次の時代に必要とされるものを考えるために、過去について考える

 時系列を過去、現在、未来と分割するとして、今を考える人は多いです。今拡大している市場や、今役に立つ技術、今研究が盛んな技術などについて興味を持つ人は多いです。

 私が興味を持つのはむしろ過去です。私が過去に興味があるのは、現在を正確に理解したいからです。過去にどういう経緯があって現在こうなっているかを、いかに正確に理解するかが、未来について考えるための堅い基礎になると考えています。

 恐れ多くもドイツの哲学者のハイデガーについて言及しますが、ハイデガーは現代技術に強い興味を抱いていました。私の理解では、ハイデガーは現代技術によって自然や我々がある目的を達成するための装置として扱われていくことに危機感を抱いていたようです。

 私は現在ハイデガーの「技術への問い」という本の訳書を読んでいて、現在二周目の最中です。現代の田畑は野菜や米についてある供給力を持つ装置として扱われますし、鉱山や製鉄所などもそうです。それらは抽象化され、例えば我々が鉄で出来た製品を使う時に、それが鉱夫がピッケルで採掘した鉱石から出来たのか、巨大な機械が採掘した鉱石から出来たのかは通常意に介されません。

 ハイデガーが生きた年代は、ニーチェの「神は死んだ」の時代でした。神という概念は長い間、人類の価値基準の基礎となってきました。私の解釈ではこの言葉は、神という絶対的な権威によって保たれていた人間社会の秩序が崩壊してしまったことを表しています。これは神が統治の道具から解放されたとも捉えることができ、神を信じている人にとっても朗報なのではないかと思います。

 私たちは民主主義の社会を生きていて、政治に神という概念が持ち出されることは通常ありません。多くの先進国では政教分離が達成され、宗教的な教義に基づいた政治はできないルールになっています。

 私たちは、神が死んだ結果どうなったかという答え合わせの時代に生きています。神が死んだ直後の時代に生きたハイデガーが、技術についてどう考えていたかを知ることは、現代を正確に分析する助けになると考えています。

 現代の資本主義が非人間的だと感じる人は多いでしょう。人は生産能力でしか無いですし、工場はどのくらいの製造能力があるかで量られます。「コスパ厨」という言葉に象徴されるように、現代では全てのものがコストに対してどれだけのパフォーマンスがあるかという物差しで量られようしています。

 これは私の解釈ですが、現代技術はそこに向かうとハイデガーは考えていたようです。ハイデガーは現在を理解することで未来をある程度の正確性で語ることを可能としましたし、私はハイデガーという過去の偉人を知ることで、現代を正確に理解しようとしています。冒頭で述べたのはこういうことです。

 さて、私はまだ未来を語れるほど現在を理解していないですが、ハイデガーの時代の現代技術と現在の現代技術の重要な差分について、それがコンピュータであるという仮説を持っています。

 コンピュータが「人類史上」という視座で見ても偉大な発明であることは説明するまでもないでしょう。そしてこれは、ハイデガーの時代には普及していなかったものです。また、私の考えでは、コンピュータはハイデガーの言うような現代技術の範疇にないと感じます。

 明らかな事実として、ハイデガーの考察した現代技術にはコンピュータは無かったはずですし、今日のWebのようなメディアも無かったはずです。考察していないものについても考察されていると考えるのはおかしいので、そういった点からもハイデガーの分析した現代技術にはコンピュータは含まれていないと主張することができます。情報技術がこれほど世の中を支配しているとは予想だにしていなかったはずです。

 このことを考察するヒントになりそうな概念を最近知りました「計算機自然(デジタルネイチャー)」という概念です。今後より考えを深めていきたいと思います。 

Web制作やライターをやっているフリーランス。豊田高専を二度中退し、放送大学生兼フリーランスを始める。Pythonが好き。Vue.js、Nuxt.jsを使う。