USG C-side
UNISON SQUARE GARDEN Catcher In The Spy・CIDER ROAD
8月27日、言わずと知れた稀代の名盤Catcher In The Spyの8回目のお誕生日である。
UNISON SQUARE GARDEN 5枚目のフルアルバムCatcher In The Spy(CITS)は2014年8月27日(あるいはフラゲ日の26日)にこの世で産声をあげた。
キャハハウフフフ キャッチャインザスパイ
と。
そんな記念日である本日のお題はC-side、フルネームにすると「UNISON SQUARE GARDEN 最強コンセプト(concept)アルバム対決(confrontation) C-side」である。
語彙がないので思いつかなかったが、最強の代わりにはcoolでもconsistentでもcelestialでもお好きな形容詞を持ってきていただければよかろう。語彙がないならむしろcomposite?当然タイトルはカエルの胚、鈴カステラ、と来て三番目にやってくるアレをもじっている。やかましい。
さて、瀕死のセンスはさておき、皆様の音楽再生機器でアーティスト>UNISON SQUARE GARDEN>Cと辿っていけば双璧が見つかるはずだ。
Catcher In The Spy
CIDER ROAD
ちなみにユニゾンのCの欄は結構濃くて、私の手元では他にCatch up, latencyとCHAOSMOLOGY(Vampiregirl)が並んでいる。
閑話休題。古よりネットに住まう者は対になる概念をポケットモンスター●●・○○方式で語るものと決まっている。
そして私もそろそろインターネット老人会に足を突っ込もうというところである。(悲しいね。)「UNISON SQUARE GARDENでポケットモンスターをするならば」と考え始めると「Catcher In The Spy・CIDER ROAD以外あり得ない」と主張するのに興奮してしまい夜も眠れないほどだ。
冒頭でCITSをご紹介したので念のため言っておくと、CIDER ROAD(サイダロ)はCITSの前に出たユニゾンの4枚目のフルアルバムである。こちらも違わず名盤。
表題においてCatcher In The Spyを先に書いたのは単にアルファベット順だから、あるいは私がダイヤモンド・パール世代だからである。先が長い方が落ち着くのだ。もし読者の皆様の中に「如何なる理由においてもサイダロが他のアルバムの後塵を拝するのは許せん」という人がいるのであれば年長者順に並べるあるいはご自身が私より年長者に当たるルビー・サファイア世代でも称してタイトルをひっくり返し、お好きに筆を取ればよろしい。というか、誰か書いて読ませてくれ。誰かというのは、今一瞬でもポケモン書こうかなという気持ちの芽生えたあなたに言っています。
前置きが長くなったがそれでは始めていこう。
UNISON SQUARE GARDEN 最強コンセプトアルバム対決
Catcher In The Spy・CIDER ROAD
※前置きが偉そうですが新規性はなく一般に知られた事項を個人的にまとめ、膨らませて好きを深めただけの記事です。
タイトル
CIDER ROAD
to the CIDER ROAD〜クロスハート1号線〜シャンデリア・ワルツ
1曲目、CIDER ROADへ。
これから始まる1時間と少しの旅路への期待が否が応でも高まるイントロ。アルバム名を丸ごと内包する曲名とだけあって、この曲の存在意義はとてつもなく重い。
サイダーの対比に使われるレモネードは甘いけれども炭酸の清涼感、刺激を欠いた、退屈な味。道になぞらえた右折禁止に続き、左に曲がるのもうんざり。だから、折れるな。我が道を行け。というこのアルバムの根底にあるメッセージを提示する一曲目である。
7曲目、クロスハート1号線。13曲のちょうど折り返しに道の名前である。
13曲目、シャンデリア・ワルツ。長いような短いようなこの道もいよいよ終わりに差し掛かる。
他にも地面や地図など、探してみると色々見つかり楽しい。一曲一曲からCIDER ROADというタイトルがぴったりなストーリーを読み取ることができる。「意味なんてない」とお茶を濁すのは苦しいくらいの一貫性が見つかるアルバムである。
Catcher In The Spy
サイレンインザスパイ〜黄昏インザスパイ
1曲目と最後のトラック12曲目、共にアルバムタイトルと同じくインザスパイである。
ダサい。
キャッチャー、イン、ザ、スパイの4単語、InとTheはさておき、名詞2単語は12曲の歌詞を読み進めていっても見つけることができない。
サイダロで概念を拡張したようにCatcher及びSpyの類義語を検討してみてもなかなか難しい。
またお前かメカトル。
これ以上は結びつけというよりこじつけ。というか、単語の使用レベルを考えてみれば瞭然である。野球観戦やスパイ映画の趣味がある人ならばまだしも、捕手もスパイも日常生活には中々登場しないものだ。汎用性の低い名詞ゆえ、言い換えても使いづらい。
CITSにおいて曲とタイトルの一貫性を検討するならばむしろ、強引に始めと終わりとタイトルを結びつけたことの意義に目を向けるべきではないだろうか。
両端で挟み込む、そう、オセロである。
タイトル通り最初と最後がインザスパイだから、間の10曲もぜ~んぶインザスパイ。
ところで、インザスパイってナニ?
*
Catcher In The Spyはキャッチャーインザライあるいはライ麦畑で捕まえてと邦訳されるサリンジャーの小説The Catcher in the Ryeをもじっていることが明白である。ライ麦にしたところで、別に歌詞から何かが見つかるわけではない。
メカトルに言及してしまったから一応代表して調べてみたけれども、「ライ麦 マダガスカル」で検索してもライ麦パンに合わせるマダガスカル産のバニラビーンズが見つかるだけだし、アメリカも検索上位のランキングではライ麦生産世界11位であるそうだ。微妙すぎる。ライ麦は関係ない。
単語を切り抜いて話すのはいい加減にして、タイトルの内包する意味を復習する。キャッチャーインザライでは、主人公のなりたいものが以下の台詞に集約されている。
崖から落ちそうな無垢な子供を捕まえる、すなわち命を引き留める者がキャッチャーである。
ユニゾンでは、ライ麦畑ではなくてインザスパイで命を引き留める。ところで、インザスパイって以下略
帯
行き着いた先に、何もなくても。
アルバムキャッチコピーには前項にて紹介したシャンデリア・ワルツのワンフレーズがそのままくる。厳密には、歌詞には句読点はないが、活用含め言葉に変更はない。歌詞はこう続く。
これを踏まえてCIDER ROADとはゴールを目指して歩む道ではなく、純粋に過程を楽しむ場所だとは言えないだろうか。
音楽は文学その他の芸術作品と明確に異なり、再生されているその瞬間にのみ明確に実在する。あなたが好きなトラックの再生ボタンを押したその瞬間から、曲が終わるまでの時間が真実であり、一度聴いて何かしらを得て終わりというものではない。
確かに、詩や小説と同じく歌詞を目で追って反芻する楽しみ方もある。しかし、言葉をなぞるのと曲を聴くのがまったく別なものであるとは、敢えて言われるまでもなく理解できるだろう。
ライブにしても、多くの観客が一番に期待するのはセットリストの紡ぎ出すストーリーの美しさではなく、その瞬間の感情の高まりではないか。だからこそ、ライブが終わったときに曲目を覚えていないという現象が起きる。
行き着いた先に何もない、変化は待ち受けていない。けれども、そういうことではないでしょう。行き着いた先、すなわち再生後に残るものが無くても今その瞬間を楽しむ、彩る、というのは音楽の本質を突いている気がする。
事件ならとっくに起きてる。
事件が起きているインザスパイの世界、物騒。
サイダロでは脇目を振らず我が道を歩いていけば世界が始まってくれたが、この世界では道を進んでいってもこうはいかない。街頭では銃声が響くし、交差点には矛盾が行き交う。一度ポップに突き抜けたサイダロの遠足から戻れば、一転CITSは現実なんてこんなもんだと突き付けてくるようだ。
だからこそ、帯のキャッチコピーの元となる歌詞にはこう続く。
逃げる。保身。何よりも自分を大事にすること。
CITSは命を救う使命を負い、あの手この手でリスナーを救ってきた。いや、別に使命なんかではなくて、リスナーが勝手に一人で助かるだけなのかもしれない。それでも有象無象の不条理を跳ね除ける言葉、無敵のサウンドは確かに無数の人間が何とか生き続ける糧になり続けてきた。
まあ、多くのリスナーがCITSを愛好するのはその優しさではなくむしろ激しく切りつけてくる攻撃性のような気もするから、キャッチコピーの続きを読んでも意味がなさそうですね。
ジャケット
ハリネズミのジレンマ
ジャケットのcuteなハリネズミは、ハリネズミのジレンマから起用されたとみてほぼ間違いない。ハリネズミのジレンマあるいはヤマアラシのジレンマとは「相手との心の距離を縮めたいけれど、傷つくのがこわくてためらってしまう」ことである。これをそっくりそのまま、UNISON SQUARE GARDENの言葉に変換されたフレーズが見つかる。
この葛藤をどうするのか。距離を縮める未来は確かに予感できるが、あくまで楽曲の中では進展がないまま終わる。そして、クロスハート1号線の「UNISON SQUARE GARDENらしさ」及び「CIDER ROADらしさ」を秀逸に表現する主題はこの部分であると思う。
この曲のみを聴いていてグッとくるのは「迷わないけど」、と逆接でひっくり返した後の言葉なのだろうけれども、根本にあるのはここ。「君」なことをこんなに思っていても、生きる理由は「自分」であると、迷いさえしないのだから。
近付き過ぎない、溶け合わない、曲がらない「個」があること。ここまで追ってくるともう、CIDER ROADとは何を伝えるアルバムなのか透けてきている。
もう一つ、CDがお手元にある方ならば御存知、サイダロのジャケットにはユニゾンの他のアルバムにはない趣向がある。ハリネズミの顔を大きく映したシンプルな写真、目につくのは三つの丸。これは三色の点が描かれているのではなく、歌詞カードに穴が開いているのだ。穴を通してCD円盤の色が見える。穴が開いている、言い換えれば、貫いている。
曲がらない単一の個、貫く意志、こうしたテーマが節々から読み取れるのがこのCIDER ROADというアルバムである。
ミネルヴァの梟
古代ローマにおいては知性の象徴である梟。こんな言葉がある。
ヘーゲルの『法の哲学』に記されたこの言葉は、「ミネルヴァの梟=哲学」が「黄昏=時代の暮れ」に完成することを意味する。逆に、知性の象徴を以てしても、時代の流れを目撃して時代の暮れになるまでは本質を理解できないと揶揄する言葉でもある。
アルバムの暮れ、最終曲に「黄昏インザスパイ」を配したのは、この言葉を転じてのものかもしれない。この黄昏が、梟の見届けた最後の瞬間、時代の暮れまでを指すのか、はたまた梟が去った直後の宵に差しかかる頃、新時代を迎えたときを指すのかは判断が難しい。後述するが、アルバム12曲を通して主張に変化がないことを鑑みると、梟が去る前のような気がする。Catcher In The Spy一枚のアルバムを読み終えて歌詞カードを閉じたとき、梟の目はまだあなたを見ている。最後までそこで見届けているのだ
(1~3枚目の歌詞カードの裏は無地、サイダロの裏は氷である。)
キーワード
名前
例えばたくさんの羊。
大勢の羊。
羊だらけ。
羊ばっか。
そんな羊の群れから一頭をとって名前をつける。
名前をつけられて初めてその羊と、その他大勢の羊の間に境界線が生まれる。個性が生まれる。
CIDER ROADに収録された、いくつかの曲からはそんな大切な “名前” というキーワードを見つけることができる。
直接名前と言っていないが、「感情の」名前について歌った05、06に続く07 クロスハート 1号線の
や
の「ラベル」は名前を記入して識別するためのものなので、同じようにキーワードに数えてもいいかもしれない。
キーワード不在
私見では、Catcher In The Spyに一言ではまるキーワードはないと結論している。「名前」の見つかるサイダロや「手」で繋がるMOOD MODE MODEのようにバシッと決まる、同じ形で曲に散りばめられたキーワードがない。
しかし、共通のキーワードが不在ながら、多彩な言葉で歌い続けている主題はかえってわかりやすいように思う。強いて言えば生きるとかそこらへんになるのだろうけど、これはもういいよ。
ここまで話を開けっ広げてきたのに肝心のここ説明しないんかいって思われそうだが、これ以上踏み込むのは野暮というものである。
コンセプト
CIDER ROAD
CIDER ROADはUNISON SQUARE GARDENが「僕たちのポップはこういうものです、ここまでならできます」と広く聴かれることを期待して提示したアルバムである。
また、UNISON SQUARE GARDENのCDをサウンドで横並びにしたならば一番端(あるいはMODE MOOD MODEが右に出るかもしれないが)に位置する、ポップに振り切れたアルバムである。
そして、その根底を貫くメッセージはここまで要素を切り分けて読み解いてきた通りのものだ。
「一緒に奏でたいけれど」(03リニアブルーを聴きながら)、今はただ一人である。
そして一瞬肩の力が抜けたような曲であっても「どんな事態もわき目振らないんです」(11crazy birthday)と人に依存しない芯の強さを見せる。
一人で意志を貫くのは簡単なことではない。しかし、ただ流されるだけの人生よりも、パチパチと刺激に満ちて輝き出した道へ歩を進めるのは楽しいよ、と押し付けるではなくただ「僕がそう 僕のために歌う」のが最後まで触れ合わないCIDER ROADだ。
Catcher In The Spy
聴く人をgorillaに変える不思議な梟Catcher In The Spy。「自分たちの標準がCIDER ROADだと思われたら誤解である」として、CIDER ROADにも入りそうな曲は徹底的に除外して構成された。だからこそ、J-POPに殴り込む手札CIDER ROADに匹敵する純度の高いロックなアルバムに仕上がっていることは言うまでもない。
「解剖する」=多くの要素から成り立つものの構造を正しく理解したうえで切り分ける、とか「ゴチャっとしている」=色々な状態の入り混じった、とは一線を画したコンセプトの狭さが、その密度の高さ、ひいてはある種の強さになる。
CIDER ROADの副産物とも取れなくはない成立。曲調ならず、コンセプトも4枚目からの揺り返しがあるような気がしてならない。
CIDER ROADのコンセプトを味気なく「自分の人生を生きろ」、「個性を大事にしろ」、「君は君でいて」まで噛み砕いて愛好したところで、とはいえそうも上手くいかないと泣きたくなることが多々あるのが人生だ。そこまで分かっているからこそ、CIDER ROADに続くのが無条件に、生きるを歌うCatcher In The Spyなのではないか。
不条理、道理、摂理は蹴っ飛ばしていい。逃げてもいい。眼鏡を曇らせて、好きな音に乗って、ただ今一度深呼吸をすればいい。
CIDER ROADの「行き着いた先に何もなくても」で見える未来が輝いているとして、Catcher In The Spyに横たわる、最初から最後まで変わらないスタンスは諦念的でさえある。最後までインザスパイ、終わってもインザスパイ、音に揺られて目を覚ましても事件が終わったのかどうかは分からない。
そんな中で1曲目から12曲目まで、「偏った」アルバムではありながらも耳に楽しい十分な多様性を保ちながら、手を変え品を変え同じこと、ただ生きるを主張しているのがCatcher In The Spyである。
そんな高尚なコンセプトに読み解けないこともないが、世の中の不条理を置き去りにする言葉、そして更にそれを置き去りにする音の暴力こそがCatcher In The Spyの真髄である。もしかしてスパイって、立派なアルバムのふりをして私たちの日常に紛れ込む暴力、そういう意味でしたか?
終わりに
ここまで大方事実を元に、あることないことを妄想して書き綴ってきた。事実を根拠にしている分、嘘と本当ががんじがらめになって解くのが大変なはずだ。読者の皆さまのリテラシーが試されています。
さて、どこまでが的を射ているかはさておき、Catcher In The Spy及びCIDER ROADがコンセプトしっかりめかつ強めのアルバムであることはもはや疑いようのない事実である。
私は、マズローの三角形的なやつを持ってきたならば、頂点に近い方に対応するのがサイダロ、底辺を支えるのがCITSなのではないかと考えるに至った。どちらも蔑ろにできないものであるし、常に需要がどちらかに固定されるものでもない。刻々と変化する外界に揉まれて、自分の気持ちは揺れる。そんな中で、サイダロ⇌CITSの平衡状態に身を委ねることこそが人生ではないだろうか。いや、他人の人生にとやかく言うつもりはない。私はそんな人生を送りたい。そう強く感じるのだ。
現時点で私がこれまでに生きてきて一番好きな音楽アルバムはCatcher In The Spyであると言いきれる。しかし、CITSの成立は、サイダロがあってこそのものだ。不可分な関係であるので、コンセプト対決をしたとて決着がつくものではない。
UNISON SQUARE GARDEN Catcher In The Spy・CIDER ROADはこれにて以上終了となる。引き分けなんてそんな甘い終え方でいいのかと文句のある人は己の言葉でUSG C-sideを論じて好きに結びたまえ。文句のある人とは、今一瞬でもポケモン書こうかなという気持ちの芽生えたあなたに言っています。というか誰か書いて読ませてくれ。(コピペ)
もしここまで読み切ってくれた物好きがいれば伝わったのではないかと思う。対決を銘打っても別に殴り合いなんかをしたかったわけではないよ。一部の人しか気にかけないこの何でもない1日にかこつけて、いつも私の人生を彩ってくれる2枚のアルバムに改めて向き合って感謝を述べたかった。
8周年おめでとう。これからも変わらずそこに在って欲しい。
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(オチに使おうと思っていたどこかで読んだ覚えのある記事が見当たらなかったため、当時の言葉をブログを残していた方から拝借しました)
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