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Saba "Few Good Things"

Feb 4, 2022 / Saba Pivot LLC

アメリカ・シカゴ出身のラッパーによる、3年10ヶ月ぶりフルレンス3作目。

ふと「死」について考える。自分はこれまでに生きてきた中で、近しい人の死に直面した経験は2回ある。母方の祖母と祖父。祖母は癌による病死、祖父は90過ぎまで生きての老衰だった。もちろん寂しくはあったが、言ってみればどちらも自然な類の最期を迎えたので、受け入れるのは難しくはなかった。幸いにも受け入れられない形での死に迫られたことは一度もない。だが今後もそういったことが絶対に起こらないなどという保証はない。ワイドショーは理不尽に人の命が奪われる事件で溢れ返っている。いつ何時、運命の歯車が狂うかは誰にも予測できない。それが自分や周囲に起こるのを想像しただけで気が触れそうになる。このいかんともしがたい不安感は、何気ない日常を送っている時でも常に頭の片隅をぼんやりと漂い、自分が平穏を手にし、アドレナリンを噴出させるほどに夢中になれるものを手にし、愛情を注いで守るべきものを手にするほどに、比例して存在感を増していく。いつバランスを崩すとも知れない綱渡りを何十年もしてこれたのが奇跡のように思えてくる。

ところで。Saba は自分の親族や地元シカゴの友達やを集めて結成したヒップホップ・コレクティブ Pivot Gang の中心的存在だが、この Pivot Gang のメンバーのうち、ラッパー John Walt と DJ /プロデューサー Squeak の2人はすでにこの世を去っている。Saba の従兄弟でもある John Walt は路上での喧嘩に巻き込まれて2017年に、Squeak は家族と一緒にいるところに突然の銃撃を受けて2021年に急逝。治安の悪いシカゴでラップシーンに身を寄せる者たちの宿命とでも言うのか。遠巻きの好事家にとっては荒ぶるストーリーのワンシーンとして回収されてしまうが、当事者の悲しみは計り知れない。特に John Walt の死は Saba に深い影を落とし、アンビエントやジャズの要素が色濃く反映されたアルバム "CARE FOR ME" を完成させるに至った。仄暗く内省的で、不穏と鎮静を行き来し、その中にわずかな衝動を見せるこの作品には、当時の Saba の内面を切り取った生々しさ、悲痛さが嫌というほど滲み出ている。Saba 本人にとってはこの作品をリリースすることが快方へ向かうためのプロセスの一部としても機能しているはずだが、受け入れられない、受け入れざるを得ない事件と直面しながらストラグルするその心境は、アルバム全体に通底するサウンドの柔らかな感触とは裏腹に、ひどくヘヴィなものだ。

それから4年が経ち、新たなフェーズに立った Saba の新作が完成した。素朴な明るさを写したアルバムジャケットを見て、少し安堵の気持ちが湧く。

サウンドの変化はすぐわかる。ずっと翳りを帯びていた "CARE FOR ME" から打って変わって、ジャズ、ブルース、ボサノバ、あるいはチェンバーポップの要素が全編に取り入れられており、ギターを筆頭に生演奏の比重が大幅に増して、一気にカラフルなアレンジになった。ただ色合いは淡く繊細で、これまでの楽曲にもあった牧歌的で上品な感触は保たれており、違和感はない。ちょうど夜更けから朝焼けへの移行のような自然さだ。では彼が完全に悲しみや迷いを払拭したのかと言うと、決してそうではない。むしろ今でも迷い続けている。2曲目 "One Way or Every Nigga With a Budget" では現在の彼がいかに成功し、欲しいものを手に入れられたかが綴られているが、それでも彼のセルフボーストには圧がなく、穏やかなサウンドと相まって、どこか逡巡の色がつきまとう。次曲 "Survivor's Guilt" は今作中唯一ダークな緊張感を持つ異色のトラップ曲だが、ここではかつて育ってきた貧困の環境を離れ、成功を手にした Saba 自身への疑念が吐露される。自分は故郷を見捨てて逃げたのか?まさしく「生存者の罪」だ。トラックの攻撃性は外部ではなく、Saba の内面へと向けられている。

しかし、彼は思考の迷路で堂々巡りを繰り返しているわけではない。着実に少しずつ、前へと歩を進めている。終盤の "2012" では表題通り10年前の懐かしい日々に目線が向けられ、それは甘く輝かしい甘い青春の日々であったが、彼はそれを必要以上に美化して思い出に没頭しているわけではなく、綺麗に箱に詰めて押し入れに仕舞い込もうとしている。いつまでも10年前に留まっているわけにはいかない。今の自分には守るものがある。そのためには一旦過去に別れを告げる必要がある。"2012" は昔の自分に向けた優しい子守唄のようなものだ。アルバム冒頭から続けて聴けば、仲間の死、成功に付随する不安や葛藤を経て、この境地に至るまでの彼の心境の変化がいかに激しいものであったかが、極めてパーソナルな内容であるにもかかわらず、まるっきりの他者である聴き手側にも切々と伝わってくる。柔らかなメロディやハーモニー、流暢なラップスキルとともに。これほど美しいものがあるだろうか。

自分は受け入れられない死に直面したことはない。そこまで生活が困窮したこともないし、大きな成功を収めたこともない。平々凡々とした人生だ。その中でわずかな幸せを積み重ねて生きている。当然 Saba の人生とは何もかもが違う。ただそれでも、仮に自分が深い悲しみで打ちひしがれた時、道に迷って何もかもを投げ捨てたくなってしまった時に、この華やいだ音色に満ちた作品がある種の道標になるような、そんな気がしている。


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