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💿高田 渡 - 彼は誰にも真似できない -

音楽については洋楽ばかり取り上げていましたが、今日は初めての邦楽、私の大好きな高田渡です。

高田 渡(たかだ わたる、1949年1月1日 - 2005年4月16日)は、日本のフォークシンガー。使用楽器はギター、マンドリン、オートハープ。 詩人・労働者・活動家の高田豊は父。弦楽器奏者の高田漣は息子。日本画家の中尾蔦一は叔父。1969年から興隆した関西フォークムーブメントの中心人物として活躍。孤高のフォークシンガーと評されている。
出典:Wikipedia

改めて年齢を数えると、56才で亡くなったのですね、若いなぁ。

さて、記事にしたくなったのは、次のリンク先を読んでから。

高田 渡/五つの赤い風船

冒頭の画像が、1969年2月に高田渡が初めて出したレコードで、片面は五つの赤い風船です。

しかし、ベルウッドから「ファーストアルバム ごあいさつ」を1971年6月に出していますので、デビューアルバムでありながらファーストアルバムではないのですね。

デビューアルバムレコード中央のレーベル。

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レーベルの仕上がりもイマイチですが、冒頭画像のレコードジャケットも薄っぺらで安っぽさを感じます。

アングラ・レコード・クラブ

「URC」から「URCレコード」へ。

当初のURCは"アングラ・レコード・クラブ"という会員制組織としてスタートした。これは、会員になった者にのみ制作したレコードを配布するというもので、69年2月の第1回、4月、6月、8月、10月と、第5回まで続き、会員には毎回LP1枚とシングル2枚が送られたのである。ちなみに、記念すべき第1回配布分は、LPが『高田渡/五つの赤い風船』、シングルがミューテーション・ファクトリーの『イムジン河』とトリン・コーン・ソンの『坊や大きくならないで』というラインナップであった。会費は1回につき2千円。第5回まで完納した会員にはボーナス・レコード1枚が送られた。 会員数は当初千人までの限定と考えていたが、希望者が多いことから2千人まで広げた。しかし、第3回の配布後も入会希望者はあとをたたず、制作の本数も増加の一方だった。こうした要望に答える形で、高石事務所と系列のアート音楽出版の提携によって、新会社"URCレコード"が設立され、制作レコードの市販にふみきることになったのである。

出典:URCレコード

ソング・リーフレット

このレコードにはB5サイズのソング・リーフレットが付いています。

当時、URCは先の内容でレコードを配布していたのですが、所有するアルバムのリーフレットを見ると、表紙の会社名が「URC」ではなく「URCレコード」、裏表紙には「¥1,500」と印刷されています。

そこから、所有しているレコードは、配布ではなく市販された物かと思っています…知っている方は教えて下さい。

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1枚めくると高田渡の紹介と、そこから歌詞が全曲書かれています。後半は、同様に五つの赤い風船が続きます。

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銭がなけりゃ

動画を見る限り、1970年大阪万博の会場が流れる中、その情景に合わせるように歌詞を大阪バージョンに変えられていますし、最後のシーンは駅前(たぶん)に全日本フォークジャンボリーと書いた横断幕があるので、1970年8月8、9日に8,000人を集めたその会場での撮影かと勝手に思っています。間違っていたら申し訳ありません。

となると21才、この年齢でこの雰囲気、悟りきったような歌い方です。

コーヒーブルース

高田渡ファンは、京都のイノダコーヒーへ必ず一度は行きます。

高田渡に会いに行く

高田渡の人となりに興味のある方は、2021年1月に発行されたなぎら健壱の本「高田渡に会いに行く」を買うか、先のリンク先、駒草出版のシリーズ化された note の記事を4つ(その後も続くのかは知りませんが)読めばほぼ全てがわかります、たぶん。

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魚つりブルース

アルバム FISHIN' ON SUNDAY(1976年) 1曲目。

最後は一番好きな曲を。
この曲は、高校に上がる前、3学年上の姉が聴いていたので知りました。姉は既に亡くなってしまいましたが、僕の中学時代、 Eagles の Hotel California や井上陽水のアルバムを聴かせてくれたりと、多大な影響を与えてくれました。

アルバム FISHIN' ON SUNDAY ジャケットの裏面です。表面は先の画像で、本と一緒に写っている左側になります。

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久々に高校の頃に姉からもらったこのアルバムを引っ張り出してみると、ジャケットの中から写真が沢山載っているライナーノーツ風のものと「お詫び」の紙が。あまりの間違えっぷりに驚きました。

ちなみに、左から中川イサト高田渡、右端は細野晴臣です。

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最後の行「カメラマン名脱漏」って、出来上がったジャケットを見て田中汪臣さん、ショックだったでしょうね。

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高田渡の曲にはオリジナルもありますが、殆どは他人の詞をアメリカの曲に合わせて作られています。作曲、高田渡となっていても原曲が結構あるとのことです。
しかし、完成すると誰が聴いても高田渡のオリジナル、真似ができるものではありません。

長くなりましたので…いまだにドキュメンタリー映画「タカダワタル的」を見ていないのは残念…と呟いて終わります。

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※ 失礼とは思いましたが、テンポよく読めるように記事では著名な方の敬称は省略させて頂きました。

<了>

※ レコードジャケットの著作権を考慮し、以前の記事における画像サイズを小さくしています。そのため画質が荒くなり、記事の内容が理解しにくい場合があるかも知れませんがご理解下さい。他の投稿も、順にやり直しています。

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