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ZAZEN BOYS "らんど"

Jan 24, 2024 / MATSURI STUDIO

日本のロックバンドによる、約11年半ぶりフルレンス6作目。

詩人としての向井秀徳について。「知らん俺は知らん 傍観者」向井は昔からずっとこのスタンスだったと思う。NUMBER GIRL 初期の頃は、おそらく彼の実体験と空想を綯い交ぜにしたであろう夕暮れの情景を描いていた楽曲もあったが、その歌詞も第三者的というか、俯瞰からの視点を効果的に交えたものだった。それが冷凍都市の暮らしを極めてドライな語り口で切り取ったものにだんだんシフトし、ZAZEN BOYS を結成してからはそれがさらに研ぎ澄まされ、シュールさと寂寥、そしてなんとも言えない苦々しさを滲ませるようになった。自身の思いや感情をそのまま吐き出すよりも、風景、映像的な表現に投影するという手法である。

ようやく完成した新作 "らんど" のリードトラック "永遠少女" 。この曲はそうした向井秀徳のかねてからの手法が、過去最高の威力で発揮された新たな代表曲だと直感した。とにかく言葉にぶっ飛ばされた。こんなにも言葉の意味がバンドの音より前に出てくる楽曲は、向井のキャリアの中でも類を見ないものではなかろうか。

わざわざ解説するまでもなくこの曲は戦争が題材となっているわけだが、非常に意外だったし、衝撃的だった。これまでにポリティカルな楽曲を出してこなかったというのもあるし、一昨年に "透明少女" を4回も演奏するライブで NUMBER GIRL を再解散させてからの制作なので、少女繋がりでナンバガモードを持ち込んでの原点回帰的な新曲なのかと、聴く前は予想していた。とんでもなかった。フォーピース各々の演奏の輪郭が異様に際立ち、向井言うところの「ジャキる」度合いがさらに鋭く鍛えられたが、言葉の圧はそれを上回る勢いで聴き手を捻じ伏せ、強烈な説得力で惹き付ける。あくまでも情景描写であり、決して聴き手を何かしらの方向に扇動するような物言いはしていないが、そこに込められたエモーションはまさしく鬼の形相をしている。

アルバム全編を聴いてみるとポリティカルな楽曲は "永遠少女" のみだが、言葉の存在感はやはり強い。演奏の切れ味が凄まじいのと、シンセサイザーを排してシンプルなバンドサウンドにこだわったアレンジで(向井自身はシンセを運ぶのが面倒臭いからとうそぶいていたが)、個々のパートにファジーな箇所がまるでなく、全てのフレーズを常にはっきりと聴き取れる作りになっており、それはボーカルにしても同様である。"八方美人" のような心の弱さを露わにする内容も珍しいし、"公園には誰もいない" や "YAKIIMO" などで展開するノスタルジックな描写も、感傷的な甘さではなく冷ややかな無常さを前面に感じる。聴き終えた後に妙に居心地の悪い気分になる、何とも絶妙な詩情の畳みかけだ。

音的な新機軸があるわけではない。ファンク、オルタナティブ、ハードロックをいびつなグルーヴで繋ぎ合わせた、どこからどう聴いても相変わらずのザゼン節である。だが強度は最高値を更新している。向井自身も公言しているように、できないことはやらない、できることだけを必死こいてやる、その結果がこの演奏の圧であり、言葉の圧なのだ。この11年半の間にベーシストが交替し、ナンバガが再結成して解散した。紆余曲折を経てようやくひり出したここでの表現は、何でもない日常の風景の中を漂う亡霊のような侘しさと、すっとぼけた軽妙な笑いを同時に誘発する、つまりは純度100%の向井イズムの凝集体である。向井、ようやった!!


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