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人間の能力とパソコンと生成AI

最近能力とは何かということについて考えることが多い。中堅になり、仕事をしていると「ここまではできるが、これ以上はできない」という自分の能力の限界を感じることが多くなってきた。そして私の限界よりも先へ進んでいる人を見ると、その情報処理能力や問題解決能力の高さに感心し、「自分とどこが違うんだろう?」と思うのである。こういった人の能力の差には何が関係しているのだろうか?そして能力差を埋めるにはどうしたらいいか?改めて考えてみたい。



人の能力差とパソコン

人の能力というのはパソコンの仕組みに例えやすいと思う。ハードとして容量の大きさ(メモリ)、情報処理能力の速度(CPU)があり、そこにソフトとして発達特性(OS)が乗ってくる。いやそこは発達じゃなくて性格だろうと思う方もいるかもしれないが、得意不得意の問題であるとすれば発達特性の方が適当だろう。

基本的にはメモリが大きければたくさん覚えられるし、CPUの処理速度が速ければ情報処理・問題解決能力は上がるので、所謂テスト的な成績の良さであるとか膨大で困難な仕事を処理できるといったことになる。大学受験くらいまでは、こういったハード面が充実している人が優秀であるとされやすい気がする。また、私が思う情報処理能力や問題解決能力の高い人というのも、ハード面のスペックが高い人だと思われる。

一方で仕事をしていると、優秀であるとされていた職員があまり仕事がうまくいかない、というケースが出てくるようになる。私はこれがOSによるところではないかと思う。特性によってそれぞれの得意不得意があるため、大きなメモリと優秀なCPUが揃っていても、OSが不向きな仕事であれば途端に作業効率は落ちるのである。一つのことに集中して取り組むことが得意な人、マルチタスクを浅く広く取り組むことに長けている人等、得手不得手に沿って仕事の適性を考え、自分が求められているフィールドを把握することは大切である。マネジメントする立場であれば適材適所で人員を配置する難しさがあるだろう。

人の能力を補う生成AI

ここ最近chatGPT等の生成AIを使う機会が多いのだが、使っていて思うのは、生成AIは上記のメモリとCPUに相当する部分を補う役割があるということである。私が1考える間に私より優秀な人が10考えていたとして、差分の9をAIが補ってくれているというイメージである。私は主にブレスト的な使い方をしているが、何を聞いても案を出してくれるし、時間もかからないので、非常に重宝している。メンバーで集まってうんうん悩む時間がかなり短縮されているので、業務効率化にも繋がっていると思う。

さいごに

今後AIの発展がどうなっていくかは未知数であるが、人の能力の底上げを図ってくれることを期待したい。同時に、そういった分野を不得意とする人は多く、AIやさらなる新技術を活用できないことで能力差は開き、振り落とされていく人も増えていくだろう。個々に合ったフィールドで、その能力を最大限活かすベストな方法について、これからも考えていきたい。

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