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【読了】離さない 羊と鋼の森

羊と鋼の森。宮下奈都さん。久しぶりに、自分の中の小説10選を入れ替えても良いかもしれないと思う好きな本を読んだ。

私がこの本から抜き出すキーワードは解像度と情熱。

解像度

物語の中で触れる全てのものに対しフラットで新しい感覚を受け取っていく素朴な主人公外村は、天才的調律師板鳥さんと出会い、調律の世界に飛び込む。

まず「美しい」という言葉を知った。

美しいと言葉に置き換えることで、いつでも取り出せるようになる

羊と鋼の森 p.25


外村のよき先達柳さんは花の名前を知っている外村をかっこいいと言った。知らないのは興味がないということだから。

「俺の見てる景色とは違うものが見えてるんだろうな」

p. 38


音楽的教養、強みのない外村は理想の姿になかなか近づけない中、落胆する間も惜しくてメモを取り続ける。

調律の技術を言葉に換える作業は、流れていってしまう音楽をつなぎとめておくことだ

p. 236


ただ受動した音や景色から美しいと感じた一区画を切り取って留めておく。どうにかしてそのときの感情を離さずにいたい。言葉にする、名前を知る。その行為はインプットともアウトプットとも言える。手持ちの言葉の中からその感情に一番似合うもの、手持ちの箱のなかで一番収まりの良いところを誂える。感情が自分のものになる。これはもう、受け取るを超えた一つの表現だ。解像度_感受性とも近いかもしれない_これを高める、豊かにするのは人生の楽しみの一つである。他にも思わず胸が高鳴る、しかし自然な比喩の数々が心に残る優しい小説だった。



情熱

外村は学校の美術教育を通して『絵は、わからない。わかったようなふりをしてもつまらない。』と、絵を「あきらめた」ことがあった。しかしひょんなことから板鳥さんの調律と出会ったその瞬間から、調律が心を掴んで離さなくなった。

あのとき、高校の体育館で板鳥さんのピアノの調律を目にして、欲しかったのはこれだと一瞬にしてわかった。わかりたいけれど無理だろう、などと悠長に考えるようなものはどうでもよかった。それは望みですらない。わからないものに理屈をつけて自分を納得させることがばかばかしくなった。

p. 96

これしかない、と側から見れば思い込みのごとき強さで何か信念を得る人は強い。羊と鋼の森の主人公外村も強さを持つ人だ。『ある状態』にたどり着くための最後のピースを埋めるのは情熱、この小説でより頻回に使われる言葉を借りるのであれば「あきらめ」ない/られないことであると、私は思う。



才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。

p. 139


純正律による調律。試してみたいと思いながらも、そんな余裕はないと思い込んできた。「絶対」はない。「正しい」も「役に立つ」も「無駄」もない。ひとつひとつ外していくと、余裕なんて取るに足らないもののように思えてくる。

p. 216


あきらめようにもあきらめられない、あきらめようとすら思わないほど心を捉えて離さない情熱を傾けられる何かがある。

外村の他に、この物語で情熱の観点より注目されるのがふたごでピアノを続けてきた高校生和音。いくら練習しても疲れない強さを持ち、彼女のピアノはある時を境に周りの人が驚くほどの美しさを放つようになる。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」「ピアノを食べて生きていくんだよ」

p. 193

こう述べた和音はきれいだった。私がここに見るのは、和音の情熱の強さ、それによる信念の強さだ。

そして、和音を変えた契機はふたごの由仁だった。

「私、やっぱりピアノをあきらめたくないです」

p. 201

あきらめたくない、離したくないと情熱を燃やす姿は、やはりきれいだ。



どの人物も魅力的で、言葉に彩りがあり、世界を眺める解像度が高まるような。展開が軽やかで、人物がひたむきで、静かなる情熱に心を打たれるような。そんな物語でした。

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