産後の入院生活〜次々に起こる問題に、脆い心としみる中島みゆき

どうも、しがないです。

無事に出産を終えた自分はかねてから思っていたことがあった。

それは、無痛を選んだからか出産が怖くなかったということと、それよかその先がやばいんじゃないかという事。やっぱり産んだ後の方が数々の大変なことがあるだろう、、と。

まず、産んだ翌日はへっぴり腰でないと歩けなかった。思わず看護師さんに、これは終わりがあるのかと聞いてしまった。

さらに、母子同室が昼頃から始まった。
まだまだ静かな我が子だった。

しかし、まってましたと授乳の問題。
私の乳首、とても吸いにくい作りであった。
しかも岩のようになってしまっていて痛すぎる。
赤ちゃん、吸う事すらままならず。
もちろん3日位出ないのは承知だが、
翌日様子を見た助産師さんは、
乳頭保護器をすすめてくれ、
それでやっと吸われる感覚がつかめる。
つい嬉しくて1人号泣して涙をかけてしまう。

さて、この病院は母子同室は21時までで、
子を返すとまた感極まってダラダラと号泣してしまった。

そして翌日、顔がお岩さんのようになった。

さらに、3日目を迎えた時だった。

新生児の黄疸検査なるものが行われたのだが、
我が子、数値が基準値を超えてしまっていたのだ。そこで、光線を当てる治療と経過を見るために、退院が1日子だけ遅くなってしまったのだ。
そしてその日の朝、さらに便が白かったのだ。

そこで、気になり色々調べてしまった。
すると、胆道閉鎖症とかいう病気の可能性がヒットしてしまって、また1人になった部屋で泣き暮れてしまう。
そうすると時間は昼時だったのがいつしか世も老けてきて、テレビからは中島みゆきが流れてきていた。ますます泣いてしまった。

翌日、先に1人退院する際、助産師さんの前だけはなんとか堪えたが、エレベーターや移動やらでは堪え切ることができなかった。

さらに追い打ちをかけるように外は荒天で、
旦那の車のシートでは痛くて座ることができず、
大量の汗をかいてしまった。
さらに家の円座も微妙にあわず、
やってしまったと思った。

夜、旦那とは最後の2人の夜じゃなかったね(入院前が)とふと話した。

1人より2人でいる方が精神的に安定はしていた。あとは無事の連絡を待つのみとなった、、

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