマプラとで持っている情報量があまりにも違うのが原因ではないかとの指摘が。

よくよく話を聞くと、アマプラでの視聴は暇つぶしで見ている面があるのでそれほど好みに合わない作品もとりあえず見ていることが判明。これには「安価で早く食べられるから」という理由で毎日牛丼食べているサラリーマンを見て「この人は牛丼が大好きなんだな、次も牛丼をおすすめしよう」と判断されたようなものではとの指摘も。図らずもAIに正確な情報を与えていなかった事の気づきとなりました。

似た話として、Xの「おすすめ」に関するコメントもありました。世間で「腹が立つ話題」があったとき、その詳細を把握するために情報源を見に行くと、その後ずっと「腹の立ったその話題」が自分のおすすめにピックアップされ続けるため、既に見たくもない気持ちになっている身としてはイライラし続けることになるのだとか。そんなときは意図的に犬や猫のような平和な話題を積極的に見続けるようにして、以前のおすすめに戻ることを祈るのだそうです。この行動には「それはもうお祓いの一種では」とのツッコミが。これもAIが入手する情報が偏っていると想定通りの力を発揮できないことを再認識させる気づきでした。


今後の変化へどう対応しよう?

ここまでAIによる変化と、その中で気づいたことについて見てきました。AIによる変化が今後も続くことは間違いなく、それにどのように対応していくのかが重要になってきます。時にはAIの発展が健全なものとなるような提案や取り組みも必要となるでしょう。というわけで、最後にAIによる変化への今後の対応について聞いてみました。

まず挙がったのが、AIにどれくらい情報を渡せるかでその活用度合いも変わってくるという指摘です。ここまでの話の中でも何度か言及されているように、AIを応用した機能は学習元となる情報源の質と量がその品質を大きく左右します。AIに渡る情報が偏れば、そこから受けられるはずだった恩恵が小さくなってしまう可能性もあります。意図せず偏った情報を渡していた事例も見られましたので、「今後は自分が便利になるようAIを育てる意識が必要になってくるのでは」とのコメントも。もちろん、個人の信条でAIに情報を渡すことを頑なに避ける人もいるはずです。そのどちらが良いことなのかは判断が難しいのですが、AIに情報を渡す人と渡さない人で生活の差が広がってくることは十分に考えられますね。

いっそのことAIによる変化を全面的に受け入れて、生活全般を指示して欲しいという意見も出ました。人間なら言いづらいこともAIなら躊躇なく指摘してくれるはずなので、「あなたの収入ならこのくらいの家賃に抑えて」「生活パターンと物価のバランスからこの街に住もう」「節約できたこの金額を貯金して」といった具合にズバリ指南してくれると良いとのこと。実際、生活に関する全ての情報を渡せば、こういったアドバイスは実現可能だと思われます。だからといって、ここまでAIに頼りきりなのは進化なのか退化なのかは分かりませんね。それでも下手の考え休むに似たり、意外と多くのことで悩むよりは健全な生活を維持できる可能性もありそうです。

変化へ対応するためには、AIとの付き合い方に関するノウハウが重要になるとの指摘もありました。実際、ChatGPTを始めとする会話形のAIと対話する際に、こちらの話しかけ方や言葉遣いでAI側の挙動が変わるという報告は多くあります。的はずれな回答を連発するような場面では冷たく返したほうが真面目な返答を得られやすいという指摘もあるとか。より適切な回答を導くため、AI側にシチュエーションやその中での立場といった仮の世界観を与え、だんだんその気にさせていくという一種の洗脳のようなテクニックは基本ともされていますので、それぞれのAIに応じた付き合い方のノウハウは今後大事なスキルになっていくのでしょう。思い込むことでパフォーマンスが変化するのは実際の人間でも起きていますので、AIとの付き合いも対人スキルの延長と捉えれば違和感はありません。

それにしても、「連休に入るとAIも性能が落ちる」という説があると聞いたときは思わず吹き出してしまいました。AIだって休みたいですよね。


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AI技術の進歩については多くの識者からその有用性や危険性が指摘され、未だ評価は定まっていません。世間でも感情論のぶつかり合いから論争になることもしばしばです。それでも技術の流れは止めることも巻き戻すことも出来ませんので、私達の前に現れる様々なAIたちとうまく共生していきたいものです。結果として今までよりも随分と楽になったと感じる場面が今後ドンドン増えると良いですね。

より良い未来のためにも、AIによる変化に目を向けていくことを今後も続けてみようと思います。もし「AIによる変化なんてほとんど無い」と感じている人がいましたら、実は本人も気がつかないうちに自分が変化して難なく状況に対応してしまった柔軟な方なのかもしれませんよ。

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