Discharming man "POLE & AURORA"

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北海道出身のロックバンドによる、約5年半ぶりフルレンス4作目。

先日公開した2020年間ベストアルバム50選の記事について。あれは一応12月のリリース予定をざっとチェックした上で、もうここから入れ替わることはないだろうなというタイミングを見計らって発表しているのだが、今作は不覚にもノーマークであった。まさかこんな伏兵がいたとは。今からでも入れ替えたい気持ちで一杯である。やらないけども。

今作は GEZAN 主宰のインディレーベル十三月からリリースされている。それにあたってマヒトゥ・ザ・ピーポーは上記のツイートを彼らに寄せた。ここでの "現行" とは現代の時流に即しているというよりも、今現在の自分自身を生々しく投影したリアリティのある表現だから、ということだろう。では今作が本当にリアリティのある表現なのかどうか。それは実際に再生ボタンを押せばすぐさま証明される。鼓膜を突き破らんばかりの爆音が、まるで獲物に飢えた野獣のように、狂おしい形相で襲い掛かってくるのである。

彼らの作る楽曲は、まずメロディにフォーキーで朴訥とした憂いがあり、その憂いを最大限に膨れ上がらせるためのバンドサウンドがある。そのサウンドを作る上で、彼らはパンク/ハードコアからエモ/オルタナティブ、そしてポストロックの地平までを視野にいれている。それらのジャンル全てを飲み込むための音とは?言うまでもなく、彼らは熟知している。中低音のふくよかな厚みと、荒々しく毛羽立った歪み。ヒステリックなノイズ成分も多く含有した、ほとんどスタジオライブ一発録りのような迫力。バランス崩壊寸前のところでギリギリ踏み止まりながら、鬼気迫った爆音がアルバム全編で惜しみなく放たれている。そもそもボーカル蛯名啓太は前身のキウイロール時代から数えればこの道20年以上の筋金入りである。これくらいなら OK だとする判断基準がその他大勢とは随分とズレたところにある。緊張感に満ち満ちたサウンドプロダクションは、いっそ清々しいくらいに極端だ。

そういった図太い主幹がありつつ、曲調はバラエティに富んでいるのも面白い。オープナー "future" は Discharming man の "Dischar" が発露したハードコアナンバー。未来と題していながら楽観的な要素は見当たらない。むしろ現在を変えなければ未来も変わらないだろう、そんな焦燥感や息苦しさばかりが直線的なアグレッションとともに眼前へ突きつけられる。メタリックな極悪リフに雪崩れ込む終盤には思わず鳥肌が立った。そこからシームレスに繋がる2曲目 "極光" ではポストロック方面に舵を切って一気にスケールが広がり、ちょうどアルバム表題の神秘的なイメージも纏い始め、果てしない地平線の片隅に放り出されたような心地になる。またその後の "February" では木琴を添えて牧歌的な美しさを打ち出したり、"Disable music" ではダブ風のエクスペリメンタルな音響処理によって殺伐とした狂気が蔓延したりと、曲ごとに多彩なアイディアが生かされている。ただそれらに付け焼き刃感はなく、いずれも蛯名啓太の内面に巣食う感情、寒々しいモノクロームでありながら複雑なニュアンスを含んだ色味、それを余すことなく表現するための必然性が感じられる。

このアルバムを聴いていると、北海道という土地特有のロックシーン、その時間の流れに思いを馳せずにはいられない。もちろん一口に北海道のバンドと言っても GLAY から BBHF まで色々あるわけだが、その中でも "エモ/オルタナティブ" という側面に焦点を合わせてみれば、やはり真っ先に挙がるのは bloodthirsty butchers や eastern youth 、それから DMBQ 、COWPERS 、BAZRA 、BUGY CRAXONE … 最近の若手だと NOT WONK や the hatch がこの並びに加えられるだろうか。どのバンドにも違った個性があるものの、エモに立脚したデカい音をかき鳴らし、その中に朗らかな暖かみから鋭利な冷たさまでの感情のグラデーションを凝縮させ、聴き手に突き刺すようにして発するというスタンスは共通しているかと思う。それで彼らは、活動初期の頃には吉村秀樹がメンバーとして加わっていたのだから当然と言えば当然なのだが、こういった北海道エモバンドの血を深く受け継いでいる。いや受け継ぐだけではない。硬く鋭く鍛え上げられた最新型のフォルムで、その血筋がさらに未来へ向かうように、表現を一段上へと更新させている。だからこそ十三月は Discharming man にアプローチしたのだろう。

自分は Discharming man のライブを実際に見たことがない。唯一見たことがあるのが、GEZAN のフジロック出演時にゲストで乱入してきた時の蛯名の姿である。180cm以上はある巨体をくの字に折り曲げ、言葉にならない言葉をわめき散らし、瞬間的に燃え尽きようとする蛯名は、良い意味でベテランらしい安定感からは程遠い、まるで少年のような初期衝動の激しさを宿していた。このアルバムを聴いていると、その時の彼の姿がありありと目に浮んでくる。実に臨場感のある音だ。しかしながら現在ではこの「場に臨む」ということができない。限りなく現場に近いバーチャル体験として今作は機能しているが、それでもスポイルされている何かがきっとある。それが何であるかをいつか確認してみたいものだ。いったいいつになるか分からないが。

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