学校を一度バラバラにするべき理由

 「学校をぶっ壊す」とTwitterでよく言っています。その真意というか、ただの過激思想では無いぞということを説明したいと思います。

 テレビデオをご存知でしょうか。若い人はしらないかも知れませんが、ビデオ(DVDよりも前に普及した映像メディア)のプレイヤーとブラウン管テレビ(現在のテレビと比べて分厚くて重い)が一緒になったものがかつて普及していました。

 技術者の間では、テレビデオのような設計が話題になることがあるそうです。別々の機能を一緒にした設計はどのような特徴があるかを議論する際に、その象徴としてテレビデオが挙がるようです。

 学校は、教育にまつわる様々な機能をごちゃ混ぜにしてパッケージ化した教育機関だと考えています。私はテレビデオのような設計が嫌いで、学校のような設計が嫌いです。

 この設計の最大の欠点は柔軟性の低さにあります。テレビデオの場合、ビデオプレイヤー機能が壊れた場合、まだ動くテレビの部分まで捨てることになります。テレビデオなら大した問題では無いですが、教育がそのような設計だと、少しクラスに馴染めなかっただけで全ての公的な教育機会を捨てなければならなくなります。

 以上が学校を解体しなければいけない理由です。教育システムの設計がクソであることの被害者は、今も生まれています。

 私が課題を感じていたのは、朝が苦手なことと、電車や教室のような空間が苦手だということです。体調が悪いと、満員電車で吐きそうになりますし、イライラして教室に居られなくなります。シンプルに人や雑音の多い場所が苦手です。細かいことについてはここでは省きます。とにかく学校に通うのはそれだけで苦痛でした。

 放送大学は、学校というパッケージから講義だけを切り出したような設計のシステムです。単体では足りない部分が多いかもしれませんが、部品として優れています。

 私が必要としていたのは、フルフレックスの学校です。フルフレックスは、作業する時間さえ自分が決めることが出来ればパフォーマンスは出るという人が選ぶ勤務形態です。

 放送大学の講義はネットでも公開されているので、フルフレックスのような学び方が出来ます。深夜に授業を受けることも当然出来ますし、半期に一回ずつある課題提出とテストの二回のタイミングに間に合わせることが出来れば、勉強するペースも自由です。

 余った時間で「#学生LT 」というLT会団体の運営をしながら、そこで発表するプログラムを書いています。それでも時間は余るので、昨年個人事業主として登記しました。

 私は、日本を「部品として優秀な」教育機会で満たし、利用する人が再構築出来るような状態を目指したいと思っています。「#学生LT 」もその一つになるのでは無いかと思い、運営に手を出しています。

 学校をバラバラにしましょう。それを必要としている人がいます。

Web制作やライターをやっているフリーランス。豊田高専を二度中退し、放送大学生兼フリーランスを始める。Pythonが好き。Vue.js、Nuxt.jsを使う。