見出し画像

ミスドのゴールデンチョコレート

おばちゃんの部屋の窓際にはトルソー、大きな台の上にはミシンが数台。
台の向こうにはベッド、そしてベッドの上にはおばちゃんが飼っている真っ白で優しいオス猫が目を細めて丸くなっている。
祖母の家で過ごす長期休暇の間、私は毎日その部屋に通った。

母方の祖母の妹(本当は大叔母さんに当たるのだけれど、若かったこともあって私はおばちゃんと呼んでいた)は
当時祖母の家に住んでいて、サービス業に従事していたように記憶している。
彼女は多分、私の人生において最初のガールズトークの相手だ。

私は大抵の場合、子どもには優しいオス猫を撫でながら
保育園とか学校であった話をウッキウキで話していたように思う。

話していた内容は今となってはちっとも覚えていない。
けれど、とりとめもなくオチもなく喋るその時間が大好きだったということだけは覚えている。

あまりにも長居して夜更かしするので、パジャマ姿の母や祖母が
「早く寝なさい」と迎えに来ることもよくあった。

おばちゃんは洋裁が得意で時折私や母のためにスカートやワンピースを作ってくれた。
おばちゃんが作ってくれたスカートは
私にとって「おばちゃんが作ってくれた」というだけで価値のあるものだった。
だっておばちゃんのことが大好きだったから。

私は長期休暇の度に祖母の家に泊まりに行っていたはずだし
毎回毎日おばちゃんの部屋で喋っていたはずなのに
何故だかあまりお昼に一緒に過ごした記憶がない。
それなりの日数を祖母の家で過ごしていたはずだから
滞在期間中に絶対におばちゃんのお休みの日もあったはずなのに
いつだってその楽しい記憶は夜の顔をしている。

そんなおばちゃんとの数少ないお昼の記憶がある。

それは2人だけで祖母の家からそこそこ遠い栄えている街に出かけた記憶だ。
そのおでかけの理由が何だったのか覚えていない。
だけどとにかく2人だけで出かけたことがある。

予定を終わらせてあとは帰るだけかと思ったその時
「寒いし、ちょっとお茶でも飲んで帰らない?」
とおばちゃんは言った。

そんな選択肢があったとは!!と私は驚いた。
だって当時の私は子どもで、外でお茶をすることはおろか親や先生のいないところで飲食するなんて体験したことがなかったから。

お茶に行けば2人だけでいられる時間が長くなる!という嬉しい気持ちとは裏腹に
夕暮れが近づいていたその時間におやつを食べたら私は晩ごはんが食べられなくなって
お茶に誘ったおばちゃんが怒られてしまうかも・・・それは避けたい・・・お腹に余裕はあるかな・・
と己の腹具合を鑑みたり、
おばちゃんが決して裕福ではないことをすでに察していた私は
それはおばちゃんがご馳走してくれるということだろうか、お金は大丈夫かな。
でも、ここでそんなこと気にして断るのもいけないことのような気がするし、
何より今日おばちゃんが着ているトレンチコートは薄手で寒いのも本当なんだろうし
子どもである私を連れて歩くのも疲れているんだろう。
私のせいで余計な出費をさせてしまう・・・と申し訳ないような心細いような気持ちになった。

逡巡が顔に出なかった自信はない。
今も感情が顔に出てしまうタイプではあるけれど
当時は子どもだったのだから余計に。
でもできる限り「嬉しい」の方を全面に出した顔で「行く!」と答えた気がする。

子どもでも食べられるものがあるお茶できる場所としておばちゃんが選んだのは駅前のミスタードーナッツ。
私の普段暮らしている街にはまだできていなかったので
それが初ミスタードーナツ体験だったように思う。

夕暮れ時の店内は結構混んでいて、スーツのおじさんも制服姿のお姉さんも買い物帰りのおばあちゃんもいた。
「お茶ってこんなに沢山の人がするものなんだ・・・」
と田舎者小学生の私は驚いた。
だって夕暮れ時のその時間、普段の私は学校からの下校中かもしくは習い事に向かっているくらいの時間で
私の周りの子どもたちも似たり寄ったりだったから
大人や、大人に近いお兄さんやお姉さんがどう過ごしているのか知らなかったのだ。

混んでいる店内で私が列に並んでいる間におばちゃんは慣れた感じで奥のテーブル席を確保してくれた。
都会に暮らしているとこういうとこに来るのは普通なのかな。
それともおばちゃんが大人だからかな、とその背中を見る。

順番を待ちながらショーケースを覗くとめちゃくちゃ沢山のドーナッツが並んでいる。
順番が来た時にスムーズに注文できる気がしない!!
人の隙間からショーケースを窺って注文するものを吟味する。
何と言ってもおばちゃんがご馳走してくれるのだ。
絶対に美味しいものを選びたい。
そして嘘偽りのない心で「美味しい!ありがとう!」と言いたい。
もちろん、多少美味しくなくたって「美味しい」も「ありがとう」も言える。
でもそれじゃダメだと思った。
正直な気持ちでお話したいのだ。
だからこそここのチョイスは失敗するわけにはいかない。
真剣だった。

そうして私が選んだのはゴールデンチョコレートとホットミルク。
チョコレート生地でできたホロホロと崩れる本体に
なんか良く分からないけれど黄色い砂糖菓子のような粒々がまぶされているドーナッツは
温められてほんのり甘いミルクと最高にマッチした。

食べる度にこぼれる黄色い粒々が勿体なくて
でもそれをかき集めて食べるのはお行儀が悪いのか・・・?と気になって
いやいや、でもこの粒々とホットミルクは一緒に口に含むと絶対美味しいと思うの!
と頭の中は忙しかったものの、噓偽りなく美味しかった。

はじめての「お茶」体験に最初こそ緊張していたけれど
よく喋り、嘘偽りのない顔で「美味しい!ありがとう!」と言えたことにほっとした。

私には到底飲めそうもない苦くて熱いコーヒーを飲んでいたおばちゃんも
暖かい店内に座って休んで帰るまでの体力をチャージできたのか、帰り道は2人とも元気だった。

あの日から30年も経っているけれど、
私にとってミスタードーナツで1番好きなのはゴールデンチョコレートだ。

あの後私の暮らす街にもミスタードーナツはできて
高校時代は友だちと喋るために長居したり、
お買い物の時にお小遣いでお茶したりと、あの日見かけた大人たちのようにふるまうこともできるようになって
好きなメニューは着実に増えていったけれど
ずーっとずーっと1番はゴールデンチョコレート。

大人になって
「今日は2個くらい食べちゃうぞ☆」
なんて時はゴールデンチョコレートと何か別のものをもう1個。

んー・・何食べよう、決めきれないな・・・
って迷った時はひとまずゴールデンチョコレート。
あんなに種類豊富なのにどうしてもゴールデンチョコレートなのです。

そして食べる度に思い出を撫でる。
誰とどこで食べていてもおばちゃんとのガールズトークを思い出す。
ひとくちふたくち食べているそのほんの少しの間、私はおばちゃんとデートしてる気持ちになるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?