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私について私が語る時、私ができること

 noteに書き始めて、およそ一週間が経ちました。PV数が、全部集めて600程度になりました。多分自分で50回ずつくらい見てるので、本来のPV数は100くらいかもしれません。それでも、10人ずつくらいの人が読んでくれていると思うと、有り難くって飛び上がりそうです。
毎日、ぼんやりと今日は何を書こうか、、と考えている自分がいます。出来ればたくさんの人に読んでもらいたい。心を傾けてくれる人に届けたい。私の話は大抵、書き上げて読んでみると、やめたくなるほど重たいものが多く、皆さんは随分と物好きだと思います。大切な読者に言うのは失礼だけどね。
でも、そんなものを一心不乱に書いている私は、もっと変人かもしれません。いや、変人です。ちょっと狂ってると、自分で思います。でも、自分で自分を、結構気に入っています。だから今日は、自己紹介をさせてください。

 私は、岡山県の倉敷で生まれました。田舎ですが、綺麗な町があります。美観地区と呼ばれ、今では割と有名な観光地になりました。

水平線の町、倉敷 「水平」

4人兄弟の末っ子で、姉、兄、兄、私という構成です。姉とは10、歳が離れています。兄2人は年子で、とても仲が良かった。彼らはとてもよく出来る人間たちでした。父は家族サービスをとんとしない人で、母も人を褒めるのが苦手な女性です。
幼少の時、褒められた記憶は一度だけで、「ごまたまご」というお菓子が、上から読んでも下から読んでもごまたまごだ、と言ったら、"君は言葉を扱う才能がある"と言われたことを、鮮明に覚えています。それ以来、その言葉を信じて、言葉に縋って生きてきました。周囲に自分よりよく出来る奴がいて、褒められないと、人はどんどん根暗になります。私はコンプレックスの塊になりました。
昔から、人の頼みを断るのが怖かった。ある晩、家に一通、小学校の同級生から電話がありました。聞けば子犬を拾ったという。飼えないから、君に飼ってほしいと言われました。なぜ僕に?と聞くと、断らないと思ったから、と言われました。彼女の狙い通り断れず、祖母の家で子犬は成犬になり、数年前に死にました。幻滅されるのが恐ろしかった。やっぱり君も、所詮、残念だな、つまらないね。そんな言葉をどうしても浴びたくありませんでした。

 中学で上京し、変な学校に入りました。男子校は、力関係が如実に現れます。変で、卑屈で、怒りっぽく、しかも割と不潔だった私は、いじめの対象になりました。ホームシックとプライドと軋轢でクソ味噌になった私は、逃亡しました。逃亡仲間と一緒に新宿から、高速バスに乗って、長野の野尻湖まで行きました。バスに乗る時、小学生料金を使いました。運転手さん、ごめんなさい。

青春のすべて

逃げた先でも、卑屈なくせにプライドばかり高いから葛藤します。長野駅から野尻湖まで走るバスの中で、号泣しながら戻ろうと思いました。負けたくなかった。勇んで東京まで出てきたのに、一年経たずにとんぼ帰りじゃダサすぎます。結局、変な学校に大学も合わせて11年いました。高3の時には、選挙で寮長にしてもらったし、上京時あんなに嫌いだった、叱り役のリーダーもしました。今でも当時の後輩に、鬼のようだったと言われます。

 中高で、授業中ずっと寝ていたら、もちろんとんでもない阿保になりました。頭が悪い、の次元を超えて、そもそも脳味噌が無かった疑惑もあります。Be動詞の存在を知らず、父に溜息をつかれました。
そんな折、幼馴染みの訃報が届きました。心臓を鷲掴まれて、ボコボコに殴られた気持ちになりました。不眠症になり、眠れないので一年コンビニの夜勤バイトをしました。その時稼いだ金で、インドに行きました。インドに行くと、大抵の人はなんだか悟りを開いたような感じで帰ってきます。私にはなんの悟りも開けませんでした。でもなんだか、色んなことへの許容値が、ぐんと増しました。いつ死んでもいいように、生きようと思ったのはその頃です。

「命の秤」死ぬべきではなかった貴方について

その後、ギャップイヤーという休学制度を使って靴職人を目指したり、ヨーロッパを放浪したり、初めての恋人が出来たりしました。その人が卒業するのをきっかけに告白をしたら、彼女は一週間前に私の親友と付き合い始めていました。その上、告白に連れ出すために、私はそいつに千円借りていました。ごちゃごちゃすぎて訳がわかりません。いつか書くかもしれない。結局、その子とは、一度だけ手を繋いだだけで、一年経たずに振られました。親友とは、今でも親友です。

なんとなく、今ならわかるよ

 就職はありきたりでした。普通に面接に行って、普通に受かったところに入りました。でも、今でも上司には、"あの時なぜかクラッチバッグできたお前を、一生笑う"と言われます。頼むから忘れてほしい。
もともと、本を読むのが好きでした。紙が好きです。手触りやモノとしての佇まいが、特別です。だから出版社を選びました。雑誌の広告を売る仕事です。色んな面白い会社に出会いました。新規専属の営業として、社内で1人だけ、新規開拓ばかりやったりしました。楽しいといえば楽しいが、基本的に働くのが嫌いなのだと分かりました。根が怠惰なのです。今は、転職を考えています。

 今週末、28になります。私について私が語る時、私ができることはなんだろう。書くことしか、ありませんでした。父の言葉を思い出します。"君は言葉を扱う才能がある"。ないと思うよ。ごまたまごくらいで。私より才能がある人で、この世はいっぱいだよ。それでも多分、それ以外ない。卑屈で、怒りっぽくて、頑固で、怠惰な私は、書くことを捨てられません。
これからも、書くでしょう。良ければ、読んでみてください。気に入ったら、スキを押してくれ。生きる価値を与えてくれ。才能がなくてもあると、思わせてくれ。
私について私が語る時、これが私に出来る、精一杯のことだから。

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