見出し画像

清春 "ETERNAL"

Mar 20, 2024 / Yamaha Music Communications

ソロ名義としては4年ぶりとなるフルレンス11作目。

今回の新譜を一巡したあとにインタビューを読んでみると、現在の清春の音楽性や活動スタンスに対する理解が深まった、と言うか、ああ確かに清春は昔からこういう人間だったなと改めて認識するに至った。今作の一番の特徴は、アルバム全編でフィーチャーされているフラメンコギターやパーカッションによるスパニッシュ要素。2018年作 "夜、カルメンの詩集" でも同様の音楽性は提示されていたが、その時はまだドラムとベースが存在し、アンプリファイアを前提とするロックバンドのフォーマットに立脚していた。それが今作ではより徹底され、リズムパートはパーカッションのみで、代わりにチェロやサックスなどの装飾が追加。曲構成としてはいつもとさほど変わらない清春テイストの歌謡ロックなのだが、音色と音響に一層こだわり、彼ならではの妖艶で退廃的な世界観をさらに強固なものとした。

だがそれでも、インタビュー内でも発言しているように、清春は現在の状況に決して満足しきってはいない。すでに次の作品にむけての新曲が出来ており、どの楽器がフィットするかを模索している最中だが、急にまた従来のバンドスタイルに戻すかもしれないと。もはや清春自身にも変化の予測がつかないのかもしれない。とにかく異様に飽きっぽいのだ。アコースティック楽器を主とするスタイルに関してはソロ名義となってからずっと可能性を追求しており、そこはある程度一貫してはいるが、たまにグラムロックに回帰したりシンセを乗せてみたりと、やはりその時その時の気分の波がダイレクトに作品に反映されている。そう、清春は最初から、少なくとも自分が彼のことを知った時から、ずっとそういう人間だった。

黒夢(今考えても何ともインパクトのある名前だ)初期の頃はヘヴィメタルとポジティブパンクを独自のセンスで配合し、ドロドロのアングラな世界観を展開して「名古屋系」と呼ばれるサブジャンルの確立に寄与したが、メジャーデビュー後は佐久間正英プロデュースの下でポップでキャッチーなメロディを追求、かと思えば Nine Inch Nails から着想を得てバキバキにシンセサウンドを取り入れてみたり、すっかりメイクを落として現場至上主義のパンク/ハードコアに傾倒したり…これらの方向性の転換はほぼ1年ごとに急速に行われていた。それから SADS を結成した後も、バッドボーイズ・ロックンロールを志向した再デビューから1年未満で原点回帰のゴス/サイケな世界観を構築し、またその翌年にはダウンチューニングを採用してモダンなメタルサウンドに接近したりと、まあ節操がなかった。俺たちはこうだとインタビューで豪語していた内容が、次の作品をリリースする頃にはあっさり否定されていたりする。矛盾や批判などを一切恐れず、その都度自分の中で旬なことのみを追求する姿勢には、ファンや評論家のみならず、バンドメンバーですらも翻弄されてきたことだろう。その上で彼は、100%自分を好きなファン以外は必要ないとも言い切る。ある意味で潔く、筋が通っていると言えば通っている。

デビューから30周年を迎え、いよいよ50代も半ばを過ぎてきた清春は、自分のミュージシャン人生がもうそこまで長くないことを、きっと誰よりも理解している。相変わらずライブスケジュールは鬼のように決まっており、その中には黒夢や SADS の再演も含まれている。今でも彼は転がり続けなければ気が済まない。後悔することのないようにどこまでも生き急ぐ。そんな彼の現在のホームにあたる場所はやはりソロ名義であり、今回の "ETERNAL" に集約されるのだと思う。甘いハイトーンボイスにハスキーな渋味が加わり、狂おしく、情感豊かに舞い踊るように歌い上げる。最近はどこぞのバラエティ番組で歌詞が聴き取れないなどといじられたりもするが、歌唱法に対するポリシーだけは絶対に曲げず、激しいメタモルフォーゼを続けながらこの30年以上をサバイブし続けてきた、その深い年輪がこの新譜には刻まれている。彼のライフワークとして継続してきたアコースティック路線の最終形態であり、長いキャリアの集大成だとも思えるが、多分その認識は間違いで、来年にはまたゴリゴリのメタルをやっているかもしれないし、落ち着くなどということは彼には永遠にあり得ない。この作品もあくまで途中経過なのだ。

しかし "夜、カルメンの詩集" の時にも思ったが、これほど貫禄に満ち、紆余曲折を経た後に辿り着いた表現の果て、終着地だとうっかり信じ込んでしまう、それほどの説得力を感じさせる「途中経過」が他にあるだろうか?清春という一介のシンガーの表現力は、ここでまた新たな境地に到達し、そしてこれからも声が果てるまで放浪を続けていくのだろう。かつてコラボレーションを果たし、清春含めヴィジュアル系シーン全般に影響を与えていた櫻井敦司 (BUCK-TICK) や ISSAY (DER ZIBET) 、そして清春の遺伝子を少なからず引き継いでいた aki (Laputa) も、昨年この世を去った。残った清春は、ここまで来たならもうとことん、最後まで自分の美学を貫いて我々を翻弄してほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?