31日23時59分59秒 推しがいる世界

(りん)

0時を回って新年になって、私は知らない世界にやって来てしまった。私にとってこの世界は約11年ぶり。私が青春を捧げて来た齋藤飛鳥ちゃんが、乃木坂46の中にいない世界。

箱推しだった私が飛鳥ちゃん推しになったのは、「ガールズルール」の時。ガルル自体が、初めて私にドンと刺さった曲だったりもして、私の乃木坂熱もかなり上がってた頃。収録されてるアンダー曲の「扇風機」もまた私に刺さった。歌詞から曲から何から全てが好きで、そんな曲のPVを見たら、振りも良くて。その真ん中にいた飛鳥ちゃんに、心を奪われてしまった。

当時の私は誰か一人を推すというより箱推しというところにアイデンティティを感じている面倒なオタクで、そこから本当に飛鳥ちゃん推しと自覚するまでは結構時間がかかったりもした。

気づいたら、どんどんと前列に上がってくる彼女を見ながら、いつの間にか飛鳥ちゃんを追うようになっていた。飛鳥ちゃんの変化・成長も受け入れながら、そこに至るまでの葛藤なんかも、当時は色々な媒体からうかがい知れた。そんな重圧を抱える姿を隠そうとする彼女を見て、私より1つ年下なのに私よりどんどん大人になる彼女を見て、かっこいいな、私も頑張らなきゃな、って気持ちにさせてくれた。

私にとって今年の0時0分0秒は、そんな飛鳥ちゃんがいない世界のスタート。少なくとも乃木坂のどこを探しても飛鳥ちゃんはいない。卒コンがあるとか、これからも芸能活動を続けてくれるかもしれないとか、そういうことは分かってるけど、そういうことじゃなくて。

数年前くらいから飛鳥ちゃんが卒業する脳内シミュレーションはしてた。いざという時に心が壊れないように。飛鳥ちゃんが幸せになるならそれでいいし、飛鳥ちゃんと乃木坂を応援し続けられると思った。

今の気持ちを正直にいうなら、私は飛鳥ちゃんのいる乃木坂が好きだったし、乃木坂にいる飛鳥ちゃんが好きだった。それ以外の乃木坂を知らないし飛鳥ちゃんを知らない。もちろん誰も知らない。

脳内シミュレーションも、飛鳥ちゃんがくれた1ヶ月ちょっとも、私は上手く活かせなかった。私は「乃木坂の飛鳥ちゃん」から卒業できなかった。そんな自分が情けなくて、心ここに在らずだったここ1ヶ月の自分を殴りたくなった。

1つだけ。私に救いがあったとするのなら。
最後の曲がはだサマだったから、この救いを思い出せた。
飛鳥ちゃんの初表題センター曲なのはもちろんだけど、私、、、私たちにとってはもっと意味がある。

他の日記で何度も書いてるけれど、
初めてしーちゃんと出会った日、8月10日。私は会ったばかりの彼に、乃木坂を知らない・興味がないという彼に、乃木坂や飛鳥ちゃんの話をした。彼はすごい聞き上手だし、私の話を円滑に回してくれて、すごく居心地の良さを感じて、彼の人柄に惹かれた。

これも何度も書いてるかもだけど、
それから1年くらい後、しーちゃんが初めて乃木坂に興味を示したのが、「ファンタスティック三色パン」「裸足でSummer」「路面電車の街」の三曲を私がたまたまBGMとして流してた時。この3曲が好きって言った彼に、飛鳥ちゃんと関連のある曲だよ、って教えたらすごく食いついてくれた。

今でも忘れられないのが、アイドルなんて興味なかった彼が、「アイドルってすごいね。」「人に元気をあげられるってすごいね。」「それでいて色々な重圧を見せないように頑張ってるから支えてあげたくなるんだね。」って、ライブ映像を見て泣きながら、私に伝えてくれた時。彼らしい優しい言葉選びと、涙する姿を見て、この人を好きになって良かった、ってすごくホッとした。

今では乃木坂はもちろんだけど、日向坂を布教してからは、完全におひさまになって、松田好花ちゃん推しになった彼。飛鳥ちゃんをきっかけにして舞いた種が花開いてみたいで、最近は彼の推し活を見てるだけで幸せ。

彼との縁と彼の変化が、私が飛鳥ちゃんを推し続けたことによるものなのだから、私のこの10年近くは決して無駄なんかではなかったし、0になんかならないし、推せて良かった。推してたおかげで辛いことも幸せもあったって思い返せる。


・・・と、ここに書いたようなことを整理できるようになるまで、新年明けてから、朝方まで、しーちゃんが話を聞いてくれた。出会ったあの日みたいに、私が一方的に飛鳥ちゃんへのまとまらない想いを喋って、それをしーちゃんが新しく綺麗な言葉に組み換えてくれた。

あの時と違うことがあるなら、あの時より笑ったり泣いたり自然にできるようになったこと。いっぱい泣いちゃったし、自分でも馬鹿みたいだなと思ったけど、彼は1ミリも私のことを笑わなかった。

私はすごく幸福な人間なんだと改めて思う。私のことを馬鹿にする人間はいっぱいいたけど、その最後の最後を彼と迎えられたこと。彼が真剣に受け止めてくれたこと。

自分で自分を肯定してあげることはできる。そうやって生きて来た。そうやっていれば一人でも生きていけるって思ってた。だけど、やっぱり誰かに認めて欲しかったのかもしれない。その願いが叶ったのかもしれない。

まだ、飛鳥ちゃんの今後が明確になってないし、そういう詮索もしたくない。
ただ、この新しくなった私の世界で、私はまた0から飛鳥ちゃんを推す。推すという言葉が相応しくなくなるのなら、「彼女の人生の幸せを願う」。
私に人生の幸せを与えてくれた彼女が幸せじゃない世の中なんて絶対に許せないから。

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