高専を辞めた話と捨てるエモさについて

 私は高専を二回辞めています。辞めたことについて後悔は一切無いのですが、高専を二回辞めた体験について今でも色々なことを考えます。

高専に行くという意思決定

 なんとなくで高専へ行こうと思う人は多くないと思います。高専生の多くはなんらかの意思や理由を持って普通高校ではなく高専を選択すると考えています。

 私も例に漏れず、高専に行くという選択を能動的にしました。誰かに紹介されたわけではなく、ググって面白そうだと思ったことがきっかけだったと思います。当時マイコンに興味がありましたし、当時の自分にとって高専へ行くという選択はベストに思えました。

 現在も通院中ですが、その頃は双極性障害が酷かったことを覚えています。これからの人生をどうするかについても非常に頭を悩ませていました。高専なら途中で辞めても残るものが多そうだという考えもあったことを覚えています。

 今考えてもこの判断はいい判断だと思いますし、当時の自分がよくこの判断を出来たなと思います。

高専退学一回目

 高専を最初に退学した頃、予想通り学校にあまり行けていませんでした。通院を始めたのは退学する少し前でしたが、合う薬が見つかるまでの間いろんな薬を試し、とても苦しかったことを覚えています。

 学力にはそれほど問題はありませんでしたし、編入試験を受けて四年生として戻れる自信はありました。症状がすぐには治まらないことも理解してましたし、通院生活が一生続くということも解ってました。

 今思えば、高専に行ってる場合では無かったというのが正直なところだったと思います。当時はいろいろなことをごちゃごちゃ考えていましたが、一旦辞めて症状が治まるのを待ちながら編入試験の準備をするのがベストだと思えました。

高専四年へ編入

 高専の四年に無事編入しました。編入試験に向けて微分積分を中心に勉強したことを覚えています。三年で微分方程式をやるカリキュラムだったので、微分方程式も独学していました。途中式をしっかり書いていたので、ノートの消費が速かったことを覚えています。指が痛かったので筆記の負荷を減らそうとボールペンに変えました。

 編入試験は実はそれほど簡単ではなかったらしいです。受験者もそれほど多くなく自分だけが試験を通ったようで、自分の時は一緒に受けた人たちをその後高専で見ることはありませんでした。点数は確か公開されなかったので、自分がギリギリ合格したのか、余裕を持って合格したのかはわかりません。

高専退学二回目

 ここまでは筋が通ってると思いますが、よく分からないのはここからです。退学する前に、自分は高専に合っていないと言っていたことを覚えています。わざわざ編入試験を受けてまで戻って来ておいて今さらそんな筋の通らないことを言っていました。

 今このときの感覚を表現するなら、学校に拘りが無くなっていたと表現します。独学していける自信は既についていて、学歴も必須では無いと考えるようになっていました。

 二回目の退学は一回目の退学とは何かが違っていたように思えます。二回目の退学後は何故か晴れ晴れとした気分になっていて、変な満足感がありました。心が軽かったですし、どう表現していいかわからないですが良い気分だったと思います。

 この感覚をズバリ表現する言葉が仏教にあって、それが「捨」という概念です。仏教では手放すことが美徳とされ、執着から離れるべきだと考えられています。執着から離れることで俯瞰する視点を得た状態が「捨」の意味するところだと私は理解しています。私は二回目の退学でここに至れたのかも知れません。

 自分自身高専を二回辞めた体験をまだ消化しきれていませんが、必要に駆られてその場その場で下してきて判断の結果であるそれは、自分の人生の中で最高の体験だったように思えます。

Web制作やライターをやっているフリーランス。豊田高専を二度中退し、放送大学生兼フリーランスを始める。Pythonが好き。Vue.js、Nuxt.jsを使う。