【読書と音楽】ハッピー・チェーンソーエッヂ
実体がないけど剥いてみよう!!!🍎
この記事はMUSICAを読んでUNISON SQUARE GARDEN 9枚目のフルアルバムNinth Peelのリリース(2023/4/12)を待ちきれなくなった元ネタ厨(ついに認めたな!!!)がまだ聴かぬ「ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ」を妄想すべく「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」という本を読み、覚え書きをしたものです。
今回言及したのは以下の媒体。
・9th アルバム”Ninth Peel”発表記念YouTube特別生配信(2023/1/31, アーカイブ期間過ぎてる)
・MUSICA 2023年4月号
・ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ(角川文庫)
・Ninth Peel Museum 来場者特典リーフレット(追記)
・ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ(追記)
※ネタバレです
※本当は私の感想は要らなくて引用だけで良いのだけれども、それでは転載になってしまうので途中で頻回にやかましい人格が出てきます。
Ninth Peel発表記念配信
ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂに関わるメンバーコメントを抜粋。
シングルではないアルバム曲として、世間ウケを狙わない自由な挑戦がなされている。そして、歌詞が愉快、らしい。
楽しい予感しかしない。フィクションフリーククライシスの生き別れの他人タイプ(メカトル枠)の香りがぷんぷんしている。
もう全然関係ないのだけど、メカトル枠についてはこちらを参照されよ。(他人の記事を勝手に推薦)
MUSICA
全国で売り出し中の雑誌であり、ご自身で手に取っている方も多いと思うので控えめに。(買ってください)(回し者です)
どうやら、ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂはギターリフが立っていて、そこに勢いのある「いい歌詞」が乗ったカロリー高めの一曲っぽい。特に4曲目に置かれる強いシングル「カオスが極まる」を導くポジションの3曲目として、着目すべき点があるらしい。
以下に閲覧者制限で一応雑誌の言及箇所をまとめておきます。
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ
本題!2004年出版の角川文庫ライトノベル。図書館で読めるB級ラノベ感がすごくあるよね。
ストーリーは紹介の通り。
私はこちらは見ていないが、2008年に市原隼人さん主演で映画化している。主題歌はGReeeeNのBE FREE。興味があって映画を観た方がいたら、ぜひ感想を教えてください。
以下は小説より。舞台は北海道、高校生の物語。
高校2年生の主人公山本はある日チェーンソーを持った男と戦う少女絵里と出会う。なすべきこともなく青春を浪費する山本の目に、『本当の悪者』に見えるチェーンソー男と戦っている絵里は『羨ましく』眩しい存在に映った。山本は絵里を手伝い、ともにチェーンソー男と戦い始める。
物語の一人称の主人公は山本だが、まずはもう一人の主人公絵里について掘り下げ、設定をまとめる。
・母親、父親、弟を乗せた車が交通事故に遭い、亡くなったため1人で暮らしている。
・家族3人の葬式の帰りに初めてチェーンソー男が襲って来た。そのとき、自分の身のこなしが突然軽くなり、戦えるようになっていたため、以降チェーンソー男と戦い続けている。
彼女が戦い続ける理由、チェーンソー男を警察に突きつけたり、誰かに頼ったりせず、しかし逃げない理由は以下の通りである。
次に、はじめは単にアホっぽい高校生の姿で描かれていた主人公山本について。物語の進行につれて、彼自身と周辺が少しずつ明かされていく。
・親は健在であるが、下宿で一人暮らしをしており、同じ高校、同じ下宿の渡辺と親しくしている。
・渡辺に唆されてギターを買った。渡辺は同じくベースを買わされた能登と3人、バンドを組もうとしていた。しかし、能登は事故で亡くなり、以降渡辺も軽音部の部室に通うのをやめてしまっていた。
・雪道深夜のバイク暴走で亡くなった親友・能登はヘルメットも被らず、先に急カーブがあると知りつつ、それでもバイクのスピードを落とさなかった。
紹介文では単に事故死とされていたが、後に自殺であったことが示唆される。また、なぜ死ななければならなかったのか、動機に迫るように能登の人格にも触れられていく。
・主人公山本の成績、素行は元々悪かったのではなく、親友・能登の死後急に下がったのであった。
担任の先生との面談で初めて明かされる。また、山本自身も先生に言葉を突きつけられて初めて能登の死を契機に自分が変わったことを自覚する。
担任の先生は、昔の不良は世の中に対する怒り、憤りを先生に向けていたためわかりやすかったと言った。世の中の不条理を代表する手近な存在が、学校の先生だった。対して、先生に向けてわかりやすく反発しない最近の生徒のことはわからない、扱いづらいそうだ。よくわからない不満を抱えたまま死んでしまった能登、親友を亡くし学業、部活に対しても無気力になってしまった山本。
*
さて、山本と絵里が立ち向かうチェーンソー男とは何なのか。幻覚とか夢とか、2人で共有するには少し難しい存在のような気がするが、そこはライトノベルなのでファンタジー以上の説明は不要だろう。実在するのかどうかといった現実味のある設定は必要ない。
こんなB級ライトノベルの設定なんてこしらえなくても、ただのヒューマンドラマとして成立しそうなこの物語に作者は『切っても突いても死なないチェーンソー男』というファンタジー設定を持ち込んだ。チェーンソー男の負った役割は不条理である。
ここまでのネタバレでストーリーを再度整理すると、不慮の事故により家族を亡くした絵里と、自殺により親友を亡くした山本が、不条理の具現化であるチェーンソー男と戦う話、とまで落とし込める。
解説
本書には西尾維新さんが解説を寄せている。
解説の要所をつまむと以下の通り。
❶しあわせとは一体どういうものだろう。色んなモノが複雑化してきた人間は、もはや生きているだけでは幸福感を得られない。
ここに、タイトルの意味が要約された。否定的で後ろ向きな形(ネガティブ)であっても、不条理(チェーンソー男)に立ち向かうことは幸福追求の手段である。ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ。
❷共闘する山本と絵里だが、二人の間には元々何の因果もなく、別々に語られるべきである。
二人は確かに近くに住んではいるが、高校も学年も違い、チェーンソー男がいなければ出会わなかった。
また、絵里が一貫してチェーンソー男を打ち負かすことを目指しているのに対し、山本はチェーンソー男と戦うことそのものを望んでいる。共闘しつつ終始二人の態度には違いがある。
態度の差異が、二人がそれぞれ対向した不条理が違う形式(近しい人の死が事故死/自殺)であるために生まれたものなのかまでは明らかではないが、とにかくこの物語はいっしょくたに出来ない二人分の物語を包括している。
音楽性
物語の主題とは別に、主人公山本と友人渡辺が軽音部に所属しており、バンドが一つの側面を担う小説として、ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂで描かれる音楽について。
主人公が、音楽に情熱を傾ける同じ下宿の友人渡辺の渾身の一作を聴くシーンがある。(ここでの対話を通して山本は引越しを取りやめて絵里や渡辺の元に残ることを決める、重要なシーンだ。)
渡辺の作品は小説ではタイトルのない楽曲として登場し、しかし音と歌詞についての細かな描写があった。
映画では能登のセリフより『根性なし』というタイトルがついた実際の楽曲として登場するそうだ。
どちらにせよネガティブハッピー・チェーンソーエッヂというタイトルの曲があるわけではないため比較対象にはならないだろうが、抜粋して記録する。
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂのこの描写がミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂに反映されているとは思わないが、ここまで細かく展開を語られた音楽があると、どうにも気になってしまう。
落ち着いた始まりからリズムが崩れ始め、ギターが鳴るといった構図は果たしてミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂに出てくるのだろうか。Ninth Peelのリリースが楽しみな限りである。
次に、歌詞。上記のインストにつく歌詞が丸ごと書かれている。渡辺が国語の成績がよかった能登に「作詞のコツ」を教えて、作らせたのだという。
この歌詞のツボが、まるでユニゾンスクエアガーデンみたいなのだ。
いつも言っている、配信で言っていた、MUSICAでも語られていたようなセリフだなぁ🤨💭
歌詞書いたの僕じゃないんで…
勢いがある、唐突、意味不明、しかしなぜか小気味良い。ここまで読めばもう、この作品のどこがミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂの作者に刺さったのかが丸わかりだ。歌詞もきっと内容はこれとは全然違うのだろうけれども、何といってもこいつはメカトル枠なのだ。(知らんけど。)Ninth Peelのリリースが以下略
ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ
Ninth Peelの3曲目、まだ一般には明かされていないミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ。実体がないのに、振り返る。
タイトルの元ネタでありそうな小説ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂを自殺、不慮の事故で親しい人をなくした二人の物語と思ってアルバムに還元していくと8曲目「もう君に会えない」が思い浮かぶ。
「もう君に会えない」は公式より「君」のモデルの存在が示唆されており、曲名+モデルで検索するとおよそ正解とみて間違いなさそうな二人がヒットする。
(私自身はモデルとされる人物について無知であったが、詳しい人に明らかにされた時系列や場面設定で十分に裏付けられていると感じる)
ユニゾン公式からの情報をかき集めるとミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂの曲調・歌詞がシリアスになりそうな予感はあまりしないが、Ninth Peelというアルバムの1ピースとして、他の楽曲にも波及しかねない、それなりに強いメッセージを含んでいそうだ。(これ全部妄想と邪推に基づくが)
また、雑誌によるとアルバム構成を考えてNinth Peelのいくつかの曲の歌詞が「それっぽく」書き換えられたのだという。紹介されたどのフレーズをとってNinth Peelを捉えてもこれまでの作品以上に真っ直ぐに生きることに向き合っているアルバムのような気がしてくる。
(「前例になく超気持ちいい かつてないデッドヒート 極まってしまった」は違うかもしれんよね)
(「即座ラブリーアウトサイドステップ」もちょっとアレかも。。)
これまで以上に真っ直ぐに向き合っているようだと言いつつ、生きるとか死ぬとかのトピックについてユニゾンはずっと変わらないことを伝え続けてきている。
例えば古いブログとか。
例えば9年前のアルバムとか。
9枚目、どこかでサイダロっぽいアルバムと言っていたけれども。これでもうどのようなアルバムかはわかったな!
Catcher In The Spyの脈を継ぐ2023年最新版、リリースを楽しみにしています。(予約した!)
皮ツアー1曲目は強気の黄昏インザスパイ予想だぜ!!!
公開後追記2023.4.13
Ninth Peel 発売おめでとうございます!!!!!
曲が公開され、更にNinth Peel Museumという企画展での情報公開もあり、この一画面にタイトルが表示され切らないヤンチャ曲の実体が明らかになったので追記します。
*
ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂも歌詞が先行公開されていた曲に劣らず真剣に生死に向き合ったものになるのだろうなと想像していたが、想像を遥かに超える真っ直ぐな歌詞だった。
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂでは、解説❷で書いた通り全く別な生への向き合い方をしている主人公二人が取り上げられている。
この曲のプロットで重要になるのは山本で、もう一人の主人公絵里の背景は無視して良いように思う。
また、「こんなB級ライトノベルの設定なんてこしらえなくても、ただのヒューマンドラマとして成立しそうなこの物語」と書いたが、まさにチェーンソーエッヂ文脈は切り離したヒューマンドラマの側面だけで十分に曲の理解が深まる。
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狭く深読みしていけば「そっち」はきっと、怖いものを知らずスピードを落とさず急カーブに突っ込んでいった能登がいる側だ。
公開前の考察では能登について「なぜ死ななければならなかったのか、動機に迫るように人格にも触れられていく」としか書いていなかったが、ここからバイク暴走で亡くなった能登がどんなキャラクターだったかに踏み込む。
能登は神経質で、体が弱く、運動神経もなく、不健康な男だ。それでいて、不思議に強いところがあった。主人公によると能登は一点集中的にとんがっていた。怒っていた。
クラスで三角関係をやって和解した2人のクラスメイトに、部外者である能登が唐突にキレるエピソードが出てくる。能登は、なあなあで上部の言葉を交わし、真剣に怒りをぶつけあわないまま和解した2人のことを許せなかったのだ。曲がっているもの、不条理なものをどうしても許せないのが、「そっち」へ行った能登なのだ。きっと能登は、不条理と真剣に対向した結果、死んでしまった。
物語のクライマックスで主人公山本が、能登が亡くなったのと同じ急カーブへバイクで突っ込んでいくシーンがある。
結局山本は後追いはせず、現世に残る。
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曲の成立について。
つまり、できた順番に下記の通り。
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ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ(タイトル)
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この成立順序を踏まえると、落ちサビはタイトルオマージュ元の内容を含有すると考えるのが妥当なのだろう。
現世に残って生きることを選んだ山本は小説の言葉を借りると「途中で色々諦めた」側であり、かつ、楽曲の言葉でいう「毎日を諦めなかった」側でもあることに注意したい。後ろ向きな幸福追求(小説)と、前向きな幸福追求(楽曲)では「諦める」の使い方が逆転している。
ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂでは色々諦めた結果、生を続けており、ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂでは毎日をちゃんと諦めずに、生き続ける。
同じ主題でも、逆転した前向きな言葉で伝えられるところが田淵さんを好きなところだな〜と思う。あと、サビの歌詞から「ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ」にタイトルを転がしていく感性がすごいよね、すごい。すごーい!!!
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サビの歌詞は田淵さんオリジナル、落ちサビの歌詞は小説(映画)のオマージュと判断されるとして、他はよくわからないしどうでもいいかもしれないが、個人的には1A「やつらの意図に気づいてしまった」はオマージュ元から読めるなと思って、初めて聴いた時思わず笑ってしまった。
が頭をよぎった。別に特殊な語彙ではないが、ここではネガティヴハッピーと同じ「やつ」という言葉の使い方をしているようにも思えてしまう。やつらって誰だ?知らねえよ。
また、「制御不能だ」と「踏ん張りは効かない」はアイスバーンの上をバイクで滑っていった能登の姿に重ねることができる。
そうやって読んでいくと、「制御不能だ」と生死を自身の外側へ委ねた状態から真っ直ぐ「カオスが極まる」のデスゲームに突っ込んでいくアルバムの流れがまた一つ面白く思えたり。
きっと深読みのしすぎなのだろうけど。
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