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ひとみよつ の 消失 ~あるアイドルの脱退に寄せて

8/10(日)にぜんぶ君のせいだ。(以下、ぜん君。)のひとみよつ(以下、よっちゃん)のグループ脱退前ラストライブが行われた。

結論でいうと、非常によっちゃんらしさに溢れる素晴らしいライブだった

本記事はよっちゃんの脱退前ラストライブに至る流れや内容、その時の心情などを備忘録としてまとめたものである。世の中のどこかではこういう事が起こっているんだなぁ程度の知見を世の皆様に提供できたらこれ幸いである。

最初に自分の立ち位置を明確化しておくと、僕は「よっちゃんの元ガチ恋オタク」と称するのが適切だと思う。
今でも定期的にぜん君。の曲は聞くけど、ライブに全通したりはしない。
他界(アイドル用語でファンを辞めた)したかしてないかくらいのラインのファンである。
(他界した理由や経緯は色々あるが、本記事とは関係ないのでまた別途機会があれば書こうと思う)

こう書くと「それほど濃いファンじゃないし、そんなに感情的にもならなかったのでは?」と思われるかもしれないが、一度ガチ恋して東名阪のツアーを一人で回ったりした身として、それなりに色々感情の変動があったのでそれを記しておこうと思ったのだ。

前置きが長くなったが、本文に入ろう。


ことの始まりは、7/24の中野サンプラザ単独公演に遡る

皆様御存知の通り2020年の3月以降ライブエンターテイメント業界は壊滅的な打撃を受けており、ぜん君。もご多分に漏れず全国ツアーのZepp DiverCityが中止になるなどの煽りを受けていた。

その後緊急事態宣言も解除され、かなり慎重な構えを前提としながら、久しぶりの大規模ワンマンとして発表されたのが7/24のライブである。

多くの方が同じことを感じたのではないかと推察するが、今回のコロナの影響で、僕も(あれ?もしかして好きな人のライブに今後いけなくなる未来ありうる?)という危惧を頂いた一人である。

ゆえに、(見れるうちに見ておかねば!)という思いもあり、チケットを取った。

違和感はそのライブ当日からあった。
違っていたのだ、「演出」が、いつものそれとは。


アイドルというのは泳いでいないと死んでしまうサメに似ている。

大きなワンマンの最後のMCでは次に行うより大きな箱でのワンマンを発表をする。
その「前に進んでる感」をもって、その活動の正当性をファンに対して、
それ以上に自身たちに対しても伝え続けることで活動を続けていく。

ぜん君。も過去数年は同様に、大きなワンマンのアンコール後のMCで
次の大きなライブやツアーをアナウンスしてきた。

7/24のライブではそもそもMCが存在しなかった。

補足的に説明するが、ぜん君。はいつもライブ本編では基本的にMCをしない。基本的には本編では簡単な自己紹介(所謂アイドルの一人一人名前を言う形式ではなく、グループ名を唱和するのみ)と御礼の言葉だけが発せられる。

しかし、ワンマンでアンコール後もMCが無かったライブは、少なくとも僕が参戦したライブでは初だった。

MCが行われるであろうタイミングでメンバーはステージをあとにし、
ステージ上のスクリーンには心電図の様な映像が現れた。
その心音は弱々しく、やがて止まった。

当日の帰りは(妙な演出だったな〜)とは思ったが深くは考えなかった。
久しぶりのライブでよっちゃんのシャウトが聞けた幸福感のほうが勝っていた。


次の日に景色が変わった。

Twittterでぜん君。の活動休止が発表されたのだ。

活動休止は8月の初旬から、だという。


発表を受け、(あの演出はそういう意味だったか)と得心した。
一方で、Tweetが「"一時"活動休止」と一時を強調していた事に油断もしてた。

数少ないぜん君。友達に「ショックだね〜、メンバーだれかの卒業もありうるかもね」などと送ったりしていた。

全く想定したなかったのだ、よっちゃんが辞めるなんて。

なぜなら、彼女はいつも笑っていたから。
どんなに感傷的なシーンでも、感動して他のメンバー全員が泣いていても彼女は笑ってたから。


6日後にあった発表も最初は信じられなかった。

>この度ぜんぶ君のせいだ。メンバー「一十三四」「凪あけぼの」の2名が8/10(月祝)をもって脱退する事となりました。合わせて同日をもってグループは"一時"活動休止となります。

脱退に関する記事の彼女のコメントは以下の一節から始まる。
もうすでに数年前から、私の心には限界が来ていましたが

この一文を読んだ瞬間に僕は、そしておそらく他のファン方も
ひとみよつ が 失われること』を実感した。

いつも笑っていたのは、『ひとみよつ』という人格に自分をあてはめないと自分を保てない状況だったのではないか、とも推察した。
事実を確かめるすべはないが。

同日に彼女のTwitterで語られた言葉
辞めた後、「ぜん君。の一十三四」を自ら語り出る事はしませんので
という一言も『ひとみよつ』が消失するという現実を僕たちに強く理解させた。

おそらく多くのファンがそうした様に、チケットの発売時間や詳細をカレンダーに登録し、どこに行くかも決めずにその日は外に出た。

果たして、チケットは取れた。
当日は二部制となっており、1部は凪あけぼの氏、2部がひとみよつをフィーチャーした会であった。操作に少々手間取ってしまったこともあり、取れたのは1部のチケットだった。

ラストライブの日は、暑かった。

家からそれほど遠くなかったこともあり、自転車で向かった僕は会場に入る前にすでに汗だくだった。

コロナ禍の状況も有り、当日は特典会(メンバーと一緒にチェキを撮りお喋りができるサービス)はなし。
名前とコメント入りのチェキが時間限定のオンラインショップで販売されていたのを購入し開演を待った。

お決まりのオープニングSEを経てライブが始まる。

1曲目から殆どの曲でメンバーの誰かが泣いていた。
ゆえに、歌やステージングのクオリティが高いとは言えなかった。

ただ、素晴らしいライブだった。
もう一度いうと、素晴らしいライブだった。

メンバーが泣いていることでそれぞれがぜん君。に如何に人生を掛けていたかが理解できたし、よっちゃんが一切泣かずに何時もより強くシャウトしていたことに深く感動した。

彼女の叫びの端々から『ひとみよつ』を好きでいたことを後悔させない、という決意が伝わった。

1部は凪あけぼの会だったのでアンコール後のMCではあけぼの氏から最後の挨拶があった。つまり、2部のよつ会ではよっちゃんの挨拶があるということだろう、と予想された。

何を語るのだろう?
最後の言葉なんだろう?
チケットは取れていなかったので、配信を見た。


彼女はMCで何を語ったのか?


その答えはこうだ。


MCは無かった。
訳注:正確には「配信ではMCパート前に終了となった」


何も語ることなく、彼女は僕の前から消えた。
とても「らしい」とおもえる、ひとみよつの最期だった。


よっちゃんの狂気が好きだった。
歌が上手いわけではない、だからシャウトという武器を磨いた足掻く彼女が好きだった。
最後の瞬間まで泣かないプロ意識が好きだった。


8/10 に ひとみよつ は 姿を消した

脱退や卒業という言葉では表せない、そのあまりに鮮やかな消失が
ひとみよつ以外のアイドルを好きにならなくていい理由を僕らに与えてくれた


最後に、万が一この記事を読むことでよっちゃんに興味を持ってしまった人に向けて、一つの動画を共有しておくこととする

1:13から始まる彼女のシャウトパート
1:48のサビ前の咆哮
何かを引き裂くように叫ぶ彼女が好きだった。



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